創世記に関する聖書の疑問


Q:創世記についてですが、なぜ創世記が聖書に含まれているべきだと分かるのでしょうか?

A: いくつかの理由がありますが、その一つとして、イエスや聖書に登場する多くの人々が旧約聖書を正当なものとして認め、創世記を聖書として引用していたからです。イエスが創世記を聖書として引用している二つの例として、マタイによる福音書19章4節とマルコによる福音書10章4~9節をご覧ください。


Q:創世記に関して、最初にその疑問に答えたのは誰ですか?

A: 私の知る限り、創世記に関する質問への回答を最初に著した人物は、紀元前20年頃から紀元50年頃にかけてアレクサンドリアに暮らしたヘレニズム期のユダヤ人、フィロです。現在、彼の著作のアルメニア語訳が残されています。彼は『創世記に関する問答』という3部構成の著作を執筆しました。 ギリシャのプラトン哲学に多大な影響を受けた敬虔なユダヤ人の立場に基づき、創世記1章から17章までの244の質問に対する彼の回答が保存されています。この著作は、『フィロの著作集:完全版・無削除版――新改訂版』(C.D. ヨンゲ訳、ヘンドリクソン出版社、1993年刊、1997年第4刷)でご覧いただけます。


Q:創世記第1章において、「1=1」や「1+1=2」のように、真実でなければならない事柄が存在しますが、神は数学や数字を創造されたのでしょうか? それ以外の手法で、神がそれらを創造する方法はあったのでしょうか?

A: 神はすべてのものを創造されました。しかし、同語反復(例えば「赤いものは赤い色をしている」といった、定義上真であるもの)は「もの」ではありません。神は、同語反復ではない数学上のあらゆる「もの」を創造されたと推測することができます。


Q:創世記第1章では、神がすべてのものを創造されたとありますが、神は闇や悪、地面の穴も創造されたのでしょうか?もし神が悪を創造されたのなら、神は完全に善なる神とは言い難いでしょう。もしそうではないのなら、それを創造したのは誰であれ、その者もまた創造主であるように思えます。

A: 神はあらゆる「もの」を創造されました。闇は「もの」ではなく、光の欠如、あるいは光の減少です。 悪も「物」ではなく、善の欠如、あるいは歪みです。穴、闇、そして悪は、神によって直接創造されたものではありませんが、それらは同語反復として、あるいは物質、光、そして善の「存在上の副産物」として現れました。同様に、影も物質、エネルギー、あるいは霊を持つ独立した「物」ではありません。それにもかかわらず、植物は影の中で枯れてしまうことがあります。したがって、影は「寄生的な存在」ではありますが、それでも確かに存在しています。


Q:創世記第1章では、神がすべてのものを「良い」ものとして創造されたとありますが、なぜ竜巻や疫病、その他の災害が起こるのでしょうか?

A: もともとすべてのものは善でした。しかし、ローマ人への手紙8章20~22節によれば、堕落以来、この地もまた「むなしさに服従させられた」ことが明らかにされています。全世界は悪者の支配下にあり(ヨハネの手紙第一5章19節)、ヨハネによる福音書12章31節および14章30節によれば、この世の支配者はサタンです。


Q:創世記第1章における宇宙論的論証とは何でしょうか?

A: まず、これを単純かつ論理的にはやや大雑把な表現で説明しましょう。

無から有を生み出すことはできません。すべての被造物は、必ず何者かによって創造されなければなりませんでした。最初に創造されたものさえも、すでに存在していた何者か、あるいは誰かによって創造されなければならなかったのです。したがって、何者か、あるいは誰かが、創造されず、永遠に存在していたに違いありません。

以下に、より厳密な定式化を示します。定義は私自身のものです。

ここでは、論理、矛盾および非矛盾、事象、過程、「~の中」、対象、集合、時間、順序、物質、エネルギー、精神、原因、「~の影響を受ける」、および「~に影響を与える」といった用語について、適切な定義を理解できる程度の知識を、読者の皆様が持っていると仮定します。

ここで「実在」とは、この宇宙に存在し、この宇宙の何かに影響を受ける能力、あるいはこの宇宙の何かに影響を与える能力を持つものと定義します。これは「存在」の定義としては狭すぎます。なぜなら、アイデアやパターン、その他の事物を考慮に入れていないからです。そこで、これを「実在」と呼び、ここでの議論を実在に限定することにしましょう。

「実在する物」とは、ここでは、実在を有する物体、あるいは物質、エネルギー、精神、またはそれらの組み合わせの集合と定義されます。論理的真理、論理的矛盾、および数学的証明は、ここでは「物」とは見なされません。

ちなみに、「寄生的な存在」とは、実在する物ではないものの、実際の存在を持つものを指します。穴、闇、欠乏、誤り、悪などは、物質、エネルギー、精神ではありませんが、影が日光を必要とする植物を枯らしたり、食料の不足が人を死に至らしめたりするように、影や食料の不足は、実在する物ではないにもかかわらず、実際の存在を持っています。

ここでいう「宇宙」とは、実際に存在する実在物の集合と定義されます。この特定の定義において、宇宙は自己完結的であり、神(神が存在し、霊であり、物事に影響を及ぼすことができると仮定した場合)は宇宙の中に存在していることにご留意ください。

ここでは、「何もない」とは、実際に存在したことがないもの、あるいは特定の時点において実在を持たないものを指します。言い換えれば、実在するものが創造される前[あるいは破壊された後]には、その実在するものは宇宙の中に存在せず、宇宙に影響を及ぼさず、また宇宙からの影響も受けません。

「原因」とは、宇宙内に実在する他の事物に影響を及ぼすため、実在を持つものと定義されます。原因が物質、エネルギー、精神、あるいはそれらの組み合わせを持つことができる場合、定義上、それは実在する事物となります。

ここで「創造」とは、新しい実在するものを生み出す出来事または過程と定義されます。創造は、「変容」とは区別されます。変容は、必ずしもそのもの自体の外部に原因を必要としません。新しい実在するものの創造には、既存の実在するものの変容や破壊が含まれる場合もありますが、必ずしもそうである必要はありません。ただし、次の点をご参照ください。

無から有は生じません。創造されたあらゆる実在には、その創造のための原因が必要です。言い換えれば、何らかのものや存在によって創造されない限り、何も創造されることはありません。原因なしに何かが創造されることはあり得ません。

何かが自分自身を創造することはできません。何ものも自分自身を創造することはできません。実在物は時に自ら変化したり、自らを破壊したりすることがありますが、何ものも自らの創造の原因となることはできません。

第一原因。創造された実在物は他の創造された実在物を生み出すことはできますが、究極的には第一原因が存在しなければなりません。言い換えれば、原因の連鎖において、原因を必要とする他のすべて的原因よりも前に、少なくとも一つの原因が存在しなければなりません。

非創造。少なくとも一つの原因には先行する原因が存在してはならず、またあらゆる創造には原因が必要であるため、実際に存在する物や存在のうち、少なくとも一つは非創造であり、創造されたことがないため、永遠の過去から存在していたことになります。

要約:存在するすべての実在物は、初めて存在し始めた時点または期間を持っているか、そうでないかのいずれかです。もし持たないならば、それは永遠であり、非被造物です。もし持っているならば、何らかの実在物がその存在の原因であったことになります。

限界:この論証は、第一原因が生き物であること、あるいは被造されない原因がただ一つだけ存在すること、さらには被造されない原因が現在も存在しているかどうかを証明するものではありません。単に、被造されることなく永遠に存在していた、実在する事物(人格的であるか非人格的であるかを問わず)が少なくとも一つ存在したことを証明するに過ぎません。

宇宙論的論証を明確に認識し、神を第一原因として論じた初期の著述家の一人に、紀元前15/20年から紀元50年までエジプトのアレクサンドリアに暮らしたユダヤ人のフィロンがいます。R.C.スプロール氏やノーム・ガイスラー氏は、宇宙論的論証に関する優れた資料を数多く提供しています。


Q:「世界の複雑さは、創造主が存在しなければならないことを示している」という論証は、論理的な結論まで突き詰められるまでは説得力があるように思えます。では、神自身の複雑さについてはどうでしょうか。もし複雑な存在には設計者が必要であるならば、神にはさらに偉大な設計者が必要となり、その規模を上げていくことになります。これはどこで終わるのでしょうか。この論証は「無限後退」に陥り、それに対する答えはありません。あるのでしょうか。
A: この論証に答える前に、まず「問題点」について詳しく説明させてください。複雑性とは別に、これは不適切な形の宇宙論的論証にも見られる問題です。もしすべてのものに原因があるのなら、神にも原因がなければならないことになります。しかし、もちろん、神が永遠であり、創造されざるお方であるならば、神の創造には原因は必要ありません。

何かには終わりがなければならないか、あるいは終わりが存在しないかのいずれかであるため、考えられる答えは二つしかありません:

a) 逆方向の連鎖に終わりは存在しない

b) 逆方向の連鎖には終わりがあり、原因を持たない第一原因が存在する。

もしa)のように、遡及の連鎖に終わりがなかったとすれば、遡及の連鎖そのものに究極的には原因がなかったことになるため、すべてのものに原因があるとは言えません。したがって、いずれにせよ、原因を持たない誰か/何かが存在することになります。

b)の場合、つまり遡及に終わりがあるならば、複雑さの程度は定かではありませんが、第一原因が存在しなければなりません。もちろん、そうなれば、神は原因を持つ存在ではなく、いかなる被造物の産物でもないということになります。

ただ、神はこの議論全体をあまりにも単純すぎるとお考えになるのではないかと思います。なぜなら、私たちは時間を軸にして原因を考えるからです。もし神が時間の中に存在するだけでなく、時間の外にも存在し、かつ時間そのものも神の創造物であるならば、神が存在する前の時間がどのようなものであったかについて語ることは、矛盾した表現(オクシモロン)になってしまうからです。


Q:創世記第1章において、神は他の存在や世界を創造された可能性はありますか?

A: 神は確かに他の存在、すなわち天使や悪魔を創造されました。そこに存在が住む他の世界を創造したことについては、聖書は私たちが知りたいと思うことすべてを教えてくれるわけではなく、知る必要があることだけを教えてくれています――そして、私たちは少なくともその部分だけは確実に読むようにしなければなりません。神は他の宇宙を創造することもできたでしょうし、おそらく天国や地獄とはそういうものなのかもしれません。


Q:創世記第1章において、神はアダムとエバが自分に背くことをあらかじめ知っていたにもかかわらず、なぜ彼らを造られたのでしょうか?

A: 彼らが罪を犯すことをあらかじめご存知であったにもかかわらず、神はなぜ人間を創造されたのかについて、いくつかのことを私たちに語っておられます。

神の栄光のため:神はご自身の栄光のために、ご自身の子供たちを創造されました。イザヤ書43章7節、61章3節。

愛すべき人々として:神は私たちを深く愛しておられます。詩篇145:9,17;ヨハネの手紙第一3:1。

神の子とするため:ヨハネの手紙第一 3:1-2;ガラテヤ人への手紙 3:28;ローマ人への手紙 8:15-17

私たちの中に住まわれるため:ヨハネの手紙第一 4:12-16;ローマ人への手紙 8:9-11

神は、だれも滅びることを望んでおられません。エゼキエル書18章23節、32節;33章11節;ペテロの手紙第二3章9節。しかし、神は、機会を与えられたにもかかわらず、自らの意志で神を拒むことを選んだ者たちを創造したことについて、後悔しておられません。神は、彼らが罪を犯すことをあらかじめご存じでありながら、それでもなお、彼らの選択に干渉したり、彼らを「創造を取り消したり」することはなさなかったのです。

おそらく、神がご自身の似姿となる存在を創造することを選ばれた理由の一部は、親が子供を持つことを選ぶ理由と似ているのかもしれません。確かに、子供にはおむつや食事など費用がかかりますし、病気や怪我、不従順によって心を痛めることもあるでしょう。しかし、そうしたすべてを経て、愛があるからこそ、それだけの価値があるのです。


Q:創世記1章1節において、神は「創造する必要があった」から創造されたのでしょうか?

A: 聖書には、この推測を裏付ける記述は一切ありません。神には、何かを創造しなければ害を受けたり、存在しなくなったりするような「必要」は一切ありません。その一方で、神には創造したいという願いがあり、神はその願いを壮大で素晴らしい規模で成就されたのです。


Q:創世記1章1節において、創世記の記述以降にもさらなる創造はあったのでしょうか?

A: 聖書にはそのどちらについても明記されておらず、神はご自身の望むままに行動される自由をお持ちです。もし神が他の被造物を創造されたとすれば、それらは天使のようなもの、堕落前のアダムとエバのようなもの、私たちのようなもの、悪魔のようなもの、動物のようなもの、あるいは全く異なる何かである可能性があります。


Q:創世記1章2節で、神の霊が水の上を動いていたとありますが、これは聖霊が知性を持つ生き物ではなく、エホバの証人が主張するように、単なる作用する力であることを意味するのでしょうか?

A: いいえ。聖霊に肉体がないことや、水の上を動けるという事実は、聖書が聖霊を人格を持つ生き物として示しているという事実と矛盾するものではありません。

以下は、ヨハネの手紙第一5章6~8節に関する議論の転載です。

「証人」とは、生き物である場合もあれば、無生物である場合もあります。エホバの証人の誤りは、聖霊には人間にはない多くの属性があるため、(無理な論理の飛躍によって)聖霊には人格が持てないという主張にあります。ヨハネの手紙第一5章6~8節は、イエスが肉体を持っていたという事実について、三つの証人があることを示しています。「血」とはイエスの十字架の死を指し、「御霊」とはクリスチャンに対する内なる証しです。 「水」とは、ヨハネによるイエスの洗礼、あるいは出生時に赤ちゃんを包む水を指している可能性があります。

以下に、聖書が聖霊の人格について教えている様々な事実を挙げます。

パラクレトス(慰め主、私たちのそばにいてくださる方)。ヨハネによる福音書14章16節、26節、15章26節

神の最も奥深い思いを知ることができます。コリントの信徒への手紙第一 2:10-11

私たちに語りかけます。使徒行伝13:2、ヘブライ人への手紙3:7

私たちに思い出させてくださいます。ヨハネによる福音書 14:26

親のように、そうすれば私たちは孤児(ギリシャ語で「オルファノス」)にはなりません。ヨハネによる福音書 14章18節

私たちを導いてくださいます。ヨハネによる福音書 16章13節

私たちに教えてくださいます。ヨハネによる福音書 14:26、コリントの信徒への手紙一 2:13

私たちのうちに住まわれます。コリントの信徒への手紙一 3:16、テモテへの手紙二 1:14、ローマの信徒への手紙 8:9,11、エフェソの信徒への手紙 2:22

私たちの心の中に。コリントの信徒への手紙第二 1:22、ガラテヤの信徒への手紙 4:6

私たちのために執り成してくださいます(無生物は祈ったり執り成したりしません)。ローマ人への手紙 8:26-27

侮辱されることがあります。ヘブライ人への手紙 10:29

キリストについて証しされます。ヨハネによる福音書 15:26

心を持っています。ローマ人への手紙 8:27

悲しまれることがあります。イザヤ書 63:10、エペソ人への手紙 4:30

選択をなさいます。コリントの信徒への手紙第一 12:11

愛を持っています。ローマ人への手紙 15:30

物事を良いと見なすことができます。使徒行伝 15:28

神の深遠な御心を究めます。コリントの信徒への手紙第一 2:9-10

私たちのために嘆き(そして気遣ってくださいます)。ローマ人への手紙 8:26


Q:創世記1章10節において、創世記1章1節ですでに地が創造されていたにもかかわらず、どうして神は地を創造することができたのでしょうか。

A: ヘブライ語の「エレス(eres)」という語は、どちらの場合も同じです。英語と同様に、「エレス」は「空の下の世界」を意味することもあれば、「地面」や「乾いた地」を意味することもあります。したがって、神は創世記1章1節で惑星を、創世記1章10節で乾いた地を創造されたのです。『聖書の難問事典』(Encyclopedia of Bible Difficulties)65~66ページをご参照ください。


Q:創世記1章と2章には、なぜ二つの創造の記述があるように見えるのでしょうか?

A: それぞれの記述で何が創造されたかを見てみましょう。創世記1章は天と地の創造であり、創世記2章はエデンの園における人間の創造です。


Q:創世記第1章やその他の箇所では、なぜ神は「エロヒム」と呼ばれているのに、創世記第2章などの他の箇所では「ヤハウェ」と呼ばれているのですか?

A: 聖書において、神には数多くの名前や称号があります。「ヤハウェ」という名は、神の公平で超越的な側面を強調する「エロヒム」という名とは対照的に、私たちとの個人的な関係に焦点を当てているようです。創世記第1章には、アダムやエバ、あるいは動物たちの名前も一切登場しませんが、創世記第2章にはそれらが記載されています。この対照はあまりにも鮮明であるため、意図的なものだったに違いありません。

古代の文化では、同じ神に複数の名前があることが一般的でした。例を挙げますと:

オシリス――ウェネフェル、ケント・アメンティウス、ネブ・アブドゥ

ベル――エンリル、ヌナムニル

シン――ナンナ

エル――ラットパン

バアル – ラルパン


Q:創世記第1章において、神は文字通りの24時間の6日間で地球を創造されたのでしょうか?

A: 地球が古いと考えるか若いと考えるかに関わらず、すべてのクリスチャンはこの質問に「はい」と答えるべきです。

全能の神は、もしお望みであれば、6日間ではなく、6秒で地球を創造することもできたはずです。重要なのは、神がどのように創造しなければならなかったかではなく、聖書と自然が、神がどのように創造することを選ばれたかを明らかにしているという点です。

ちなみに、創世記第1章において、聖書は神にとっての「一日」がどれほどの長さであるかについては述べていません。申命記9章1節は、「一日」が24時間を超える期間を指し得ることを示しており、これはモーセの時代の「一日」の理解に基づいています。詩篇90篇4節やペテロの手紙第二3章8節は、神の「一日」が非常に長いものである可能性を示唆しています。


Q:創世記第1章において、この記述とバビロニアの創造神話との類似点は、それらが共通の人間による起源を持つことを証明しているのでしょうか?

A: バビロニアの記述は、多くの物理的な詳細において類似していますが、原因という点ではほぼ正反対です。竜ティアマトの混沌と闘うマルドゥクとは対照的に、神は起こるべきことを命じられます。非聖書的な文化に何らかの真実が含まれているとしても、それは驚くべきことではありません。さらに、創世記第1章の文体は、異教の概念との意図的な対比となっているように見えます。


Q:創世記1章26節と3章22節において、唯一の真の神を指すのに、なぜ「私たち」という言葉が使われているのでしょうか?

A: 考えられる答えは二つあります。

1. 「私たち」は唯一真の神を指していますが、三位一体の間での対話においては、複数形が適切な表現であるからです。

2. 「王の『私たち』」という表現は、王や神が自分自身を指す際に用いられていました。中東の宗教であるイスラム教の例を挙げると、イスラム教のクルアーンでは、アッラーがご自身を指す際に「私たち」という表現が使われています。イスラム教徒も非イスラム教徒も、クルアーンにおける「王の『私たち』」という表現が、ムハンマドがアッラーを複数の神であると教えたことを示唆するものではないという点で一致しています。

しかし、ユダヤ人のフィロ(紀元前15/20年~紀元50年)は、『創造について』第24章第75項(p.11)において、これを「王の『私たち』」としてではなく、神が助手を用いていたと解釈しました。


Q:創世記1章26節は、バハイ教徒が『いくつかの回答された質問』p.8,9で教えているように、私たちが神の完全性を獲得し、神の祝福の的となるよう教育されるべきであることを意味しているのでしょうか?

A: いいえ、そうではありません。なぜなら、創世記1章27節には、神が創世記1章26節で言われたとおりにされたと記されているからです。アダムとエバが創造されたとき、彼らは堕落する前は完全に罪がなく、教育を必要としませんでした。私たちは依然として神のかたちに造られていますが、創世記1章26~28節は、神がすでに成し遂げられたことを指しているのです。


Q:創世記1章26節は、ケネス・ヘイギンや一部の「言葉の信仰」の教師たちが言うように、人間自身が「小さな神」であることを意味しているのでしょうか?

A: いいえ。創世記にある言葉は「~である」ではなく「~のようだ」です。ワード・フェイス派の教師たちでさえ、私たちのような被造物が決して崇拝されるべきではないという点には同意するでしょう。アダムとエバの肉体には、失う可能性のある不死、損なわれる可能性のある義、そして古くなった果物のように捨て去ってしまう可能性のある、神への完全な愛が与えられていました。


Q:創世記1章26~27節の記述は、三位一体の構成員同士の会話だったのでしょうか、それとも天使のような被造物との会話だったのでしょうか?

A: 天使たちもこの言葉を耳にしていた可能性はありますが、これは三位一体の神々による対話でした。私たちの創造は、天使たちの業ではなく、三位一体の神による業でした。これが天使たちによるものではないと指摘した最初のキリスト教著述家は、ユスティヌス・マルティル(紀元138年頃~165年頃)であり、その著書『ユダヤ人トリフォとの対話』第62章228ページに記されています。


Q:創世記1章26~27節において、神は人間を天使よりも高い存在として造られました。では、神は後に人間よりも高い存在を造られる可能性はあるのでしょうか?

A: 聖書にはそのどちらについても明記されておらず、神はご自身の望むことを自由に行われるお方です。しかし、聖書は、信者たちが「神の子」であり、私たちが「キリストと共に支配し」、「キリストと共に座に就く」と述べています(エペソ人への手紙2章6節)。有限な被造物が、それよりもはるかに高い存在になることは難しいでしょう。


Q:創世記1章26節において、アダムはウォッチマン・ニーが『魂の潜在力』(1933年、15ページ)で教えたように、私たちよりも100万倍も優れた能力を持つ「超人」だったのでしょうか?

A: 聖書は、このような奇妙な推測を決して教えていません。また、ウォッチマン・ニーが同書の18ページで教えたように、アダムが外見上すでに神のようであったとも、聖書は決して教えていません。残念ながら、人々はしばしば、神が実際に語られたことに、自分自身の教えを付け加えようとします。


Q:創世記1章26節において、もし私たちが神のかたちに造られたのであれば、それは神(あるいは少なくとも父なる神)が人間の肉体をお持ちであることを証明することになりませんか?(モルモン教徒はこれについて言及しています。)

A: 聖霊には肉体がないこと、またイエスも当時は肉体を持っていなかったことについては、ほとんどの人が同意するでしょう。「私たち」が父、子、聖霊との対話を指しているのなら、「像」は単なる肉体を指すものではありません。ちなみに、創世記9章6節は、堕落の後も、私たちには依然として神の像が残っていることを示しています。


Q:創世記1章27節において、堕落の後も、人間は依然として神のかたちに造られているのでしょうか?

A: はい。創世記9章6節には、大洪水の後、私たちは罪によって傷つけられているとはいえ、依然として神のかたちを帯びていることが示されています。


Q:創世記1章28節では、人間は地を満たし、それを支配するように命じられていますが、これは人間が環境を破壊してもよいという許可を与えたということになるのでしょうか?

A: 決してそうではありません! そのような解釈で聖書を読むクリスチャンやユダヤ人の話は、これまで聞いたことがありません。1967年に初めて提唱されたこの新しい解釈[末尾のカイザーの参考文献を参照]は、創世記1章の一部を読み、「治める」を「賢明に統治する」ではなく「破壊する」と定義した場合にのみ、理にかなっているように見えるだけです。 実際、聖書は土地や動物の世話について、6つの重要なことを述べています。

1. 彼らは、本来は神に属する土地の「借地人」でした

1a. したがって、土地を永久に売却することはできませんでした(レビ記 25:23)

1b. すべてのものは神に属しています(詩篇24:1)

2. 神は、土地を汚す者たちを総じて裁かれます

2a. イザヤ書24章5節には、地がその住民によって汚されたと記されています。

2b. ゼカリヤは、雄大な森や豊かな牧草地の破壊を嘆きました。さらに、彼は、これらの自然災害が象徴する霊的な災難についても嘆きました。(ゼカリヤ書 11:1-3)

3. 神は、この地を物理的に汚すことを非難されます

3a. 神は、地を破壊する者たちを滅ぼされます。(黙示録 11:18)

3b. 神は、必要な分だけを食べるだけでなく、牧草地の残りを踏み荒らす「羊」たちを裁かれます。彼らは澄んだ水を飲むだけでなく、足で残りの水を濁らせてしまうのです。(エゼキエル書 34:17-22)

3c. 民数記5:3では、伝染病という文脈において、陣営を汚してはならないと述べられています。

3d. 戦争中であっても、その土地を実り豊かにする果樹を伐採してはなりません(申命記 20:19-20)。オリーブの木は1,000年以上も生きることができます。

4. 神は、悪によって地を汚すことを非難されます

4a. 民数記35章33~34節は、人を殺すという文脈において、「地を汚してはならない」と命じています。

4b. 偶像崇拝によって土地を汚してはなりません(エレミヤ書 16:18)。

4c. エレミヤ書32章34節では、人々が乳児の生贄によってトフェトの谷を汚したことが記されています。

4d. エゼキエル書7章22節では、悪しき者たちが神の尊い場所を汚すと記されています。

5. 神の律法には、賢明な資源管理が含まれています

5a. アダムは「エデンの園に置かれ、それを耕し、守るように」と命じられました(創世記 2:15)。

5b. 二種類の作物を一緒に植えてはなりません(申命記 22:9)。その代わりに、作物を交互に栽培することで、害虫の被害を減らすことができます。

5c. 7年ごとに、またヨベルの年には土地を休ませること(レビ記25:3-7,11-12,18)。

5d. 神は、この規則に背いたイスラエルを裁かれます(レビ記 26:34-35)。

6. 動物:神の所有物であり、私たちのために造られたものですが、私たちは動物を親切に扱わなければなりません

6a. 動物は神のものであり(詩篇 50:10)、神がそれらを顧みておられます(詩篇 36:6;104:11,14;147:8-9)。

6b. 肉を食べることは問題ありませんし、場合によっては命じられています(創世記 9:2-5;使徒行伝 10:13)。

6c. イエス様は罪のない方でした(ヘブライ人への手紙 4:15;7:26;ペテロの手紙一 2:22;ヨハネの手紙一 3:5)。イエス様は魚を食べられました(ルカによる福音書 24:42-43)し、良きユダヤ人として、過越の祭りの間に命じられた通りに肉を食べられました(出エジプト記 12:8-10)。

6d. 革製品を身につけることは問題ありません。マルコによる福音書1章6節で、洗礼者ヨハネが革の帯を身につけていたことからもわかります。

6e. 狩猟は問題ありません(レビ記 17:13)。

6f. 犠牲のために動物を殺すことは、むしろ命じられていました(出エジプト記~申命記)。

6g. 私たちは動物に親切にすべきです(箴言 12:10)。


Q:創世記1章28節において、聖書は神からの賜物である環境を浪費すべきだと明示してはいませんが、キリスト教は暗に、環境を破壊してもよいと教えているのでしょうか?

A: いいえ。貪欲や人口過多によって引き起こされた生態系の問題を、キリスト教のせいにすることはできません。それは、アフリカのアニミズム信者、インドのヒンドゥー教徒、中国の無神論者、あるいはインドネシアや中東のイスラム教徒のせいにするのと同じくらい不適切です。すべての大陸に生態系の問題が存在するように、すべての大陸には、個人的な利益のために環境を犠牲にする人々が存在します。聖書が環境について実際に何を述べているかについての議論については、前の回答をご覧ください。


Q:創世記1章29節において、アダムとエバには種を持つすべての植物が与えられたのでしょうか、それとも、創世記2章17節にあるように、善悪の知識の木の実を食べてはならないとされていたのでしょうか?

A: 善悪の知識の木に種があったかどうかは分かりませんが、それはここでは関係ありません。いずれにせよ、その意味は、善悪の知識の木を除いて、種を持つあらゆる植物を食べることができたということです。


Q:創世記1章29節で、すべての植物が人間によって食べられるとされているとしたら、食べられない有毒な植物や種子も存在するにもかかわらず、聖書はどのようにして論理的かつ合理的であると言えるのでしょうか?(あるイスラム教徒がこの点を指摘しました)

A: クルアーンの第5章46~48節には、イエスがトーラーと福音書を確証したと記されています。イエスが、誤りであり神からのものではないものを確証したとするのは、イスラム教徒にとって非常に重大な非難です。しかし、この異議に対して答えるならば、それが「あらゆる植物」と解釈されたにせよ、「あらゆる草や穀物」と解釈されたにせよ、神は堕落の前、つまり地が呪われる前に、このことをアダムに告げられました。アダムとエバが罪を犯したとき、自然は根本的に変化したのです。 堕落以前、神はアダムとイブに地を治める権威を与えられましたが、彼らが蛇の誘惑に従って罪を犯したとき、サタンはこの世の君主(王ではありませんが)となりました。しかし、この堕落は興味深い点を浮き彫りにしています。もし今日のイスラム教徒が預言者たちは罪がないと言い、アダムとイブが罪を犯して私たちすべてに呪いをもたらしたとするならば、なぜイスラム教徒はアダムを預言者だと言うのでしょうか?


Q:創世記2章2~3節において、なぜ神は第七日に御業から休まれたのでしょうか?

A:ここでの「休まれた」とは、創造の業を中断することを意味します。神は疲れることはありません(イザヤ書40章28節)。聖書は、神が休む必要があったとは決して述べておらず、神がそうすることを選ばれたと記しています。


Q:創世記2章2節において、安息日の概念はバビロニアに起源を持ち、後にユダヤ教の伝統に加わったものなのでしょうか?

A: 答えは二つあります。一つはキリスト教徒の方へ、もう一つは非キリスト教徒の方へのものです。

1. (キリスト教徒の方へ):イエスの復活によって証明されているように、イエスが神から遣わされた方であると仮定するならば、イエスは旧約聖書の原本の正確さと保存された信頼性を受け入れておられましたし、創世記やエレミヤ書における安息日に関する記述がイエスの時代より前に書かれたものであることが証明できるため、それはバビロニアの発明ではなく、これ以上説明する必要はありません。

2. (非キリスト教徒の方へ):バビロニア人は、月の15日を「サッパトゥ」と呼んでいました。もちろん、それは月に1日だけであり、4日ではありません。19ページで、アシモフ氏は、バビロン捕囚以前の時代には安息日がイスラエル人にとってさほど重要ではなかったのに対し、捕囚以後の時代には極めて重要であったことに鋭く気づいていました。 しかし、バビロニア時代のユダヤ人や捕囚後のユダヤ人が、a) 自分たちの聖書には存在しない戒めに従わなかったために捕囚となったと信じ込まされ、b) この概念が59箇所(そのうち35箇所はトーラー内)に追加されたにもかかわらず、誰もその新しい概念に気づかなかった、と一様に「だまされていた」と仮定するのは、信憑性に欠けます。 ちなみに、すべてのユダヤ人がバビロニアへ移住したわけではありません。エレミヤ書によれば、代わりにエジプトへ行った人々もいたと記されています。旧約聖書をギリシャ語に翻訳したのは、そのユダヤ人の子孫たちであり、ギリシャ語のセプトゥアギンタ訳にも安息日に関する節が含まれています。

聖書に誤りがあることを示し、聖書に従う必要がないことを証明することが極めて重要だと考える人にとっては、聖書の誤りに関するあらゆる憶測が、完全に信憑性のあるものに見えるかもしれません。しかし、アイザック・アシモフでさえ、この説を単なる誘惑に過ぎないとしか言及しなかったことから、少なくともこの説の根拠の薄弱さを認識していたのです。


Q:創世記2:4、5:1、6:9、10:1、11:10、11:27、25:12、25:19、36:1、36:9、37:2、民数記3:1; ルツ記4章18節において、ヘブライ語の単語(Toledot)は、節の冒頭にあるのでしょうか、それとも節の終わりにあるのでしょうか?

A: 常に「始まり」を指す場合、常に「終わり」を指す場合、あるいは場合によってどちらにも解釈される場合があります。

曖昧な例:以下は、どちらの解釈も可能である「tole dots」の例です:創世記 2:4、5:1、36:9、37:2。

冒頭:文脈上、冒頭にあることが求められる「tole dots」の例を以下に挙げます:創世記 6:9;10:1;11:10;11:27;25:12;25:19;36:1;民数記 3:1。 ユダヤ人のフィロン(紀元前15/20年~紀元50年)は、『創造論』44:129 p.18において、創世記2:4を「彼[モーセ]の世界創造に関する記述を要約したもの」として言及しています。

最後に:節の末尾に位置することが証明できる「toledot」は一つもありません。したがって、曖昧な節は、おそらく冒頭に「toledot」があるものと考えられます。

「tole ドット」が節の冒頭にあることを示す最も決定的な証拠は、創世記25章19節です。そこには、これがイサクの物語であると記されています。その直後の節ではイサクの子らについて語られており、直前の節ではイシュマエルについて語られており、イサクとは全く関係がありません。


Q:創世記2章5~7節において、神は植物を人間の後に創造されたのでしょうか、それとも創世記1章12節、26節にあるように人間の前に創造されたのでしょうか?(カペラという名の無神論者がこの質問をしました。)

A: 回答において考慮すべき点が3つあります。

1. 植物が先:創世記1章では、植物が人間に先立って地上に創造されたと明確に記されています。もちろん、これには現代のすべての植物の祖先も含まれます。

2. 「世界」と「園」の違い:創世記1章は天と地の創造の記述であるのに対し、創世記2章はエデンの園の創造の記述です。

3. 人間に続いて現れた作物:創世記第2章は、少なくともエデンの園においては、野の低木が人間に続いて現れたことを示しています。どちらの箇所でも、単に「植物」と言うのではなく、ヘブライ語で「野」を意味する「サダイ(saday)」という言葉が使われています。

ちなみに、『ワイクリフ聖書考古学辞典』(p.23)によると、ベエル・シェバで、紀元前4000年頃の焼けた小麦、大麦、レンズ豆、ブドウの粒が発見されたとのことです。


Q:創世記2章5~7節において、今日私たちが使用している穀物や、過去に使用されていた穀物にはどのようなものがあるのでしょうか?

A: 穀物といえば、小麦、米、トウモロコシという3大食糧作物を思い浮かべる方が多いですが、実際には、1週間、1日3食を食べても、毎食異なる穀物を食べることができるほど種類が豊富です。

トウモロコシ:考古学者の研究によると、トウモロコシは紀元前5000年頃に新大陸で栽培化されたとされています。コロンブスが到着する以前、ヨーロッパ、中東、アフリカ、アジアにはトウモロコシは存在しませんでした。 トウモロコシは、テオシントと呼ばれる穀物が起源です。テオシントには約50粒の穀粒が緩やかに付着しており、穂の長さは1インチ未満でした。対照的に、現在のトウモロコシは、1本の穂に500~1,000粒の穀粒が密に付着しています。穀粒が密に付着しているため、現在のトウモロコシは人間の助けなしでは野生で生育することができません。

小麦:考古学的な調査により、紀元前7,000年頃のイラクを含む中東地域で、小麦の祖先となる品種が発見されています。これは「エンマー」と呼ばれ、風が吹くと種子が散ってしまいます。現在、小麦には数千もの品種が存在します。「カムット」(=ホラサン、=ツタンカーメン王の小麦)は、おそらくデュラム小麦の一種であると考えられています。 余談ですが、小麦とトウモロコシの栽培開始時期の2,000年の差を、スペイン人がアメリカ大陸にやって来た際、先住民の文化がヨーロッパの文化より1,000年から2,000年遅れていた理由の2つのうちの1つ(もう1つは馬の存在)と見なす人もいます。

三大穀物の中で、米は最も新しく登場したものです。紀元前3500年頃に栽培化されました。

エンマー(=エンマー小麦、=ファロ)は、紀元前9800年から8800年という早い時期に、中東の土器以前の遺跡から発見されています。栽培化されたエンマーは野生種のエンマーとは異なりますが、野生種のエンマーに由来しています。その後、エンマーはヨーロッパやインドへと広まりました。

スペルト小麦の起源は、やや謎に包まれています。小麦の栽培が始まる以前から、ローマ帝国、イギリス、アジアで栽培されていました。エマー小麦と小麦の交雑種である可能性もあれば、エマー小麦と野生ヤギグサ(Aegilops tauschii)の交雑種である可能性もあり、あるいは二つの起源を持つ可能性もあります。スペルト小麦の起源は紀元前6,000年頃であるとする説もあります。

ソルガムは、アフリカ原産のイネ科植物に由来します。見た目はトウモロコシ( maize)にやや似ています。ソルガムは、現在栽培されている8大穀物の一つであり、現在は家畜の飼料として利用されていますが、人間が消費する作物としてはおそらく第5位の規模を占めています。

大麦は、おそらく紀元前8,000年頃、イスラエル・ヨルダン一帯で初めて栽培されたと考えられています。その後、東へ広がり、ヒマラヤ山脈まで到達しました。

ライ麦は、小麦の栽培化の直後に、トルコ東部のアララト山とヴァン湖周辺で栽培が始まったと推測されています。ライ麦は、小麦や大麦が育たないような場所でも生育します。

オート麦については、紀元前2,000年のエジプトの墓から一部が発見されたこと、そしておそらく小アジアで栽培が始まったこと以外、ほとんど知られていません。

ソバ(Fagopyrum esculentum)は、西暦1000年頃、中国の雲南省および四川省で初めて栽培されました。収量は高くありませんが、成熟が早く、乾燥した涼しい気候に適しています。少なくとも14品種が存在します。

パーマーグラス(=ニパグラス、=Distichlis palmeri)は、メキシコ西部および米国西部のソノラ砂漠でのみ栽培されていました。これはココパ族の主な食料源でした。乾燥した環境でも生育し、海水を吸収して塩分を排出できる点を除けば、小麦と多少似ています。

ミレットとは、乾燥した環境での栽培に適した、種子が小さい食用イネ科植物の総称で、少なくとも13種類があります。ブルームコーンなどのミレットは、古代の中国や韓国においても主要な穀物でした。 ミレットの種類には、バーンヤードミレット、ブルームコーン、ブラウントップミレット、フィンガーミレット、フォニオ、フォックステールミレット、日本ミレット、ヨブズティアーズ、コドミレット、リトルミレット、パールミレット、プロソミレット、テフなどがあります。詳細については、http://en.wikipedia.org/wiki/Millet をご覧ください。

ジャガイモは穀物ではありませんが、現在では4番目に大きな食用作物となっています。その起源は、紀元前6,000年頃、ペルーとボリビアのティティカカ湖周辺地域にあると考えられています。

その他の穀物以外の作物には、豆類、豆類作物、大豆、落花生、キャッサバ、サツマイモ、エンドウ豆、パンノキ、ココナッツ、バナナ、プランテン、タロイモなどがあります。ケサリの種子はインドで栽培されていましたが、長期的な麻痺作用があります。


Q:創世記2章7節において、神は物質を創造されたのでしょうか、それとも多くのモルモン教徒が教えるように単にそれを「整えた」だけなのでしょうか。あるいは、クリスチャン・サイエンスや一部の東洋の宗教団体が教えるように、物質は実在するものではないため、創造されていないものなのでしょうか?

A: いいえ。神は全能であられるということは、神は何でもできるということですし、神が創造主であるということは、神がすべてのものを創造されたということです。神は宇宙を「無(ex nihilo)」から、つまり何もないところから創造されました。したがって、正確に言えば、神は「物質やエネルギーのもの」を創造されただけでなく、物質やエネルギーそのものを創造されたのです。


Q:創世記2章7節、19節において、神は動物よりも先に人間を創造されたのでしょうか、それとも創世記1章24節、27節にあるように、動物の後に人間を創造されたのでしょうか?(無神論者(カペラ)からの質問です)。

A: 回答において考慮すべき点が3つあります。

地上においては、創世記1章24節、27節にあるように、神は動物の後に人間を創造されました。

エデンの園においては、神は人間に動物たちを見せる前に、人間を創造しておられたに違いありません。

エデンの園においてさえ、動物たちは人間よりも先にそこにいた可能性があります。創世記2章19節は、その時点で既に創造されていた動物たちについて言及しています。それは、動物たちがその時点まで創造されていなかったという意味ではありません。


Q:創世記2章7節は、エホバの証人が主張するような不滅の魂を人間が持っていないことを証明しているのでしょうか?

A: いいえ。ここでのヘブライ語「ネフェシュ」は、場所によっては「魂」を意味しますが、この箇所のように「命」を意味する場合もあります。もし死後の存在がなかったとしたら、黙示録6章9~10節に登場する祭壇の下にいる信者たちは、どうして祭壇の下にいられるのでしょうか。


Q:創世記2章10~14節にある、エデンの園から流れ出ていた川は、どこにあるのでしょうか?

A: まず第一に、エデンの園は今日の地球上には存在しません。ピション川がどこにあったのかはわかっておらず、チグリス川とユーフラテス川はトルコ、シリア、イラクに流れています。 ギホン川は通常、エジプトの南にあるクシュ地方から流れていたナイル川であると考えられています。しかし、ティグリス川やユーフラテス川に非常に近い、エラム西部の「クシュ」(カシュシュ)を源流とする、より小さな川であった可能性もあります。カッシート人(ギリシャ語:コッサエ人)は、その地出身でした。


Q:創世記2章15節で、なぜ神は「あなた(単数形)は園のどの実でも食べてよいが、あなたたち(複数形)は善悪の知識の木の実だけは食べてはならない」とおっしゃったのでしょうか?

A: 二人とも、どの木からでも自由に選ぶことができました。同じものを食べなければならないというわけではありませんでした。しかし、その一本の木からは、どちらも食べてはならないとされていました。「あなたたち」という複数形は強調を表しており、この命令はアダムだけに向けられたものではなく、すべての人に向けられたものでした。

ユダヤ人のフィロ(紀元前15/20年~紀元50年)が、『創世記に関する問答集』第1巻794ページで、この問いに初めて答えました。


Q:創世記2章16節において、神はアダムが堕落することを知っていながら、なぜアダムを創造されたのでしょうか?

A: 神はあらゆることをなさることができますが、論理的に不可能なことは存在しません。神は、神への愛ある従順を選ぶ存在を、その存在が神に従うことを選ぶ能力を持たない限り、創造することはできません。神に従うことを選ぶことができるということは、神に背くことを選ぶことができるということなのです。


Q:創世記2章17節には、「それを食べるその日、あなたは必ず死ぬ」とありますが、アダムとエバは「その日」どのようにして死んだのでしょうか?

A: 霊的および法的な意味でです。その答えには、3つのポイントがあります。

その日、霊的な死が起こりました。

法的な意味では、その日、彼らに対して永遠の死と肉体的死の両方の判決が言い渡されました。『聖書の難解な言葉』(Hard Sayings of the Bible)91~92ページにおいて、ウォルター・カイザー・ジュニア氏は、このヘブライ語の慣用表現が、死の即時性ではなく、死の確実性を意味していることを示しています。

この慣用表現の使用例としては、列王記上2章37節も参照してください。そこでは、ソロモンがエルサレムを去る日にシメイに対して同様の警告を与えています。

この問いに対して回答を残した最初の人物として知られているのは、ユダヤ人のフィロン(紀元前15/20年~紀元50年)です。『創世記に関する問答』第1巻794ページおよび『寓意的解釈』第1巻33(105)46~47ページにおいて、彼は魂の死について言及しています。

これとは異なる答えを示したもう一人の古代の著者は、イレネウスです。『異端反駁』第5巻第23章(西暦182~188年)p.551-552にその記述が見られます。 イレネウスは、「主にとっての一日は千年にあたる」と記しているため、これを神の一日として解釈しており、創世記5章5節でアダムが930歳の時に亡くなったと記されていること(これは1,000年未満です)を重要な点として捉えています。


Q:創世記2章18節では、人は神と動物たちの両方と共にいたはずなのに、なぜ「人は独りだった」と記されているのでしょうか?

A: アダムは確かに動物たちを支配しており、神を礼拝していましたが、アダムには自分と同じような存在が他にいませんでした。対等な立場で水平的な関係を築ける相手が誰もいなかったという点で、彼は「独り」だったのです。


Q:『Born Again Skeptic』の164ページで主張されているように、創世記2章18~22節は、女性が後付けで創造されたことを示しているのでしょうか?

A: いいえ、むしろその正反対を示しています。神は、アダムに動物に名前を付けさせるなどして、かなりの時間をかけ、アダムに配偶者の必要性を示されたのです。創世記第1章と第2章の記述のほとんどは、ほとんど説明なしに単に創造されたものです。しかし、神はエバを創造する前に、まず「舞台を整え」、彼女がアダムの協力者としての役割を果たすことを説明されたのです。


Q:エバはアダムとは異なる方法で造られたことから、創世記2章18節は、女性が男性より劣っていることを示しているのでしょうか?

A: いいえ、そうではありません。その答えとして、以下の6つの点を考慮すべきです。

1. 異なるからといって、不平等であるとは限りません。人によって話す言語は異なりますが、だからといって、ある言語が別の言語より劣っている、あるいは優れているということにはなりません。あるクリスチャンが述べたように、エバはアダムの足から造られて彼に従属するためでも、頭から造られて彼より上位に立つためでもなく、脇から造られて彼と共にいるためでした。

2. 「助け手」は劣っていることを意味しません。創世記2章18節でエバが「助け手」とされていることから、エバはアダムより劣っていると考える人もいるかもしれません。しかし、詩篇70篇5節では、神が私たちの「助け手」(同じヘブライ語)とされていますが、これは神が私たちより劣っているという意味ではありません!したがって、ヘブライ語を「助け手」と訳すのは、むしろ不正確です。 ウォルター・カイザー氏が著書『聖書の難解な言葉』(Hard Sayings of the Bible)92~94ページでヘブライ語を詳細に研究した結果によると、より適切な訳は「私は、人にふさわしい力[あるいは強さ]を造る」となります。したがって、女性は単なる助手ではなく、「対等なパートナー」となるのです。

3. 創世記1章27節は、男女双方が神のかたちに造られたことを示しています。神のかたちに造られたのはアダムだけではなく、男性も女性も共に神のかたちに造られているのです。 ちなみに、「神のかたち」であるということは、決して神が二本の足、二本の手、お腹などを持つことに限定されているという意味ではありません。むしろ、二次元の画像が実在する三次元の物体の不完全な輪郭であるように、無限の神の性質と私たちの有限な存在との間には、いくつかの類似点があるということです。

4. 本質、価値、重要性などが等しいこと。聖書のガラテヤ人への手紙3章28節には、「ユダヤ人もギリシャ人も、奴隷も自由人も、男も女もありません。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからです。」(BSB)とあります。

5. しかし、役割は異なります。エペソ人への手紙5章22~24節には、夫が妻の頭であるため、妻は夫に従うべきであると記されています。また、エペソ人への手紙5章25~26節には、夫はキリストが教会を愛されたように、妻を愛すべきであるとあります。さらに、パウロはテモテへの手紙第一2章12節で、女性は男性を教えたり、男性に対して権威を行使したりしてはならないと述べています。

6. これは実際にはどのように機能するのでしょうか?

6.1 デボラは『士師記』4章から5章に登場する、敬虔なイスラエルの裁判官でした。この事実に基づけば、女性を大統領や首相に選出することに何ら問題はありません。

6.2 民数記36章8節やヨブ記42章15節に見られるように、女性は土地を含む財産を相続することができました。

6.3 妻がどのようにして夫と対等なパートナーとなるべきかについて、より詳しく知りたい方は、箴言31章10節から31節をお読みください。そこには、とりわけ次のように記されています。

彼女は自分の手で働き(箴言31章13節、22節)、その働きによって利益を得ています(箴言31章24節、31節)。

彼女は食料を買い求め(箴言31:14)、料理をします。箴言31:15

彼女は他の人々を管理します(箴言31:15)。

箴言31章16節では、彼女自身が不動産を購入することを決断しています。

彼女はぶどう園を植えます。(箴言31:16)(なお、家族が個人的な消費のためだけにぶどう園全体を所有することはなく、それは利益の源であったことにご留意ください。)

彼女は体力が強いです。箴言31章17節

彼女はまた、単なる生活必需のためだけでなく、利益を得るために商売も行います。箴言31:18

彼女自身が貧しい人々に施しをします。(そうするためには、お金の管理権を持っていなければなりませんでした。)箴言31:20

彼女は家事を管理します。箴言 31:21

彼女は賢く、知恵を教えます。箴言31:26

要約すると、女性は、本質、価値、重要性のいずれにおいても、男性に劣るものではありません。ただし、男性とは異なる役割を担っていることは事実であり、それは妊娠中の女性なら誰でもお分かりいただけるでしょう。

女性がどのようにして男性に「似せて」造られ、男性と等しい存在となったかについては、『今日の聖書の難問解決ハンドブック』191~193ページもご参照ください。


Q:創世記2章19節で、なぜアダムはそこにいるすべての動物を見る必要があったのでしょうか?

A:神は創世記1章26節で、アダムにすべての動物に対する支配権を与えられました。そして、創世記2章19節において、神はアダムが動物たちにどのような名前をつけるかを見たいと願われたのです。

これに加え、もっと微妙な理由があったのかもしれません。エバを造る前に、神はアダムに欠けているものを補うことの重要性を認識されていましたが、アダム自身はそれに気づいていませんでした。したがって、アダムは自分の現在の状況に関連して、動物たちについて三つのことを学ぶことができたのです。

家族:

a) すべての高等動物にオスとメスがいることをアダムに見せることで、神がそれらをいかに完全な存在として造り、種を繁栄させられるようにされたかが示されました。

b) アダムはすべての生き物を見て、自分と同じようなものは一つもないことに気づくことができました。

c) アダムは、自分も完全になるためには、もう一人の存在が必要であることを理解できたのです。

ちなみに、植物や動物がどのように繁殖するかを子どもたちに教えることは、神様がどのようにして子どもを造られたかを教える上で、良いアプローチとなります。

共同体:

a) 犬や鹿でさえ、彼らが暮らす共同体を持っています。

b) アダムは、自分の人生を分かち合えるような、自分と同じような存在がコミュニティの中にいないことに気づきました。そして、人は周囲に他の人がいてこそ生きられるのです。

リーダーシップ:

a) 神はアダムに地を治める権威を与えられたため、アダムは地上に生息する動物たちについて知る必要がありました。

b) アダムには支配権が与えられていたため、神はアダムに動物に名前を付けるよう命じ、彼を称えました。ユダヤ人のフィロは、『フィロの著作集』882ページでこのことについて言及しています。


Q:創世記2章19節~3章19節について、初期のモルモン教の文献には、モルモン教徒が「アダムは神である」という荒唐無稽な教義を信じていたことを示す証拠はどのようなものがありますか?

A: 以下に、モルモン教の『ディスカース集』からの引用を挙げ、その後に証拠として他の12の文献を挙げます。

a. 『説教録』第1巻 p.50。(ブリガム・ヤングによる説教)「さあ、地上の住人よ、ユダヤ人であろうと異邦人であろうと、聖徒であろうと罪人であろうと、よく聞きなさい! 私たちの父であるアダムがエデンの園に入ったとき、彼は天の体をもってそこに入り、妻の一人であるイブを連れてきました。彼はこの世界の創造と組織化に協力しました。 彼は大天使ミカエル、すなわち『古き日々の者』その人です! 聖なる人々が書き記し、語り伝えてきたその方こそが、 彼こそが私たちの父であり、私たちの神であり、私たちが関わるべき唯一の神です。地上のすべての人々、キリスト教徒を公言する者もそうでない者も、このことを聞き、遅かれ早かれそれを知るようになるでしょう。」(イタリック体およびスモールキャップスは原文のまま)

b. 『ディスカース集』第1巻、51ページ。(同じ説教)「私たちの兄であるイエスは、エデンの園におられた方、すなわち私たちの天の父である方によって、肉において生み出されました。」

なお、モルモン教徒はしばしば、これは印刷上の誤りであると反論します。興味深いことに、偉大なキリスト教説教者チャールズ・H・スポルジョンの著作集がほぼ同時期に出版されましたが、スポルジョンの著作には、ある被造物が神であるとするような印刷上の誤りは一切見当たりませんでした。以下に、モルモン教の預言者が実際にこのように述べたことを裏付ける証拠を挙げます。

1. ウィルフォード・ウッドラフの日記(1854年2月19日の記述)。(BYU図書館で参照してください)

2. 『デゼレット・イブニング・ニュース』 1873年6月14日

3. 『デゼレット・イブニング・ニュース』 1873年6月18日

4. 『ホセア・スタウトの日記:フロンティアにて』第2巻、438ページ。

5. 『ミレニアム・スター』第16巻、543ページ。

6. 『ミレニアム・スター』第15巻、769~770ページ。この出来事から1年半後。

7. 『ジョン・ナットールの日記』第1巻、18~21ページ。

8. 『アブラハム・H・キャノンの日記』第11巻、39ページ(50年間教鞭を執りました)

9. 『末日聖徒イエス・キリスト教会のための聖なる賛美歌と霊的な歌』1856年、375ページ

10. 『モルモン教の女性たち』p.179

11. 『説教録』第4巻、1ページ(1856年6月29日、ヒーバー・C・キンボール会長の説教)

「……そして、私たちが指導者であるブリガム兄弟と一つになっていなければ、キリストとも一つにはなれないことも、私は知っています。はい、私はこれを承知しており、私の心は常にブリガム兄弟と共にありました。 私は経験を通じて、この民に関わる神はただお一人しかおらず、その方はこの地に関わる神、すなわち 、最初の男であることを学びました。その最初の男は、世界を贖い、その兄弟たちを贖うために、御自身の御子を遣わされたのです。」

12. 最後に、はるかに後の時代の書物をご紹介します:

『L.D.S.の聖典と神学におけるアダムの位置づけ』:「ブリガム・ヤング会長による、アダムと父なる神との同一視は、反論の余地のない事実です。」p.58


Q:創世記2章20節において、禁断の果実が「アップル・マッキントッシュ」のコンピュータでなかった限り、どうしてアダムはすべての動物に名前をつけることができたのでしょうか?

A:ある人がかつてこう冗談を言いました。「もしアダムが第六日の24時間以内に、すべての動物の種(150万種の虫や昆虫を含む)に名前をつけなければならなかったのなら、私たちが禁断の果実を、ハードドライブまで含めた『アップル』と間違えてしまうのも無理はありませんね!」

一方、ポール・S・テイラー氏は、創世記2章20節にある「すべての家畜、空の鳥、野のあらゆる獣に名前をつけた」という表現は、必ずしも地球上のすべての種に名前をつけたことを意味するわけではないと正しく指摘しています。それは単に、アダムのすぐ近くにいる動物の属や科に名前をつけただけのことかもしれません。

雑学がお好きな方のために申し上げますと、地球上には約26,000種の現生陸生脊椎動物および鳥類が存在し、9,500種の既知の化石種があります。(化石種のうち、ほぼ半数は爬虫類で、1,000種は鳥類でした)。

現存する陸生動物の属は約5,600あり、そのうち1,900属が鳥類です。既知の化石陸生動物の属は約6,500あり、そのうち約1,000属が鳥類、1,500属が爬虫類です。


Q:創世記2章21~23節において、エバが創造される前、アダムは男性でもあり女性でもあったのでしょうか?

A: 聖書には、それを示唆する記述は一切ありません。『創世記』3章16節には、夫が妻の頭となることが記されています。これは堕落後の出来事であるため、エバが造られる前のアダムがどれほど「男性」であったかは、何の関係もありません。しかし、教会の権威全般に関して言えば、パウロは『テモテへの手紙第一』2章13節において、アダムがエバより先に造られたことを重要な点として捉えています。もしアダムが男性と女性の両方の性質を持っていたとしたら、パウロの主張は誤解を招くものとなってしまいます。


Q:創世記2章21~23節にある、エバが肋骨から造られたという記述は、シュメールのディルムン詩から取られたものなのでしょうか?

A: いいえ。まず背景情報を説明し、次に答えを述べ、最後にその答えから、神がどのように聖書を霊感されたかについて学べる二つの教訓を挙げます。

B1. サミュエル・ノア・クレイマーは、『The Sumerians』(シカゴ大学出版局、1963年)の中で、シュメール語で「肋骨」を意味する「ti」という単語が「生かす」という意味も持つこと、またディルムン詩において、ニン・ティは「肋骨の女神」であると同時に、神エンキの病んだ肋骨を癒した「生かす女神」でもあったと述べています。

B2. これはシュメール語では駄洒落ですが、ヘブライ語ではそうではありません。そのため、この類似性は非常に際立っています。

B3. 『創世記』における「肋骨を癒した女神」と「アダムの肋骨から生まれたイブ」という対比を除けば、この二つの物語の間に他の類似点は見当たりません。シュメールの物語については、『The Sumerians』148~149ページ、あるいは『Hard Sayings of the Bible』94~95ページをご参照ください。

B4. ディルムンの詩が記された粘土板は、紀元前2400年以降のものとされています。いずれにせよ、それらは紀元前2050年以前にウルを去ったアブラハムよりも古いものです。

B5. この物語は、古代において広く知られていた可能性があります。

回答には4つのポイントがあります。

A1. これは、『創世記』に記されている出来事について、同様の記述がなされている数多くの例の一つに過ぎません。もう一つの例としては、世界中の様々な民族に伝わる200以上もの世界大洪水の物語が挙げられます。

A2. 「肋骨」に関する言葉遊びは、他の初期の文化においても、人類の創造に関する知識が、少なくとも不完全な形ではありますが、保存されていたことを示している可能性があります。

A3. それ以上に、創世記第1章の他の部分については、シュメールやアッカド、その他の記述と対比させることを意図して書かれたかのようにさえ思われます。他の記述では神々が争っている様子が描かれていますが、創世記では唯一の神が穏やかに創造を行われます。他の記述では英雄が混沌と戦っている様子が描かれていますが、創世記では神が「深淵/水」の上を動き回り、命じ、秩序を定めておられます。

A4. 創世記とディルムン詩、およびその他の古代作品との間には、細部におけるいくつかの類似点が見られますが、これは特定の出来事に関する共通の知識があったことを示唆している可能性があります。しかし、一方が他方から模倣されたと主張することは成り立ちません。それは、共通する細部が少ないという理由だけでなく、それらの細部の背後にある意味において、類似点がほとんど見られないからです。

この回答から学べる教訓:

L1. 創世記は、何もない状態から書かれたわけではありません。神は単に真理を私たちに啓示されるだけでなく、時代や文化に即した実践的な形で、不変の真理を啓示してくださいます。神が創世記を授けられた理由の一つ(ただし主な理由ではありません)は、人々が抱いていた人間の起源に関する誤った見解を正すとともに、残されていた正しい事柄の一部を認めることでした。

L2. 神は文化を用いられます。神は、人々の悪行さえも、ご自身の栄光のために用いておられます(創世記 50:20)。神がご自身の望まれるままに文化を用いることを、私たちにどうして禁じることができるでしょうか。モーセは学識豊かな人物であり、おそらくこの物語を読んだことがあるでしょう。そして神は、モーセが読んだその物語を通して、何が真実で何が真実でないかを彼に示されたのです。

L3. 最も重要なことは、「聖書は誤りがない」という表現を、聖書が機械的に口述されたものでなければならないという意味に受け取らないことです。ペテロの手紙第二 1:21には、預言とは、聖霊に動かされて人々が語ったものであると書かれています。したがって、聖書の異なる部分が明らかに異なる人間の文体を反映しているとしても、それは神による著作者であることを否定するものではありません。それは単に、神がご自身の御心に従って、さまざまな人々の文体を用いられたことを示しているに過ぎません。


Q:創世記2章22節において、この時点でのリリスとは誰のことですか?

A: 「リリス」という名前は、聖書の中で一度も言及されていません。中世には、アダムの最初の妻であったリリスという名の女性に関する伝説がありました。彼女はアダムに従うことを拒み、そこで神はエバを創造されたのです。その伝説によれば、リリスは新生児を殺す悪魔へと変えられてしまったとされています。

また、『The Sumerians』(p.198, 258)によると、リリスはシュメール神話においても吸血鬼として描かれています。『Civilizations of the Ancient Near East』(p.1890)には、未婚のまま亡くなった者は、リル(男性)やリリトゥ(女性)と呼ばれる特殊な種類の悪魔になると記されています。彼らは生者に富を約束して結婚を申し込むのですが、もし生者が承諾すると、その生者は若くして亡くなってしまうのです。

ユダヤ教やキリスト教を問わず、あらゆる聖書の写本には、ドナルド・ダックについて言及されているのと同じくらい、リリスに関する言及は一切ありません。


Q:創世記2章22節において、神はどのようにしてエバを肋骨から造られたのでしょうか?

A: 全能の神が望まれるいかなる方法でも可能です。もし神が肋骨を使わなければならなかったとして、しかも神が肋骨を丸ごと取り除かなければならなかったと考えるのであれば、エバは毎朝アダムの肋骨をすべて数えていることになるでしょう!

冗談はさておき、神は肋骨をすべて使ったわけではないかもしれません。たった一つの細胞で十分だった可能性もあります。

『735の不可解な聖書の疑問への答え』p.23には、もし神が彼女を土から造られたとしたら、女性は本質的に男性とは異なっており(おそらく男性より劣っている)、と主張する人もいるだろうと付け加えられています。しかし、エバは肋骨から造られたため、男性と同等のアイデンティティを持っていたのです。


Q:創世記2章22~23節によると、男性は女性より肋骨が1本少ないはずなのでしょうか?

A: いいえ。もし男性の腕が切断されたとしても、その後生まれる子供や孫が全員、片腕がない状態で生まれるわけではありません。同様に、人の肋骨から数個の細胞を取り出したとしても、親も子供も、肋骨の数は変わりません。

西暦198年から220年にかけて著述を行ったテルトゥリアヌスは、『貞潔への勧告』(第5章、53ページ)において、これを神が「肋骨を借りた」と解釈しています。また、神は妻を増やすためにさらに多くの肋骨を借りることもできたが、そうしなかったのは、一夫一婦制が規範であり、一夫多妻制ではないという例を示すためであったと付け加えています。


Q:創世記2章25節において、男と女はもともと裸で創造されたのでしょうか。また、彼らは衣服を身につけるべきだったのでしょうか。

A: はい、彼らは裸の状態で創造され、恥じる心はありませんでした。しかし、堕落の後、神は彼らに衣服を着せてくださり、それ以来、私たちは衣服を身にまとっています。


Q:創世記3章1~24節において、神は人間を最終的に天使よりも高い存在として造られたわけですが、それがサタンが堕落することを選んだ一因となった可能性はありますか?

A: 聖書にはその点について明記されていませんが、確かにその可能性はあります。


Q:創世記3章1~24節において、アダムとエバは白人、黒人、褐色人種、黄色人種、それとも赤色人種だったのでしょうか?

A: 聖書はこの点について全く触れていません。アダムとエバは私たち全員の祖先ですから、それは重要ではありません。私たちは皆、等しくアダムとエバの子孫なのです。おそらく神は、特定の人種がアダムとエバにより近い、あるいは遠いと主張する者が現れないよう、あえて言及しなかったのかもしれません。


Q:創世記第3章において、なぜ神はアダムとエバが誘惑されることを許されたのでしょうか?

A: 聖書にはその理由は書かれていません。しかし、神は単に自分を愛する人々を望まれたのではなく、別の選択肢を与えられながらも、それでもなお神を愛することを選ぶ人々を望まれたのではないかと推測できます。


Q:創世記第3章において、もしイブが原罪をもたらしたのなら、どうしてサタンが神に対して高慢の罪を犯したことになるのでしょうか? 私の理解に何か抜け落ちているのでしょうか?

A: サタンはアダムとイブよりも先に罪を犯し、堕落しました。しかし、アダムとイブの罪によって、人類に罪深い性質がもたらされたのです。


Q:創世記第3章について、どうしても答えが見つからない疑問があります。聖書には、神が人間を創造されたと書かれています。神は人間に、禁断の果実――良心の木の実――を食べてはならないと告げられました。その果実を食べれば、目が開かれ、善悪や良し悪しを認識できるようになるからです。人間は禁断の果実を食べ、変わってしまいました。 人間は今や、裸であることが間違っていることを認識するようになりました。しかし、禁断の果実を食べた当時、人間には善悪の知識がなかったのですから、どうして神に背くことが罪になり得るのでしょうか?

A: ご質問にお答えできることを嬉しく思います。まず、質問から始めさせてください。堕落以来、人はどのようにして善悪を知るようになったのでしょうか。私たちは、善悪について神が私たちに啓示してくださったすべてのことによって直接知ることができますし、誰もが内なる良心によって大まかな感覚を持っています。(もちろん、人は良心を鈍らせてしまうこともありますが。)

堕落の後、アダムとエバは共に良心を持ち、神の命令に背いたことで過ちを犯したという罪悪感を抱き、彼らとその子孫は罪深い性質を持つようになりました。堕落の影響は甚大でした。

堕落以前、彼らにはこうしたものは一切なく、善悪の知識もありませんでした。彼らの本性は善であり、彼らが何をしたとしても、それは正しいことでした――ほぼ、ですが。彼らが従わないことを心配すべき命令は、ただ一つだけでした。それは、「善悪の知識の木の実を食べてはならない」というものです。食べるか食べないかという彼らの選択は、善悪の選択ではありませんでした。なぜなら、彼らには善悪が何であるかを知らなかったからです。 むしろ、彼らの選択は、単に神に従うか否かというものでした。

今日、人々は時折、善悪について奇妙な考えを抱くことがあります。例えば、イスラム教徒の父親の中には、娘が父親の承認を得ていない相手と結婚するなどして家族に恥をかかせたとして、娘を殺すのが正しいことだと考える人もいます。クリスチャンでさえ、時には「聖書はこれを許しているか」という点にこだわりすぎてしまうことがあります。 「これは正しいか、間違っているか」と問うことよりも重要なのは、「神は私にこれを望んでおられるか」あるいは「これは神に喜ばれることか」ということです。その答えは実際には「これは正しいか、間違っているか」という問いと同じになりますが、重要なのは、単に良心を和らげるためや、多くの規則に従うためだけに物事を行うのではなく、神を喜ばせることにあるのです。

ですから、あなたの質問に対する簡潔な答えは、アダムとエバは善ではなく悪を選んだから罪を犯したのではなく、彼らは善と悪が何であるかを知らなかったからです。彼らは、神から与えられた単純な命令を知りながら、あえて神に背くことを選んだことで罪を犯したのです。


Q:創世記第3章の出来事は、無神論者(カペラ氏)が主張するように、アダムとエバがまだ善悪の知識を持っていなかった以上、不公平な試練だったのでしょうか?

A: いいえ。コカインなどの違法薬物を、まず実際に使用してみる機会を得るまでは使用してはならないと誰かに告げることは、不公平な試練でしょうか?もちろん、そうではありません。同様に、彼らが悪や罪悪感を経験することなく、その禁止命令を受けたことは不公平ではありませんでした。この時点で彼らが善悪についてすべてを知っていたわけではないと主張する人もいるかもしれませんが、彼らは創造主がその木の実を食べてはならないと命じられたことを知っていました。その知識だけでも、これを公平な試練とするには十分だったのです。

今日、私たちは神がなぜあることを禁じられているのか、その理由のすべてを知っているわけではありませんが、もし神がそれをしないように命じられたのであれば、神に従うために知るべきことはすべてわかっているのです。


Q:創世記第3章において、その木の実を食べることが、具体的にどのような点で間違っていたのでしょうか。

A: 特定の果実が悪だったわけではありません。おそらく、彼らは後でその木の実を食べることもできたでしょう。アンティオキアの司教テオフィロス(西暦168-181/188年)が、著書『テオフィロスからオートリコスへの手紙』第2巻第25章104ページに記しているように、「ある人々が考えるように、死をもたらしたのは木そのものではなく、不従順であったのです。」 『ニカイア公会議以前の教父たち』第2巻、104ページ。また、「神のように、善悪を知る」という表現について、彼らが善悪を定義するという神の特権を自分たちに奪い取ろうとしたと解釈する人もいます。


Q:創世記第3章のこの試練は、まるで親がリビングに4万ボルトのバッテリーを置き、赤ちゃんに「触ってはいけない」と告げるようなものだったのでしょうか?

A: いいえ、危険は木そのものにあるのではなく、彼らの不従順にありました。この答えについて、4つの点を考慮する必要があります。

1. 危険なバッテリーとは異なり、致命的だったのは木そのものではありませんでした。致命的だったのは神への不従順であり、それが原因で、彼らはその日に霊的に死に、その後、肉体的に死に至ったのです。

2. アダムとイブは赤ん坊ではありませんでした。彼らは大人と同じように理性を働かせることができ、自分たちが何をしているのか、また神がその行為の結果として何が起こるかについて、十分に自覚していました。

3. アダムとイブは、あらゆる必要が満たされており、その木の実を食べる以外には、神に背く方法はありませんでした。私たちがそれを好むか否かに関わらず、神は人々に、神に仕えるか否かという選択の余地を与えておられます。 「神はそうすべきではなかった。神は、私たちを皆、背くことのできないロボットにすべきだった」と感じる人もいるかもしれません。人々がどう感じようと、神はご自身の望むとおりになさることができます。そして神は、すべての人に神に背く自由意志を与え、従順か不従順かによって生じる結果と向き合って生きることを選ばれたのです。

4. その果実は、いずれは食べられていたかもしれません。アンティオキアのテオフィロス司教(西暦168~181/188年)は、もしアダムとエバが罪を犯さなかったならば、彼らは成熟し、完全となり、不死の力を得て天に昇っただろうと説きました。人類は、完全に死すべき存在でもなく、完全に不死の存在でもない、中間的な性質を持っていたか、あるいは楽園は地と天の間にあったのです。 『テオフィロスからオートリコスへの書』第2巻第22章 p.24 p.104


Q:創世記第3章において、ローラ・シュレジンガー氏が述べているように、イブがリンゴを食べたことを誇りに思うべきでしょうか?

A: いいえ。『ローラ博士』は多くの点で正しいですが、この点に関しては間違っています。彼女が『モダン・マチュリティ』1999年9月~10月号の67ページで述べた内容は以下の通りです。

「彼女が知識の木の実を食べたことを、私は大いに誇りに思っています。なぜなら、もし彼女が食べていなかったら、私たちは今もなお、エデンの園にいる動物のままであったでしょうから。神はその木を、単に日陰を作るためだけにそこに置かれたのではありません。私たちはその一歩を踏み出して、人間となったのです。」

まず第一に、その木は単なる「知識の木」ではなく、「善悪の知識の木」でした。シュレジンガー博士が、人間は以前とは変わってしまったとおっしゃるのは正しいです。人々が犯した殺人、戦争、抑圧、そして道徳的な無責任さは、すべてこの出来事の後で起こりました。しかし、もはや罪を犯さなくなる天国においても、人々は依然として人間です。アダムとイブが実を食べる前のように、またイエス・キリストがそうであるように、完全に人間でありながら罪を犯さないことは不可能ではありません。

インタビューの後半で、ローラ博士が「アダムがイブに責任を転嫁しようとしたのは間違っていた」と述べた際、シュレジンガー氏の指摘は正しかったのです。なぜなら、創世記3章6節には、イブが実を食べた時、アダムもイブと共にいたと記されているからです。


Q:創世記第3章において、その木の実は、統一教会の文鮮明牧師が『神の原理』(1977年第五版)75~79ページで教えているように、イブとサタンとの間の不法な霊的性的結合の比喩だったのでしょうか?

A:その木や果実、あるいはサタンに関して、性的な比喩は一切ありませんでした。もしムーン牧師の説が正しいとすれば、

許可されていた他のすべての木々は、一体何だったのでしょうか?

イブは、その木の果実を食べた際、サタンを無視しました

創世記3章13節において、イブはすべての責任を蛇に押し付けようとして、単に「蛇が私をだました」と述べたに過ぎません。彼女は、蛇が自分に何かをしたとは決して言っていません。

前の質問もご参照ください。


Q:創世記第3章のように、園に住む最初の人類が禁断の果実を食べるという類似の物語は、他の文化にもありますか?

A: はい。少なくとも3つの例があります。

ビルマ東部のスガウ・カレン族:全能で全知の神「イワ」が万物を創造しました。神は、タナイという名の男性とエウという名の女性の二人を創造し、七種類の果樹がある園に彼らを置きました。しかし、その中の一種類だけは食べてはいけませんでした。 邪悪なム・カウ・リーは、二人に「奇跡的な力を得て天国に昇ることができる」と告げて騙しました。ム・カウ・リーは二人を説得し、「試練の木」の実を食べさせました。二人はそれを食べ、病気、老化、そして死にさらされることとなりました。

ドン・リチャードソン氏は、この物語がネストリウス派やローマ・カトリックの影響を受けた可能性について考察していますが、受肉や、人類のために死んで死からよみがえる救い主といった概念が見当たらないことから、そのような影響はなかったと結論づけています。

インド北東部のサンタル族:彼らは「タクール・ジウ」(タクール=真実、ジウ=神)を信じていました。タクール・ジウは、ハラムという名の男とアヨという名の女という最初の夫婦を創造し、インドの西にあるヒヒリ・ピピリに彼らを置いたとされています。 邪悪なリタは、彼らを誘惑して米酒を醸造させ、その一部をサタンへの捧げ物として地面に注ぐよう促しました。彼らはその通りにし、残りの酒で酔っ払ってしまいました。目を覚ますと、自分たちが裸であることに気づき、恥じ入りました。その後、彼らは7人の息子と7人の娘をもうけました。彼らの子孫は堕落してしまったため、タクール・ジウは「聖なる一組」をハラタ山(=アララト山?)に隠し、残りの人々を大洪水で滅ぼしました。 やがて、彼らの祖先は(東へ)森から森へと旅を続け、やがて道が塞がれるほどの高い山々にたどり着きました。最終的に、彼らは(おそらくカイバル峠で)その山々を越え、カルカッタ近郊の故郷にたどり着きました。

シュメール人:シュメール人は、自分たちが「ディルムン」と呼ばれる楽園から来たと考えていました。ただし、エデンの園との類似点はそれほど多くありません。ディルムンは、すべての神々が住む場所であり、不老不死を得た人間であるジウスドラもそこにいました。「ディルムンの詩」は紀元前2400年頃のものとされています。


Q:創世記第3章によると、アダムとエバは完全だったとされていますが、完全な存在が、罪を犯すといった不完全な行いをすることは、どうして可能なのでしょうか?

A:「完全」をどのように定義するかにかかわらず、聖書はアダムとエバが完全であったとは決して述べていません。また、彼らが罪を犯すことができなかったとも述べていません。むしろ、聖書が示しているのは、彼らが「非常に良かった」ということ、そしてまだ罪を犯していなかったという意味で「罪のない」状態であったということです。彼らは依然として自由意志を行使する能力を持ち、罪について選択を下すことができたのです。

アレクサンドリアのクレメンスは、『ストロマータ』(西暦193~202年)第6巻第12章502ページにおいて、この問いに最初に答えた人物の一人です。彼は、とりわけ、人間は「創造の時点で完全であったわけではなく、美徳を受け入れるように適していた」と述べています。 ……さて、適性とは美徳そのものではなく、美徳に向かう動きのことです。したがって、私が述べたように、すべての者は本来、美徳を獲得できるよう構成されているのです。」


Q:創世記第3章において、完全な神は完全な存在のみを創造されるはずですが、どうしてアダムとエバは罪を犯すことができたのでしょうか?

A: 回答において考慮すべき5つの点があります。

テルトゥリアヌスは、西暦207年/208年の遥か昔に、『マルキオン反駁五書』の第2巻第5章から第9章において、この問いに答えています。テルトゥリアヌスの長文にわたる回答は、彼自身の言葉で次のように要約できます。 「それゆえ、神の像であり似姿である[人間]が、自由意志と自己制御の能力を備えて造られることは、ふさわしいことでした。そうすることで、まさにこのこと――すなわち、意志の自由と自己制御――こそが、彼における神の像であり似姿であると見なされるようになるためです。」言い換えれば、完全なる神が、ご自身のように自由意志を持つ被造物を造られることは、ふさわしいことだったのです。

アンティオキアのテオフィロス司教(西暦168-181/188年)は、アダムとエバが死すべき存在であったか、それとも不死であったかという関連する問いに対し、彼らは「過程」にあり、どちらの方向にも進む可能性を秘めていたことを示して答えました。(『テオフィロスからオートリコスへの書簡』第2巻第27章 p.105)

ロボットではない:完全なる神が、ロボットを創造することに限定され、自由意志を持つ人間を創造することができない存在であるとお考えでしょうか。神は論理的に不可能なものを創造されることはありません。そして、神が自らを愛し、従うことを自由に選ぶ人々を創造されるためには、神は彼らに、神を愛さず、従わないこともできる能力も与えられたのです。 聖書は、アダムとエバが決して罪を犯すことができないという意味で「完全」であったとは決して述べていません。むしろ、聖書は、彼らがまだ罪を犯していなかったという点で、「極めて良い」ものであり、「罪のない」存在であったと述べています。

神の完全性:人類と悪魔との間において、聖書は、神の完全性が、神に背く能力を持つ存在を創造することを妨げるものではないことを、極めて明確に示しています。

誰の定義か?もし、ある人が「完全な神」を、道徳的な選択ができる人間を創造することができない存在と定義するのであれば、その意見を裏付ける聖句を少なくとも一つ見つけるという立証責任は、その人自身にあります。そうでなければ、その定義は聖書の神には当てはまりません。ここでの根本的な問題は次の通りです:

a) 聖書の神に、あなた自身の「神の完全性」という定義を押し付けるべきか、それとも

b) 神ご自身が聖書の中で、ご自身の完全性や、どのように創造することを選ばれたかについて語られるのを待つべきでしょうか。

神が、アダムとエバが罪を犯すことを知りながら、なぜわざわざ「手間をかけて」彼らを創造されたのかについては、創世記第1章に関する議論をご覧ください。


Q:創世記3章1節とコリントの信徒への手紙第二11章3節において、なぜアダムとエバは、ライオンやウサギといった他の生き物ではなく、蛇の姿をとったサタンによって誘惑されたのでしょうか?

A: 聖書には明記されていませんが、推測することはできます。大きな動物は威圧的で、人々を警戒させる恐れがあります。小さな動物は取るに足らないものとして無視されてしまうかもしれません。蛇は、「狡猾さ」が許容されることを暗示しているのかもしれません。社会の大勢の人々が一斉に罪を犯すためには、まず多くの人々が、その罪は間違っていないと説得されなければならないのです。

一部の人々は、蛇を良心を欠いた知性の象徴と見なしています。蛇は、狡猾に獲物を待ち伏せ、忍び寄るその様子が驚くべきものです。マタイによる福音書10章16節には、私たちは蛇のように賢く、鳩のように純真であるべきだと記されています。


Q:創世記3章1節において、蛇のような知性もなく、声も出せない動物が、どうしてアダムとエバを誘惑することができたのでしょうか?

A: これは普通の蛇ではありませんでした。サタンが蛇の姿をとったのです。サタンは話すことができ、非常に知性が高い存在です。サタンは、ヨハネの黙示録12章9節、14節、15節、および20章2節でも「蛇」と呼ばれています。サタンが蛇であった可能性には二つの解釈があり、最も単純な解釈では、その両方が真実であるとされています。

物理的な変身:サタンは自ら変身したか、あるいは話すことのできる蛇の物理的な姿に変えられたかのいずれかです。

憑依:サタンが既存の動物に入り込み、それを通じて話した可能性もあります。

イブが見た蛇がサタンそのものであったか、あるいは単なる普通の蛇であったかにかかわらず、サタンはこの姿の「背後から」語りかけ、蛇特有の狡猾で陰険な手口を示唆していたのです。


Q:創世記3章1~16節において、この例から罪についてどのような一般的なことを学ぶことができますか?

A: 多くのことが学べますが、ここではそのうちのいくつかをご紹介します。

1. 罪は死をもたらします。アダムとエバは本来死ぬことはなかったはずですが、罪を犯したその日から、彼らは死へと向かうこととなりました。

2. 罪には、赦された後でも結果が伴います。神は彼らを赦されましたが、彼らはやはり死ぬことになり、また、命の木の賜物を取り戻すことはできませんでした。(少なくとも、黙示録2章7節、22章2節、14節まではそうでした)。

3. 聖書には、神が動物を殺してその皮で彼らを覆ってくださる前に、彼らが死を目撃したかどうかについては言及されていません。罪は、翌年にはまた生えてくるような葉っぱの束では覆うことはできませんでした。それは、死んだ動物の血によってのみ覆われるものでした。

4. 彼らは園内のほぼすべての木の実を食べることができましたが、その一本の木の実を禁じた神を、けちだと考えました。堕落の後、神は彼らを赦し、動物の皮で身を包んでくださるという憐れみをお示しになりましたが、彼らは困難に直面することになりました。なぜなら、大地はもはや彼らに対してけちになるからです。

5. 彼らの罪がもたらした結果でさえ、神からの憐れみでした。ハドン・ロビンソン氏は、痛みこそが、反逆する心の要塞に「現実」という旗を立てるものだと述べています。

6. 罪を犯した後でさえ、神には依然として贖いの計画があります。私たちがひどく失敗した後でさえ、ローマ人への手紙8章28節の約束は依然として真実です。この暗い一章の中でさえ、神は創世記3章15節に約束を置いておられました。


Q:創世記3章1節、14節において、蛇は腹這いで這うように呪われたとありますが、これはかつて蛇に足があったことを意味するのでしょうか?

A: いいえ。一部の両生類(セイレーン)には前足があり後足がないものもありますが、ここではそのような意味ではありません。聖書には具体的に記されていませんが、サタンは移動手段が制限され、屈辱的なものとなるという呪いをかけられました。サタンは卑しい蛇の姿をとりましたが、神は、蛇の属性の一部がサタンに留まるという呪いをもってサタンを罰されたのです。

人が罪を犯すとき、その外的な行為に対する赦しが必要であるというのは、問題の一部に過ぎません。罪の本質は往々にして、その一部が私たちの心の奥底にこびりついてしまうものであり、私たちは赦しだけでなく、清めも必要とするのです。


Q:創世記3章1節、14~15節において、呪いを受ける前、蛇には足があったのでしょうか、なかったのでしょうか?

A: 主に二つの見解があります。

「はい」:園にいたこの特定の「蛇」は、腹を地面から浮かせて歩くオオトカゲに似ていた可能性があり、神はその生き物の姿を変えて、足跡をすべて失わせたのです。単に「オオトカゲのような」姿勢から、腹這いで這うワニのような姿へと変わっただけだったとは考えられません。なぜなら、一般的な「蛇」という言葉が使われていることから、足がないことが示唆されているからです。 『ネルソン・スタディ・バイブル』10ページには、「この本文は……それ以前、蛇には別の身体的形態があったことを示唆している」とあります。

いいえ:『ニュー・インターナショナル・バイブル・コメンタリー』(p.117)は、「蛇への罰(14節)は、かつて蛇に足があったという意味として理解してはなりません。むしろ、かつては自然で美しいと見なされていたものが、今やかつて犯した行いを永遠に思い起こさせるものとなる、という意味なのです」という見解を示しています。 『エクスポジターズ・バイブル・コメンタリー』第1巻55ページには、次のように記されています。「この呪いは、蛇が以前、他の陸生動物と同様に足や脚を使って歩いていたことを必ずしも示唆するものではありません。むしろ重要な点は、呪いの結果として、残りの生涯において、蛇が蛇らしく腹這いで這うとき、それが『塵を食らう』ことになるということです。 強調されるのは、蛇が『塵を食らう』という点であり、この表現は他の箇所では『完全な敗北』という意味を持っています(イザヤ書65章25節、ミカ書7章17節参照)。」

いずれにせよ、重要なのは、かつて非常に狡猾であった(『創世記』3:1の「アラム」)蛇が、今や呪われている(『創世記』3:14の「アルル」)ということです。「呪われる」という言葉は、蛇と大地に対して用いられていますが、男や女に対しては用いられていません。


Q:創世記3章3節から24節において、なぜアダムとエバは、今日の多くの人々よりも厳しい罰を受けたのでしょうか?

A: 神は、単に彼らが果実を摘んだという行為だけで彼らを罰されたわけではありません。何しろ、彼らは他の木の果実を摘むこともできたのですから。神は、堕落した性質を持たないにもかかわらず、神に背いたという理由で彼らを罰されたのです。

神が、人々の知識や能力に基づいて罰を下されることを考えれば、彼らの罰の厳しさは妥当なものと言えます。今日の人々とは異なり、彼らは神の御前に直接いたにもかかわらず、自分たちにとって何が最善かを神がご存知であることを信頼しませんでした。また、今日の人々とは異なり、彼らには常に罪へと誘う罪深い性質がありませんでした。


Q:創世記3章3~6節において、アダムとエバはリンゴを食べたのでしょうか?

A: 聖書には、彼らがリンゴを食べたと書かれてはいません。それは禁断の果実、すなわち善悪の知識の果実であり、おそらく今日の地球上には存在しないものと考えられます。

中世において、禁断の果実とリンゴが混同されたのは、ラテン語で「悪」を意味する「malum」と、「リンゴの木」を意味する「malus」が同じ語源であるためだと考える人もいます。しかし、この考えがどのようにして生まれたにせよ、どのように解釈しようとも、この考えの核心となる部分には聖書的な根拠は一切ありません。;-)


Q:創世記3章5節から22節において、アダムは天の霊を、イブは地上の魂を、そして蛇は人間界への執着を象徴しているのでしょうか。バハイ教の『いくつかの問いに答えて』(p.123)で教えられているように?

A: いいえ。何世紀にもわたり、人々は創世記の文字通りの意味とは相反する霊的な意味を無理やり読み取ろうとしてきました。アダムは間違いなく男性の人間であり、エバは女性の人間です。このような根拠のない解釈を加えることは、男性を上位の「天の霊」とし、女性を「地上の魂」としてしまうことになります。それどころか、真実は、神の目には男性も女性も等しく、同じ価値があるということです(ガラテヤ人への手紙3章28節)。


Q:創世記3章5節および22節において、もしアダムとエバが果実を食べれば「神々のようになる」とありますが、これはモルモン教が教えるように、神が複数存在することを意味するのでしょうか?

A: 彼らが善悪の知識を得るようになったのは、その出来事の後になってからのことです。創世記3章5節には「神のように」とあります。「神々(gods)」という複数形はKJV(欽定訳)にのみ見られ、ヘブライ語では「エロヒム(Elohim)」であり、これは神の御名です。したがって、創世記3章5節は、神が複数存在することを証明するものではありません。


Q:創世記3章5節および22節において、人々は神のようにすべてを知ることができたのでしょうか?

A: いいえ。サタンは、彼らがあらゆる点(礼拝、全能性、三位一体など)において神のようになることをほのめかしたわけではありませんでした。むしろ、サタンは、善と悪の両方を知るという点において、彼らが神のようになることを約束したのです。もちろん、果実を食べる前は、彼らは善しか知りませんでした。果実を食べた後、彼らは善と悪の両方を知るようになりました。ですから、アダムとエバが深く後悔することになるという意味では、蛇の言うことは正しかったのです。 同様の回答については、『聖書の難解な言葉』(Hard Sayings of the Bible)95~96ページをご参照ください。

善と悪を知ることに言及している箇所は、他にも5つあります。申命記1章39節、サムエル記下14章17節、19章35節、列王記上3章9節、そしてイザヤ書7章15節です。これらは、善と悪を決定するのは神であることを示しており、おそらくサタンは、彼らが善と悪を自分たちで決めることができるような「自由の宣言」を約束していたのでしょう。 この「独立宣言」は、実際には彼らを罪の裁きの中に閉じ込めてしまいました。この見解に関する詳細は、『735の不可解な聖書の疑問への答え』24~25ページをご覧ください。

サタンは今日でも同様の約束をしています。多くのヒンドゥー教の流派において、目標は神との関係を築くことでも、「善」であることでもありません。むしろ、目標は「経験」すること、すなわち善と悪の両方を経験することにあります。時には、不誠実で人を騙すヒンドゥー教のグル(導師)がいることに、人々は驚かされることがあります。そのグルは、自分の宗教と矛盾しているわけではないのかもしれません。一部の人々にとって、目標は善と悪の両方を自在に操ることにあるのです。


Q:創世記3章6節において、知恵を得ることは常に良いことだと考えられているにもかかわらず、なぜエバは果実を食べて知恵を求めようとしたことで罰せられたのでしょうか?

A: 知恵を求めること自体は、必ずしも善とは限りません。神から知恵を求めることは善ですが、不従順を通じて得られる知恵は善ではありません。キリスト教徒は一般的に、悪のあらゆる種類を学び、経験してきたわけではなく、またそうしたいとも思っていません。

アンティオキアの司教テオフィロス(西暦168年~181年/188年)は、著書『オートリコスへの手紙』第2巻第25章104ページにおいて、次のように記しています。「なぜなら、ある人々が考えるように、死をもたらしたのは木そのものではなく、不従順であったからです。 なぜなら、その果実には知識以外に何ものも含まれていなかったからです。しかし、知識は、それを分別をもって用いるならば良いものです。ところが、アダムは年齢的にまだ幼かったため、この点において、知識にふさわしい形でそれを受け入れることがまだできなかったのです。」『ニカイア公会議以前の教父たち』第2巻、104ページ。


Q:創世記3章6節における、サタンによるエバへの誘惑は、マタイによる福音書4章1-11節およびルカによる福音書4章1-13節における、サタンによるイエスへの誘惑と、どのような点で似ているのでしょうか?

A: それらは全く同じというわけではありませんが、サタンはしばしば似たような手口を繰り返し用います。それはおそらく、そうした手口が依然として効果を発揮し続けているからでしょう。

エバは、禁断の果実が

1. 食べるのに良いもの[肉体的欲求]、

2. 目を楽しませるもの[美しさ、目の欲望]、

3. 知恵を得るために望ましいもの[目が開かれ、神のように善悪を知るようになる][サタンの命令に従った後に得られる神のような力]

断食をしておられたイエス様は、次のような誘惑を受けられました。

1. 石がパンになること[肉体的欲求]、

2. 神殿の屋根から身を投げる[見せびらかし]、

3. 地上のすべての王国に対する権威 [サタンの命令の下での神のような力]。

Ⅰヨハネ2:16には、この世にある三つの罪、すなわち肉の欲望、目の欲望、そして世の誇りについて言及されています。


Q:創世記3章8節において、神は至る所にいらっしゃいます(詩篇139篇)が、どうしてアダムは神の御前から離れることができたのでしょうか?

A: 神の臨在が至る所にあるからといって、神が私たちと関わるために、特定の場所に直接、局所的に臨在されることを妨げるものではありません。『When Critics Ask』の36ページにもあるように、神が様々なものを通じて特定の場所に御自身を現された例は他にも数多くあります。これには、アブラムを訪れた三人の来客(創世記18:1-33)、 燃える荊棘(出エジプト記3章2-22節)、濃い雲(出エジプト記19章9節)、シナイ山(出エジプト記19章11-12節)、契約の箱の上(列王記上8章11-13節)、神殿から去られること(エゼキエル書10章3-18節)、そしてイエス様が地上に来られたことなどが挙げられます。


Q:創世記3章8節において、神は至る所にいらっしゃるのに、どうしてアダムとエバは神が園を歩かれる音を聞くことができたのでしょうか?

A: 神は至る所にいらっしゃり、何でもなさることができます。その「何でも」には、特定の場所に現れることも含まれます。これは三位一体の神のことかもしれませんが、アンティオキアのテオフィロス(西暦168-181/188年)のような初期のキリスト教徒は、著書『オートリコスへの手紙』第2巻第22章103ページにおいて、これがイエス・キリストであったと述べています。神学者たちは、処女降誕以前のキリストの現れを「キリスト顕現(クリストファニー)」と呼んでいます。


Q:創世記3章9節、11節において、神はすべてをご存知であるにもかかわらず、なぜアダムがどこにいるのか、何をしたのかを尋ねなければならなかったのでしょうか?

A: 神は確かにすべてをご存知です。子供たちと接する親のように、神は時に、答えをすでに知っていながらも、人々に神に対して告白する機会を与えるために、質問をなさることがあります。

当時、神は彼らに四つの質問をされました:

1. 「あなたはどこにいますか?」

2. 誰があなたに教えたのですか(どこでそれを知ったのですか)?

3. 食べたのですか(不従順をしたのですか)?

4. あなたがたは、一体何をしたのですか?

神様の問いかけは、彼らを優しく悔い改めへと導きました。神様は彼らを惜しみなく赦してくださいましたが、それでも彼らはその結果に苦しむこととなり、命の木の恵みを取り戻すことはできませんでした。

今日、神様は人々に同じ四つの質問をなさっています!

1. あなたは今、どこにいますか?罪の中にいる人々は、たとえ神様も周囲の人々も、彼らが自分の人生をどれほど惨めなものにしているかを見抜いているにもかかわらず、自分たちが今どこにいるのかさえ、しばしば気づいていません。 「かつて私たちもまた、愚かで、不従順で、迷い、あらゆる欲望や快楽の奴隷となり、悪意と嫉妬に満ち、互いに憎み合い、憎まれていた者でした。しかし、私たちの救い主である神の慈しみと、人類への愛が現れたとき」(テトスへの手紙 3:3-4a BSB)。

2. 誰があなたにそう教えたのですか(どこでそれを学んだのですか)? 今日の多くの人々は、神からの真理ではなく、あまりにも多くの偽りを信じてしまいがちです。「しかし、エバが蛇の狡猾さに欺かれたように、あなたがたの心が、キリストに対する純真で清らかな献身から迷い出してしまうのではないかと、私は恐れています。 もし誰かが来て、私たちが宣べ伝えたイエスとは異なるイエスを宣べ伝えたり、あなたがたが受けたのとは異なる霊を受け入れたり、あなたがたが受け入れたのとは異なる福音を受け入れたりしても、あなたがたはそれをあまりにも容易に容認してしまうからです。」(コリントの信徒への手紙二 11:3-4 BSB)

3. あなたは「食べて」(不従順を犯して)しまいましたか? それが禁じられた(そして往々にして偽りの)知識の泉であれ、禁じられた経験であれ、あるいは取るに足らないことに心を向けていることであれ、聖霊はこう問いかけておられます。「あなたは不従順を犯していませんか?」

4. あなたは何をしましたか? 自業自得の悲劇(道徳的・肉体的なもの双方)は、通常、風船が破裂するように突然起こるものではなく、ゆっくりと空気が漏れる風船のように、長い時間をかけて築き上げられた罪の土台の上に成り立っています。ヤコブの手紙1章15節には、欲望が宿ると罪を生み出し、罪が成長すると死を生むと書かれています。 罪を犯した人には言い訳の余地はありませんが、それでも、振り返って、どのような選択や心の態度がこの大惨事につながったのかを見てください。

初期のキリスト教の著述家たちも同様に、神の問いかけを、自分たちの状況を自らに明らかにし、悔い改めへと招くものとして捉えていました。

テオフィロス(西暦168~181/188年、アンティオキア司教)は、『オートリコスへの手紙』第2巻第26章105ページにおいて、この問いに初めて言及しました。 彼は次のように述べています。「神が『アダムよ、あなたはどこにいるのか』と呼びかけられたことについてですが、神はこれを、そのことを知らなかったかのようにされたのではなく、寛容であられたゆえに、彼に悔い改めと告白の機会を与えられたのです。」

テルトゥリアヌスは、著書『マルキオン反駁五巻』(西暦207/208年)の中で、この問いに次のように答えています。「……神は、罪が犯されたことについて不確かであったわけでも、アダムの居場所を知らなかったわけでもありません。 罪の自覚から身を隠していた罪人を呼び出し、主の御前に引き出すことは、確かにふさわしいことでした。それは単に名前を呼ぶだけでなく、その瞬間に犯した罪を鋭く突きつけるような一撃を伴って行われたのです。なぜなら、この問いかけは、単に『アダムよ、どこにいるのか』という尋問的な口調で読むべきではなく、威厳と真剣さを帯びた声で、非難のニュアンスを込めて読まれるべきだからです。 「ああ、アダムよ、あなたはどこにおられるのですか?」――これは、「あなたはもはやここにはおらず、滅びの中にいる」とほのめかすようなものであり、その声は、叱責と悲しみを同時に込めたお方の言葉なのです。」 (『マルキオン反駁五巻』第2巻第26章 p.317)。テルトゥリアヌスはまた、『プラクセアス反駁』(西暦213年頃)第16章 p.612においても、この問いに対して(より簡潔に)答えています。

アダマンティウス(西暦300年頃)は、神がアダムに尋ねたのは「探りを入れるためではなく、むしろ(アダム自身の)心に何かを思い起こさせるためであった」と述べています。『真の信仰に関する対話』第1部第17節、61ページ。

アタナシウス(西暦331年)もまた、神は答えを知った上で尋ねられたと答えています。さらに彼は、神が質問をされた際、神がその答えを知らないと考える者は、すでにマニ教徒の一派であると付け加えています。『アリウス派に対する四つの論説』第3論説 第28章50節 p.421


質問:創世記3章14~15節において、主なる神は蛇を呪い、「あなたは生涯、塵を食べるであろう」と宣言されました。しかし、蛇は肉食動物であり、カエルや鳥などを食べるという動物学的な証拠と、この記述を調和させるのは難しいと感じています。神が間違っていると言いたいわけではありません。私は神が誤りなきお方であると信じていますが、この聖句が実際に何を意味しているのか、ご説明いただけますでしょうか。ここには比喩的な意味が込められているのでしょうか。

A:まずヘビについて見てから、その比喩について考えてみましょう。ミミズとは異なり、ヘビは肉食動物であり、土を食べて栄養を摂取するわけではありません。しかし、ほとんどのヘビは地面を這い回り、食べるものは土の上に落ちたものに限られるため、餌と一緒に多少の土を口に入れてしまうことは避けられません。餌だけでなく、ヘビの生活そのものが卑しいものであり、汚く取るに足らないものに囲まれているのです。 ここでのヘブライ語の名詞「ナカシュ(nacash)」は、ヘビを表す一般的な言葉で、「ヒス音を立てる」や「ささやく」という意味の動詞に由来しています。この言葉には、魔法をささやくようなニュアンスが含まれています。したがって、この言葉はヘビの「ささやき」を強調しており、創世記は「塵」を強調しているため、ここでのイメージは「かつて塵のささやき手であった者は、生涯を通じて塵のささやき手である」というものです。

『ニュー・ジュネーブ・スタディ・バイブル』(p.13)によると、塵は「極度の屈辱」を意味する場合があるとされています。『NIVスタディ・バイブル』(p.10)によると、塵は死の象徴である可能性もあるとされています。

さて、アダムとエバを誘惑した蛇は、普通の蛇ではありませんでした。それはサタンその人だったのです。二つの可能性があります。サタンが蛇の姿で現れたか、あるいは既存の蛇の体を利用したかのどちらかです。『創世記』3章14~15節は、すべての蛇を指している可能性もあれば、ある一つの両生類・トカゲ・蛇とそのすべての子孫を指している可能性もありますが、サタンが当時その姿を利用したため、何らかの形でその物理的な姿に縛られていることを指している可能性もあります。

創世記3章14~15節で最も強調されているのは、サタンに対する裁きです。蛇が卑しく不名誉な姿勢で這い回り、汚れたものしか食べないのと同様に、蛇の姿をとることを選んだサタンもまた、かつて天で持っていた高い地位から転落し、塵の中を這い回る運命から決して逃れることはできません。

蛇が這い回り、塵を食べているのを見ることは、堕落を思い起こさせるものとなるでしょう。

イザヤ書65章25節に記されている千年王国の時代には、狼や子羊、その他の動物たちは変容し、祝福されますが、蛇は依然として「塵を食べる」ことになります。誰も互いに害を加えることはなく、神の聖なる山には肉食動物は存在しませんが、蛇は依然として「塵を食べる」のです。 黙示録20章1~10節によれば、信者たちはキリストと共に地上において1,000年間統治することになりますが、その1,000年の終わりに、サタンは依然として外に出て「ささやき」、諸国を煽動して神に敵対させるでしょう。


Q:創世記3章15節は、一部のカトリック教徒が主張するように、聖母マリアが罪のない存在であることを意味しているのでしょうか?

A: いいえ、2つの理由があります。

ここで語られているのはエバであり、マリアではありません。もちろん、エバは罪のない存在ではありませんでしたが、この聖句は彼女が罪のない存在であると述べていないため、何の問題もありません。

この節の焦点は、「その子」、すなわちイエスにあります。ここにも、聖書の他のどの箇所にも、イエスの母が罪のない存在になるとは書かれていません。さらに、ニカイア公会議以前に残された約4,200ページに及ぶキリスト教文献の中に、マリアが罪のない存在であったと記した記録は存在しません。


Q:創世記3章15節において、サタンの子孫とは具体的には誰のことですか?

A: ヨハネによる福音書8章41節、44節において、イエスは、イエスを拒む者たちであることを示しています。


Q:創世記3章15節、23-24節において、ここで使われている言葉のどこに皮肉があるのでしょうか?

A:これは言葉遊びです。アダムは礼拝(le’obdah)と従順(lesomrah)のために園に置かれましたが、堕落後は働き(la’abod)、命の木への道から遠ざけられる(lismor)こととなりました。

同じ状況であっても、神への従順の度合いによって、私たちにとって祝福となることもあれば、呪いとなることもあります。


Q:創世記3章16節は、「罠があなたの苦しみと嘆きを増す」と訳すべきでしょうか、それとも伝統的な「大いに増やす」と訳すべきでしょうか。

A: どちらの場合も、ヘブライ語の子音はほぼ同じです。母音は大きく異なりますが、母音記号が付けられたのはキリストの死から何年も後のことです。子音における唯一の違いは、伝統的な訳文に2つの子音が欠けているという点です。欠けている子音が誤植であるか、あるいはもう一方の訳が正しいかのいずれかです。

もしもう一方の訳(「わな」)が正しいとすれば、サタンがそのわなということになります。いずれにせよ、子供を持つことは悪ではなく、それはもともと神の御心の一部であり(創世記1章28節)、堕落によってこのことは変わりませんでした。


Q:創世記3章16節は、女性が夫に対する抑えきれない[性的]欲望に呪われたという意味と解釈すべきでしょうか? あるいは、「欲望」ではなく「向く/支配する」という語に置き換えるべきでしょうか?

A:その言葉自体はどちらの意味も持ち得ますが、文脈からは「向ける」「支配する」「制する」という意味が示唆されています。旧約聖書において英語の「desire」「desiring」「desirous」が120回使用されている中で、この特定のヘブライ語の「欲望」を表す単語であるテシュカ(teshuqah、ストロング番号8669)が使われているのは、創世記3章16節、創世記4章7節、そして雅歌7章10節のわずか3箇所のみです。 雅歌7:10では、ある人が最愛の人に対して抱く「欲望」が表現されており、創世記4:7では、神がカインに対し、「罪があなたを捕らえようとしている」と警告されています。

ウォルター・カイザーによれば、初期教会の著述家であるローマのクレメンス(西暦96-98年)、イレネウス(西暦182-188年)、テルトゥリアヌス(西暦198-220年)、 オリゲネス(西暦225-254年)、エピファニオス、ヒエロニムス、そしてユダヤ人のフィロは、これを「背を向ける」と解釈しており、「欲望」という解釈には馴染みがなかったのです。 したがって、この箇所は、女性たちが神への信頼から背を向け、代わりに夫を信頼するようになることを意味しています。カイザー氏は、キャサリン・C・ブッシュネルが、この箇所で「欲望」という訳語が初めて用いられたのは、パニーノという名のイタリア人ドミニコ会修道士によるものであることを発見したと述べています。ワイクリフ聖書はこれより前に翻訳されていましたが、残念ながら、カバーデール版から欽定訳に至るまでの他のすべての英語聖書は、その後一貫してこれを「欲望」と訳してきました。

これが性的欲望ではなく、「向きを変えること」「制御すること」「支配すること」を意味することを示す5つの理由があります:

1. 「夫への『desire』」と「彼はあなたを支配する」という表現の対称性。

2. 創世記4章7節に、同様の意味を持つ箇所がすぐ近くに存在すること

3. もしこれが性的欲望を意味するのであれば、なぜ男性から女性への欲望についても言及されていないのでしょうか?

4. 新約聖書:エペソ人への手紙5章22~33節では、妻は夫に従い、夫はキリストが教会を愛したように妻を愛すべきとされています。また、テモテへの手紙第一2章11~14節では、エバが欺かれた者であったことを理由に、女性が男性を教えたり、男性に対して権威を行使したりしてはならないとさえ述べられています。

5. 歴史上の悪例:男性もまた、搾取的かつ不適切な方法で女性を支配してきたことが度々あります。シュメールや中国の皇帝が亡くなった際、その妻たちは時に皇帝と共に殺害されました。イギリス人が到来する以前、ヒンドゥー教徒の男性が亡くなると、その妻は通常、葬儀の際に生きたまま焼かれていました(サティーと呼ばれます)。 ギリシャ人も、アラブ人やイスラム教徒ほどには女性を高く評価していませんでした。「女性、使用人、あるいは家畜を与えられたときは、その額をつかみ、アッラーに祈るべきである。」(イブン・マージャ第3巻第1918号 p.157)。イスラム教のシャリーア(法)によれば、女性の証言は男性の証言の半分に相当するとされています。「それは、女性の知性に欠陥があるため」です。 (ブハーリー第3巻、第48巻、第12章、第826号、502ページ)


Q:創世記3章16節において、女性は出産の際に大きな苦痛を伴うのでしょうか、それとも創世記1章28節にあるように、子供を持つことは祝福だったのでしょうか?

A: どちらも真実です。この答えを考える上で、3つの点を考慮する必要があります。

アダムとエバの堕落以前、子供を産むことは、肉体的にも精神的にも苦痛を伴わない祝福であったでしょう。

堕落の後、『創世記』3章16節には、肉体的な苦痛が生じると記されています。さらに、子供たちの罪によって生じる苦痛も伴うことになります。『735の不可解な聖書の疑問への答え』(p.25)によると、その苦痛とは、子供を成人まで育てる全過程そのものである可能性が高いとされています。エバがカインとアベルを出産した際に感じた苦痛は、カインがアベルを殺害したことを知った時の苦痛に比べれば、些細なものだったに違いありません。

ちなみに、動物の場合、赤ちゃんの頭の大きさと母体の骨盤の大きさの関係から、出産時の痛みは一般的にそれほど大きくありません。

しかし、その祝福が完全に失われたわけではありません。子どもたちは依然として主からの祝福なのです(詩篇127:3-5)。


Q:創世記3章16節において、なぜすべての責任がエバに帰せられたのでしょうか?(あるイスラム教徒がそう主張しました。)

A: すべてがエバのせいにされたわけではありません。エバが最初に食べ、エバが罰を受けましたが、アダムもまた罰を受けました。彼は、以前は容易に得られていたものを、土から得るために懸命に働かなければならなくなったのです。

聖書神学においては、イブが「より愚か」にされたという示唆は一切ありません。しかし、イスラム教徒がこの点を指摘したため、初期のイスラム神学者であり歴史家でもあるアル=タバリは、イブはもともと聡明であったものの、アダムとイブの堕落の後、アッラーが彼女(アダムではなく)を愚かにしたと述べています。アル=タバリ 第1巻 280、281ページ。 また、ムハンマドはハディースの中で、男児の尿は女児の尿よりも清らかであると述べています。イブン・マージャ第1巻、番号522、525、526、p.284、285、286。 その理由は次の通りです。「預言者はこう述べられました。『まことに、至高なるアッラーはアダムを創造され、イヴ(ハワ)はアダムの小さな肋骨から創造されました。それゆえ、少年の尿は水と土から成り、少女の尿は肉と血から成るのです。』」これは堕落に関連するものではなく、イヴの創造そのものに由来するものであることにご留意ください。


Q:創世記3章20節によると、人々はこれほどまでに異なるのに、どうしてすべての人種がアダムとイブから生まれたと言えるのでしょうか?

A: 創世記3章20節には、エバが「すべての生き物の母」となると書かれています。身長、髪の毛、肌の色は、人間だけでなく、犬、猫、馬においても、些細な違いに過ぎません。遺伝的には、すべての人間は非常に似通っています。1997年6月号の『サイエンス』誌に掲載された67種類の犬種に関する遺伝学的研究によると、犬もまたすべて共通の起源を持っていることが示されています。

すべての人類がアダムとイブに由来することを裏付ける他の聖句としては、マタイによる福音書19章4~5節、ローマの信徒への手紙5章12~19節、そしてテモテへの手紙第一2章13~14節があります。


Q:創世記3章20節についてですが、もしアダムとエバが罪を犯さなかったとしても、彼らは子供をもうけていたでしょうか?(妻からの質問です)

A: はい。アダムとエバが罪を犯したときの実際の年齢はわかりません。子供だったかもしれませんし、十代だったかもしれませんし、大人だったかもしれません。堕落以前に子供がいなかったという事実が、神が「罪を犯さない限り子供をもうけることができない」ように彼らを創造されたことを意味するわけではありません。

二つの異なる聖書の箇所が、堕落の有無にかかわらず、彼らが子供を持つことができたことを証明しています。

創世記1章28節では、堕落の前に、神は彼らに「生めよ、増えよ」と命じられました。神が数学的な意味を意図されていたのでない限り、神は彼らに子供を持つよう命じられたのです。

創世記3章16節では、エバは出産時の痛みが増すという呪いを受けました。彼女は出産そのものではなく、出産に伴う痛みや苦しみが強まるという呪いを受けたのです。


Q:創世記3章21節で、なぜ神はアダムとエバに動物の皮を着せられたのでしょうか?

A: 聖書には明示されていませんが、この最初の動物の犠牲を、神が私たちの罪を覆うために生き物の犠牲を用いるという象徴として捉えることができます。


Q:創世記3章21節で、なぜ神はアダムを作るために「土」を、エバを作るために「肋骨」を「必要」とされたのでしょうか?

A:聖書は、神がそれらを用いることを選ばれたと述べていますが、神が土や肋骨の細胞を使わなければならなかったとは決して言っていません。神はご自身の望むものを何でも用いることができます。


Q:創世記3章22節で、なぜ神はアダムとエバがこれ以上命の木の実を食べることを禁じられたのでしょうか?

A: これには三つの側面があります。

懲戒:これは、アダムとエバ、そして私たちに対して、神に背くことの重大さを示すためです。

司法的罰:神は、禁断の果実を食べたその日に死ぬと彼らに約束されました。彼らはその日、霊的に死に、肉体的に死ぬように、命の木へのアクセスが奪われたのです。

憐れみと祝福:もし彼らが依然として命の木の実を食べることができたならば、彼らは自分の罪の罪悪感と呪いを永遠に背負い続けることになっていたでしょう。ですから、死ぬことを許され、すべてをやり直し、最終的にキリストが来られ、すべての人に救いをもたらすに至ったことは、憐れみであったのです。ノヴァティアヌスは、著書『三位一体論』第1章612ページでこの点を指摘しています。


Q:創世記4章3~6節において、なぜ神はカインの捧げ物を拒まれたのでしょうか?

A:アベルは最良のものを捧げたのに対し、カインはそうではなかったのかもしれませんが、創世記にはその旨の記述はありません。

ヘブライ人への手紙11章4節には、アベルが信仰をもって捧げたと記されています。カインの態度が悪かったこと(その後の行動が示す通り)に加え、キリストの死を予表するものとして、神は野菜ではなく血の捧げ物を望まれていた可能性もあります。

これは、アベルの真摯な礼拝とカインの形式的な礼拝との対比である可能性があります。アベルが「初子」の「最良の部分」を捧げたのは、初子の最も優れた部分でした。一方、カインは初穂ではなく、単に「いくつかの」野菜を捧げたに過ぎませんでした。


Q:創世記4章7節の代名詞は、罪への誘惑を指す「それ」と訳すべきでしょうか、それともアベルを指す「彼」と訳すべきでしょうか?

A: 私は「それ」であるべきだと考えます。ヘブライ語の単語は三人称単数形であり、それ自体では「彼」、「彼女」、あるいは「それ」を意味する可能性があります。「彼」を意味するのか「それ」を意味するのかについては、文脈を見る必要があります。

もし「彼」(アベルを指す)を意味するならば、兄が弟に対して「支配権」を持っていると解釈され得る箇所は、ここだけとなります。 旧約聖書の時代、長子は通常、二倍の相続分を受け取りましたが、それは「支配」を意味するものではありません。実際、もし「彼」を意味するのであれば、神がカインに弟を殺すよう(支配するよう?)命じたか、あるいはカインが神の助言に反する行動をとったことでアベルを支配した、と解釈することもできるでしょう。
もし「それ」を意味するのであれば、神はカインに対し、戸口に(動物のように)うずくまっているもの、すなわち罪への誘惑に抵抗するよう語っておられることになります。私はこの解釈しか聞いたことがなく、もう一方の解釈は聞いたことがありません。

ニカイア公会議以前の教父たちが、この聖句についてどのように教えていたのか、私は興味を持ちました。この問題に言及した唯一のニカイア公会議以前の著者は、イレネウス(西暦182~188年)であり、『異端反駁』第3巻第23章4節(p.456)および第4巻第18章3節(p.485)にその記述が見られます。 ギリシャ人著述家であるイレネウスは、どうやらセプトゥアギンタ訳を用いていたようです。彼は創世記4章7節を引用せずに論じていますが、その議論からは、彼が明らかにこれを「彼」と解釈していたことがわかります。イレネウスの見解によれば、カインは兄弟と公平に分け合うことを望まず、むしろ彼を支配しようとしたのです。

私の見解では、それは「それ」であると考えます。なぜなら、神はカインに対し、カインが「それ/彼」を支配すべきであると告げているからです。イレネウスは、この節の要点を完全に誤解しています。カインが支配すべきなのは、アベルではなく、罪を犯そうとする誘惑なのです。


Q:創世記4章10節において、どうしてアベルの血が叫ぶことができたのでしょうか?

A: これは、アベルに対する不正とカインの罪悪感を表す比喩です。聖書を文字通りに受け取るということは、著者が意図した通りに読むことを意味します。聖書の中の比喩や寓話を認識しないことは、聖書を過度に文字通りに受け取ることと呼ばれます。「過度に文字通りに受け取る」ことと、聖書を著者の意図通りに、またイエスが受け取った通りに受け取ることとの違いについては、序論をご覧ください。


Q:創世記4章12節において、なぜカインは殺人罪で処刑されなかったのでしょうか?(妻から尋ねられました)

A: 死刑は旧約聖書において命じられていました。十戒だけでなく、創世記9章5~6節(大洪水の直後)や申命記13章10、11節にも記されています。しかし、これらはすべてカインとアベルの時代の後のことです。それとは別に、神はあらゆる状況を御存知であり、神ご自身は私たちのために定められた御自身の律法に縛られることはありません。

当時、カインには殺人に対する死刑に関するいかなる律法も告げられておらず、神は彼をその土地から追放することで対処されました。


Q:創世記4章12節の預言は、カインが創世記4章17節で町を築いたことから、成就しなかったと証明されたのでしょうか?

A: いいえ、これは2つの理由から、成就しなかったと証明された預言ではありません。

物理的な理由:創世記4章12節は、単にカインが安らぎのない放浪者になると述べているだけであり、いつ放浪するか、どれくらいの期間放浪者であるか、あるいは永遠に放浪者であり続けるかについては言及していません。その後のカインの生活については、ほとんど知られていません。 創世記4章17節には、カインが町を築き、それを息子のエノクにちなんで名付けたとあります。おそらくカインは、神の預言に逆らうかのように町を築こうとしていたのでしょう。その後、彼は追放され、放浪の身となったのです。

霊的な側面:カインは「呪われた」系と見なされており、彼が再び神に従うようになったという証拠は一切ありません。したがって、この預言は、カインの肉体的な状況だけでなく、霊的な状態についても言及していた可能性があります。


Q:創世記4章13節で、カインはなぜ、自分を見つけた者が誰でも自分を殺そうとするだろうと考えたのでしょうか?

A:興味深いことに、聖書には、神や誰かがカインにそう告げたとは一切書かれていません。 殺人を含む多くの道徳的な過ちについて、人々は心の中に、それが間違っていることを告げる良心を持っています。カインは、神のかたちに造られた同胞を殺したならば、その報いとして自分も殺されるのは当然だと考えたのかもしれません。創世記4章15節で、神はこの推論を認めたように見えます。だからこそ、神は特別な配慮を払い、カインに印を付け、他の人々が同じ過ちを犯さないようにされたのです。


Q:創世記4章13~16節において、神がカインに与えた印とは何でしたか?

A: 聖書にはそのことについては明記されていませんが、他の人々がそれを認識できるものだったとされています。しかし、それはカインの呪いの一部ではありませんでした。むしろ、他の人々がカインを殺してはならないと分かるように、神がカインに印を与えられたという、神の恵みだったのです。


Q:創世記4章13節において、アダムとエバ、そしてカイン以外に、地上に他の人はいましたか?

A: これは、カインが妻を得た可能性のある娘たちだけでなく、殺人事件の後に生まれた人々も指しています。すべての人間はアダムとエバに由来しますが(創世記3章20節、使徒行伝17章26節、ローマ人への手紙5章14-15節)、創世記5章4節によると、アダムとエバには他にも息子や娘がいました。


Q:創世記4章16~22節において、アダムとエバの息子たちはどこから妻を得たのでしょうか?近親相姦は禁じられていないのでしょうか?

A: 創世記5章4節には、アダムとエバには他にも息子や娘がいたと記されています。当時は近親相姦は禁じられていませんでした。もし私たちの遺伝子が遺伝的欠陥から無縁であったなら、近親相姦によって、今日見られる2,000以上の人間の遺伝性疾患のいずれも発症することはなかったでしょう。

歴史的な補足として、ヒッポのアウグスティヌスも、『神の国』第15巻第16章297ページ(西暦413~426年)において、基本的に同様の回答をしています。


Q:創世記4章16~17節において、カインはどのようにしてノドの地から妻を得たのでしょうか?

A: 答えを考える上で、2つの点を考慮する必要があります。

1. 仮にカインがノドの地から妻を得たと仮定したとしても、彼女は依然としてアダムとエバの子孫であることに変わりはありません。なぜなら、すべての人間はアダムに由来する(使徒行伝17章26節)上、エバは「すべての生き物の母」だからです(創世記3章20節)。

2. 聖書には、カインがノドで妻と出会ったとは一切書かれていません。カインはすでに結婚していた可能性も十分あり、その妻がカインと共にノドへ旅したのかもしれません。


Q:創世記4章17節~24節はアダムの系図なのでしょうか、それとも創世記4章25節~5章32節がアダムの系図なのでしょうか?(あるリベラル派の人物が、創世記に複数の著者がいたことを示す重複箇所としてこの点を指摘しました)

A: 創世記4章17節から24節はカインの系図であり、セトについては言及されていません。その直後の創世記4章25節から5章32節はセトの系図であり、カインについては言及されていません。ここには重複や二重記述は存在しません。

もしこれが明確でない場合は、もう一つの例をご覧になってみてください。歴代誌上5章1節から10節には、ヤコブの息子の一人であるルベンの系図が記されています。その直後の歴代誌上5章11節から22節には、ヤコブのもう一人の息子であるガドの系図が記されています。


Q:創世記4章22節において、なぜこれほど早い時期に金属が使われたのでしょうか?

A:青銅は、タイ(紀元前4500年)、旧ユーゴスラビア(紀元前4000年)、ギリシャ(紀元前3000年)、アナトリア(紀元前3000年以前)で発見されています。 エジプト人は、紀元前3000年より前に、隕石由来の鉄を装飾品や短剣として使用していました。また、バビロン近郊のエシュヌンナという都市では、考古学者たちが紀元前2700年の鉄製の刃を発見しました。


Q:創世記4章22節にある「トゥバル・カイン」という名前は、『アシモフの聖書ガイド』(p.33)に書かれているように、現在のトルコにある「トゥバル」という地域と関係があるのでしょうか?

A: どちらとも断定することはできませんが、おそらく関係はないと思われます。「トゥバル」はヤフェトの息子の名前でもあり、トゥバル族はおそらく彼と関係があったと考えられます。「トゥバル」族については、シャルマネセル3世(紀元前859~824年)の時代や、紀元前732年頃のサルゴン王の時代のアッシリアの記録にも言及されています。


Q:創世記4章23~24節において、その男はなぜラメクを傷つけたのでしょうか?

A: その男については、以下の3つの推測があります。

自警団員が、カインの子孫を殺そうとするのが正しいことだと考えていたのです。しかし、神は創世記4章15節で、誰もカインに復讐してはならないと明確に示しておられます。したがって、その息子たちに対しても復讐してはならないことが示唆されています。

ラメクの財産を奪おうとした強盗が、ラメクがカインの子孫であることを口実にしたのです。

ラメクが誰の子孫であるかは関係なく、その男は単にラメクから物を奪おうとしたり、殺そうとしたりしていたに過ぎません。

しかし、聖書はこの特定の男がなぜラメクを傷つけようとしたのかという点には、何ら重要性を置いていません。創世記4章23~24節の要点は、最初の殺人事件の後、カインとその子孫が他者に対して敵意を持って生きていたことを示すことでした。


Q:創世記4章23~24節において、ラメクを傷つけた男の系譜はどのようなものでしたか。また、セトはいつ生まれたのでしょうか。

A: 聖書には明記されていませんので、3つの等しくあり得る可能性があります。

アベルは殺害される前に子供をもうけていました。

セトがその先祖でした。創世記4章23~24節の出来事が、創世記4章25~26節の出来事よりも年代順に先に行われたと記されている箇所はありません。

カインがその若者の先祖でした。


Q:創世記5章1~32節において、年という記述は実際には月を指している可能性はありますか?

A: いいえ。もしそうだとすれば、エノクがメトシェラをもうけたとき、彼はわずか65ヶ月(約5年半)しか生きていなかったことになります! 基本的に同じ回答については、『1001 Bible Questions Answered』p.323をご覧ください。


Q:創世記5章1~32節において、創世記はアブラハム以前の時代、誰もがヘブライ語を話していたと想定しているのでしょうか?

A: いいえ、まったく逆です。『創世記』11章のバベルの塔の物語によると、大洪水の後、人々は互いに理解できない言語を話していたとされています。バベルの塔以前において、人々がヘブライ語を話していたという示唆はありません。アブラハム自身もおそらくヘブライ語を話していなかったでしょう。彼はシュメールの都市ウル出身でした。ヘブライ語には、アッカド語を経由して取り入れられたシュメール語由来の借用語がいくつかあります。

世俗の言語学者たちは、インドのサンスクリット語を含むほとんどの西洋言語が、紀元前4000年頃に共通の起源を持っていたと考えています。


Q:創世記5章3節から29節に登場するこれらの名前は、ヘブライ語でどのような意味を持つのでしょうか?

A:以下に、ストロングのコンコーダンスに基づく語源(言葉の由来)や、場合によっては創世記に記されている意味に基づいた、それらの意味を挙げます。

アダム — 人。ストロングのコンコーダンスによると、「赤みを帯びた」または「人」を意味するとされています。創世記2章23節では、アダム=人であることが示されています。

セト - 置く/配置する/任命する/代わる。創世記4章25節によると、エバは、神がアベルの代わりに別の者を任命されたことから、彼をセトと名付けました。

エノシュ - 死すべき者。『NIVスタディ・バイブル』13ページによると、この名前は「アダム」と同様に「人」を意味するとのことです。

カインアン/ケナン――(巣や住居のように)定まった。

マハラレエル - 神への賛美、神を賛美する。

ヤレド - 系譜

エノク - 導かれた、献身した、育てられた

メトシェラ - 矢の男

ラメク - 意味が定かではない、未使用の語根に由来する

ノア――「安息」または「慰め」

イラド - 逃亡者

ハム - 「熱い」

セム - 「名前」?

ヤペトス ― 拡大。キリスト教以前のギリシャ人によれば、ヤペトスは彼らの祖先であったとされています。

ヤペトスから学べる一点は、すべての名前の語源や意味が必ずしも重要であるとは限らないということです。

セトとノアから学べる第二の点は、一部の名前の背後にある意味は重要であるということです。


Q:創世記5章21~27節において、メトシェラが聖書の中で最も長寿の人物であったのには、何か理由があるのでしょうか?

A: おそらくあるでしょう。メトシェラが亡くなった年に大洪水が起こりました。おそらく、神が彼に長寿を与え、大洪水を遅らせたことは、神の憐れみのしるしだったのでしょう。


Q:創世記5章24節で、神はなぜ敬虔な人であるエノクを天に召されたのでしょうか。

A: おそらく、私たちが美しい花を家に飾るのと同じ理由からでしょう。エノクは必ずしも死んだわけではありません。神は、列王記第二2章11~12節のエリヤの場合と同様に、エノクを天に連れ去られたのです。別の例えを挙げると、親友同士であるエノクと神が散歩に出かけ、時間が遅くなってきたので、神が「あなたは自分の家よりも私の家のほうに近いのだから、今すぐ私の家に来ないか」とおっしゃったようなものです。 とはいえ、神はご自分のしもべたちのほとんどを死なせて天国へお連れになります。これは無情な無視というわけではありません。詩篇116篇15節には、「主の目には、その聖徒たちの死は尊い」とあります。(グリーンの直訳)


Q:創世記第6章において、ノアの洪水と他の記述との間に類似点があるのはなぜでしょうか?

A: 共通の出来事を記録しているのなら、類似点があるのは当然です。バビロニアの記述は細部では似ていますが、その理由については大きく異なります。この記述によれば、神々は人間が騒音を立てすぎたために人間を滅ぼしましたが、後にそれを後悔し、「ノア」の捧げ物の周りに飢えたように集まったとされています。

興味深い類似点の一つとして、聖書ではノアの三人の息子がハム、セム、ヤペテであったと記されています。『マヌ法典』には、サティヤヴラタが三人の息子、ジャペタ、シャルマ、チャルマと共に大洪水を生き延びたとあります。ギリシャの作家アリストファネスは、ヤペトス(タイタンのイアペトス)がギリシャ人の祖先であったというギリシャの伝承を記録しています。これらすべてが、共通の出来事を裏付ける証拠となっています。


Q:創世記6章3節は、神の霊が人から離れ、二度と戻らない可能性があることを意味しているのでしょうか?

A: いいえ。『創世記』6章3節は、神から与えられた霊が、120年後に人の肉体から離れることを述べているのです。


Q:創世記6章3節は、それ以降、人間の寿命が120年になるという意味ですか、それとも、大洪水に先立って120年間の猶予期間があるという意味ですか?

A: どちらの可能性もあります。なぜなら、どちらの見解に対しても反証となる証拠がないからです。『NIVスタディ・バイブル』(p.14)や『ニュー・インターナショナル・バイブル・コメンタリー』(p.120)によれば、どちらの見解も正しい可能性があります。『エクスポジターズ・バイブル・コメンタリー』第2巻(p.77)は、人間の寿命であるという見解を支持しています。同書によると、大洪水までの期間であるという見解は、ルター、カルヴァン、および『スコフィールド聖書』によって教えられていたとのことです。 『ニュー・ジュネーブ・スタディ・バイブル』(p.18)は両方の見解に言及していますが、大洪水までの期間であるという見解を支持しています。


Q:創世記6章3節において、神は私たちの寿命を120年に定められたのでしょうか、それとも詩篇90篇10節にあるように、70年から80年にとどめられたのでしょうか?

A: 神は時代に応じて異なる規則を自由に定められるということを理解するまでは、理解しにくい点もあります。人々の平均寿命は変化してきました。 神は、大洪水直前に平均寿命を120年に定められました。それからずっと後、詩篇90篇10節には、それが短縮されたことが示されています。そこでは、人は70年生き、力があれば80年生きると記されています。創世記に記されている寿命をグラフに表すと、指数関数的な曲線を描いて減少していきます。

科学者たちは、老化のメカニズムのすべてを解明できていません。微生物は老化しません。DNAの脱メチル化も一つのメカニズムである可能性がありますが、主なメカニズムはDNA鎖の短縮であるようです。 動物の細胞内のDNAが分裂するたびに、その末端の一部が短くなります。現在、末端には余分な物質が付着していますが、微生物にはテロメラーゼという酵素があり、これが末端を修復します。しかし、テロメラーゼは動物のDNAの末端を修復しないようです。


Q:創世記6章3節について、古代の人々は寿命が短かったと主張する古生物学者の説と、どのように整合するのでしょうか?

A: 科学を装ったこの特定の科学主義的主張には、いくつかの欠陥があります。

1. 彼らが、なぜ人々の寿命が短かったと主張するのか、その根拠について一切言及していない点にご注目ください。

2. 彼らが提示しているのは、統計的に有効かつ偏りのないサンプルであるという証拠ではありません。例えば、数世紀後の架空の古生物学者が、中絶クリニック数カ所の廃棄物を発掘し、私たちの平均寿命が1年未満であったことを「証明」するかもしれません。この「証明」もまた、統計的に偏ったものとなるでしょう。

3. 平均寿命の推定値については、乳児死亡率を含めるか除外するかを明記すべきです。 例えば、1970年代、中央アフリカの多くの国々では平均寿命が30年未満でした。しかし、実際にその国を訪れれば、依然として多くの高齢者がいるのがわかるでしょう。仮に、すべての幼児が60歳まで生きられるが、全乳児の3分の2が死亡する国があったとすれば、平均寿命はわずか20年になってしまうでしょう。


Q:創世記6章3節において、神は決して肉となることはできないはずですが、どうしてイエス様は地上に来られたのでしょうか?(ある無神論者からの質問です)

A:創世記6章3節には、そのようなことは書かれていません。そこには単に、人間は確かに「肉」であると記されているだけです。確かに、神は霊であり、イエスはご自身を空しくして、肉となってこの地上に来られました。しかし、創世記6章3節そのものは、神が肉となって来られたことについて、肯定も否定もしていません。


Q:創世記6章2節、4~5節にあるネフィリム、すなわち「神の子ら」とは誰のことですか?

A:「堕ちた者たち」を意味するネフィリムは、「神の子ら」とも呼ばれていました。人々が彼らをそう呼んだ理由については、以下のような説があります。

セトの敬虔な系譜、あるいはカインの系譜に属する不信仰者と結婚することで罪を犯した信者たち。この見解は、西暦232年から245年にかけて執筆したユリウス・アフリカヌスにまで遡り、『ニカイア公会議以前の教父たち』第6巻、断片2、131ページに記載されています。

「強大な王たち」というのは、アラム語のタルグムによる解釈です。

ネアンデルタール人、デニソワ人、あるいはホモ・エレクトスといった別の種族。

技術的に進んでいた:ある懐疑論者は、イスラエル人が彼らを「巨人」と呼んだのは、高い城壁や技術的に進んだ武器を持っていたためだと考えています。

女性と悪霊に取り憑かれた男性との間に生まれた子供たち。

一部の悪魔的な存在は異種交配が可能であったというのが、ユダヤ人のフィロン、ヨセフス(西暦100年以前)、および『エノク書第一』の著者(第6章)の信念でした。 これを説いたキリスト教徒には、ユスティヌス・マルティルの『第二弁明』第5章 p.190、テルトゥリアヌスの『処女のベールについて』第7章 p.32(西暦198~220年)、 『コモディアヌスの教訓』(紀元240年頃)第3章 p.203、およびミラノのアンブロシウス(紀元378年頃)などが挙げられます。 ヒッポのアウグスティヌスは、『神の国』(西暦413-426年)第15巻第23章p.303-304において、初期のキリスト教徒がこの見解を持っていたことを認めていますが、創世記6章3節がこの見解に反すると指摘しています。なぜなら、神は「御自身の霊が永遠に人と争うことはない」とおっしゃっているからです。もしこれらの行いをしていたのが単に悪魔たちだけだったとしたら、この言葉は意味をなさなくなるからです。

おそらくこれは、サタンが私たちの遺伝子プールを改変しようとした試みだったのかもしれません。しかし、もし悪魔たちが交配できたとしたら、イエスは、半分人間で半分悪魔である者たちのために、どうして中途半端な贖罪を成し遂げることができたのでしょうか?


Q:創世記6章6節において、神はどのように悔い改められたのでしょうか?

A:この言葉は「心を痛めた」と訳すこともできます。神は、出来事が起こるにつれて、その時々に応じてご自身の感情を表現されます。エレミヤ書18章8節では、この点について詳しく述べられています。詳細については、創世記20章3節、6節に関する議論もご参照ください。


Q:創世記6章9節において、ノアはどのようにしてその世代において「完全」であったのでしょうか?

A: ここで「完全」という言葉が、罪のない完全さを意味しているという示唆はありません。むしろ、ヘブライ語のこの言葉は「基準に合致すること」を意味しており、本来の意味は「真っ直ぐであること」であった可能性が高いです。同じ単語が、母音記号を変えて、レビ記19章15節で「隣人を公平に裁くこと」を指すのに用いられています。


Q:創世記6章12節では、すべての人がその道を堕落させていたとされていますが、なぜ創世記6章9節や7章1節でノアは「非の打ち所のない者」とされているのでしょうか。

A: 文脈から、「すべての人」とは、ノアとその家族を除くことを意味していることが明らかです。なお、ノアの父ラメクも、大洪水の年に亡くなったことにご留意ください。


Q:創世記6章13節と7章1節において、ノアは神を見たことがなかったのに、どうして神が自分に語りかけていると分かったのでしょうか。

A: 神と長年にわたり関係を築いてきた人々は、神が自分に語りかけていることを感じ取れることがよくあります。別の例としては、列王記上19章11~13節をご覧ください。

人々が洪水について受けた唯一の警告は、砂漠で舟を造ったノアからのものでした。ノアの立場からすれば、彼はその世代がこれまでに見た中で、最大の英雄か、あるいは最大の愚か者のいずれかだったでしょう。その中間などあり得なかったのです。それが、神への偉大な信仰の本質なのです。(ビル・カウントスによる説教 2005年11月5日)


Q:創世記6章14節ですが、ノアはどのようにしてあれほど大きな箱舟を建造できたのでしょうか?

A:彼には、3人の息子たち、そしておそらく雇った手伝いと共に、100年もの時間がありました。箱舟の長さは約450フィート、幅は75フィート、高さは45フィートでした。これが完全な直方体だった場合、体積は1,518,750立方フィートになります。100年間で、彼らは1年あたり45/100=0.5フィート未満の高さを積み上げることができたことになります。 10フィート×15フィート×6 2/3フィートの囲いは、1,000立方フィートです。客船「クイーン・エリザベス2号」は、全長963フィート(294m)、幅105.3フィート(32.09m)、高さ171.3フィート(52.5m)です。 したがって、箱舟はクイーン・エリザベス2号よりも小さかったのですが、箱舟には深いキールがなかったという点が異なります。


Q:創世記6章14節によると、その他の古代の船の長さはどれくらいだったのでしょうか?

A:古代においては、イギリスで全長100フィートのローマ時代の船が発見されており、後のヴァイキング船も同様に長く、現存する最長記録は全長115フィートのロスキレ船です。大航海時代には、戦列艦の全長が200フィートに達することもあり、その後のクリッパー船は通常、全長150~250フィートでした。 「グレート・リパブリック」と呼ばれる最長のクリッパー船は、全長302フィートでした。ヨーロッパには金属製のクリッパー船もいくつかありましたが、ほとんどのクリッパー船は木造で、骨組みや内側のキールには金属製の補強が施されていました。

もちろん、それらの船を建造するのに100年もかける余裕はありませんでした。また、ほとんどの船は強度の高さからオーク材で造られていますが、チーク、エボニー、ブラジリアン・ブラックハート、ココボロ(南米産)といった他の木材の方がはるかに強度が高いのです。ノアの箱舟はオーク材ではなく、ゴーファーウッドで造られました。 ゴファーウッドが何であるかは定かではありませんが、二つの説があります。一つは、非常に硬い木材であったという説です(おそらく今日でも別の名前で存在しているか、あるいはすでに絶滅しているかもしれません)。もう一つの説は、ゴファーウッドとは、木材を圧縮して硬化させ、耐久性を高めるための機械的な手法であったというものです。 最後に、ゴファーウッドで造られたからといって、金属製の釘や補強材など、他の部品が一切使われていなかったわけではありません。創世記4章22節には、ノアよりはるか以前から、青銅や鉄(おそらく隕石由来の)の道具があったことが記されています。


Q:創世記6章14節において、1キュビットが17.5インチであることを、どのようにして知ることができるのでしょうか?

A: 紀元前700年頃、ヒゼキヤ王がシロアムのトンネルを建設させた際、作業員たちはその長さが1,200キュビットであると記した碑文を刻みました。その長さをインチ単位で1,200キュビットで割ると、1キュビットあたり約17.5インチとなります。 もちろん、モーセの時代のキュビットは、多少大きかったり小さかったりした可能性もあります。そうなると、箱舟の大きさも多少変わることになります。


Q:創世記6章14節にあるように、箱舟はどのようにしてノアの洪水を乗り切ることができたのでしょうか?

A: 少なくとも3つの理由が考えられます。

ゴフェルの木は丈夫な樹種だった可能性もありますが、特別な処理が施された木材だった可能性もあります。重い木材は柔軟性があるため、良い選択と言えます。創世記4章22節には、ノアの時代より前から青銅や鉄が存在していたことが記されています。

その形状(1×1.67×10)は、荒れた海況に最適でした。

もちろん、神は必要に応じて超自然的な力で箱舟を守られた可能性もあります。


Q:創世記6章19節では、ノアはすべての生き物を2匹ずつ乗せることになっていたのでしょうか、それとも創世記7章2節にあるように、清い動物を7組ずつ乗せることになっていたのでしょうか?しかし、創世記7章8~9節では、それぞれ1組ずつしか乗らなかったのでしょうか?

A:いずれも正しいです。創世記6章19節では、清い動物について具体的に言及されていません。ノアはすべての種類の動物を2匹ずつ乗せることになっており、さらに清い動物については7匹ずつ乗せることになっていました。創世記6章19節には「2匹」と書かれており、「2匹を超えてはならない」とは書かれていません。余分な動物は、食料として、また創世記8章20節にあるように、いけにえとして用いられるためのものでした。 これは聖書の不正確さというよりは、むしろ神様が私たちに教えを授ける方法の一例と言えます。神様は、私たちが「増やすための2匹」という一般的な概念を確実に理解できるようにし、その上で「犠牲として捧げるための7匹の追加」という第二の概念を加えておられます。これは、算数を学ぶ生徒たちの場合と似ています。生徒たちはまず、大きい数から小さい数を引く方法を学びます。その後になって初めて、負の数や、小さい数から大きい数を引くことができることを学ぶのです。

創世記7章8~9節には、動物の種類ごとに「正確に一組ずつ」とは書かれていません。「二匹ずつ」と記されており、これには不浄な動物の一組と、清い動物のすべての組の両方が含まれます。


Q:創世記6章19~20節は紀元前450年頃の「祭司的」資料に由来し、創世記7章2~3節は紀元前850年頃の「ヤハウェ的」資料に由来するのでしょうか?

A: 繰り返し出現していることを除けば、これらがもともと別々の物語であったという証拠はありません。しかし、繰り返しは要点を強調するための文学的手法です。当時、現代の格言である「まず何を話すかを伝え、次にその内容を伝え、最後に何を話したかを振り返る」といった表現はなかったかもしれませんが、詩篇や箴言を少し眺めるだけでもわかるように、彼らは繰り返しの効果を確実に認識していました。

リベラル派の人々にとって、ノアの洪水の物語が紀元前850年または紀元前450年のいずれかに由来すると言うのは難しいでしょう。というのも、シュメールの『ギルガメシュ叙事詩』には、世界的な洪水に関するいくつかの共通する詳細が含まれており、それは紀元前2500年以前に書かれたものだからです。 (12枚の粘土板からなるこの叙事詩の第11板のバビロニア写本は、ニネベのアシュルバニパル王の宮殿に所蔵されていました。)

もっとも公平を期すならば、ノアの洪水が二つの出典に由来するという自由主義的なJEPD説は、ギルガメシュ叙事詩が現代世界に知られるようになる前の19世紀に提唱されたものです。本書でこの問題を取り上げている唯一の理由は、依然としてJEPD説を信じる自由主義的な「キリスト教徒」が数多く存在するからです。


Q:創世記7章1~24節は、神の人格や神の正義の概念に疑念を投げかけているのでしょうか? 神は、人類を創造したことを「悔い改めた」ために、全人類を滅ぼされました。要するに、神は過ちを犯したことを認め、その過ちを正すために、裁判官、陪審員、そして死刑執行人の役割をすべて自ら担い、裁判を経ずに「ロボコップ」さながらに全人類を殲滅し、その結果、ジェノサイドを犯したのです。悪が存在したことは疑いようもありませんが、1歳の幼児や胎児が、果たしてどれほど邪悪であるというのでしょうか?
A:全くそうではありません。もっとも、それは一部の人々の「穏やかな」神像を打ち砕くことになるかもしれませんが。これまでに生きてきたすべての人は、現在この地上にいない限り、すでに亡くなっています(たった二人の例外を除いて)。問題は、彼らが亡くなったことではなく、いつ亡くなったか、そして子孫を残すことが許されたかどうかです。 神は、ノアの時代の世界がどのような状態であったかをご覧になり、悲しみの感情を抱かれました。好むと好まざるとにかかわらず、神は裁判官です。また、神は陪審員であり、そして確かに、死刑執行人でもあります。神には、人々がいつ、どのように死ぬかを決定する権利があり、その権利を行使なさいます。


Q:創世記7章1節において、無神論者たちが主張するように、他の人々には悔い改める「機会が全くなかった」のでしょうか?

A: いいえ、1世紀という期間は悔い改めるには十分な時間です。彼らが箱舟が造られているのを見ていた間、「義の宣教者」(ペテロの手紙第二 2:5)であるノアの言葉に耳を傾けることができたはずです。箱舟の建造には100年かかりましたが、100年以上あれば、神に立ち返る機会を得るには十分な時間です。おそらく、これがペテロの手紙第一 3:20で、箱舟が造られている間、神が辛抱強く待っておられたと記されている理由の一つでしょう。


Q:創世記7章2節において、まだ旧約聖書の律法が存在していなかったにもかかわらず、ノアはどのようにして清い動物を乗せるべきかを知ることができたのでしょうか?

A: ノアは旧約聖書の御言葉を持っていたわけではありません。むしろ、ノアには神ご自身が語りかけておられたのです。神がモーセの律法に含まれる内容について、ノアにどの程度まで教えられたかは正確には分かりませんが、神ご自身は確かにご自身を知っておられ、ノアがどの動物を7匹ずつ乗せるべきかをノアに伝えることができたのです。

ノアとのこの一対一の対話において、神がモーセの律法にあるのと同じ「清い」という定義を用いたかどうかは分かりません。いずれにせよ、ノアにはどの動物を乗せるべきかが告げられました。

この問いには、私たちへの教訓があります。神が私たちに何かをするよう命じられるとき、私たちは通常、そのことに関するすべての細部を把握しているわけではありません。先延ばしにすることもできますし、あるいは、知っている範囲で従い、従っている最中に必要であれば神が私たちを正してくださると信頼することもできます。もし、すべての細部を最初に把握するまで待っていたら、おそらく決して従うことはないでしょう。


Q:創世記7章2節において、ノアは清い動物を7組ずつ乗せるべきだったのでしょうか、それとも、聖書批評家のバート・エアーマン氏(『イエス、中断された』p.10)が、創世記7章9-10節が示唆していると主張するように、清い動物を2組ずつだけ乗せるべきだったのでしょうか?

A: エアーマン氏は、ここで自分のメモを混同していたのかもしれません。創世記7章2節には、清い動物を7組、清くない動物を1組とあります。創世記7章8~10節には、 「そして、清い動物、清くない動物、鳥、そして地を這うあらゆるものの雄と雌が、ノアの箱舟に入りました。(9)神がノアに命じられたとおり、二匹ずつでした。(10)そして、七日が過ぎた後、大洪水の水が地上に現れました。」(グリーン直訳)

創世記7章9~10節には、動物の数がいくつだったかについては何も記されていません。創世記7章8~9節には、動物たち(複数形)が「二匹ずつ」、つまりペア(複数形)で入ったとあります。 不浄な動物については、種類ごとに一組ずつ、つまり複数のペアがいました。清い動物についても、複数のペアがいました。創世記7章8節において、ここでペアの数をより具体的に述べる必要はありませんでした。なぜなら、その6節前に、ペアの数がすでに記されていたからです。


Q:創世記7章4節~8章12節において、この箇所の文学的構成にはどのような特徴がありますか?

A: これは「キアズム」と呼ばれ、古代ヘブライ文学によく見られる手法です。各記述(時折、中央の記述を除く)には、対称的な鏡像となる記述があります。その構造は以下の通りです:

7:4 — 洪水を待つ7日間

7:10 - - 洪水を待つ7日間

7:17a - - - 洪水が40日間続く

7:24 - - - - 水位が上昇する150日間

8:3 - - - - 水が引く150日間

8:6 - - - 40日間の待機

8:10 - - 7日間の待機

8:12 - 7日間の待機

さらに、創世記7章21節から23節aまでは、このキアズムの中に含まれるキアズムです。

- すべての生き物が死にました

- - 鳥

- - - 家畜と野獣

- - - - 這うもの

- - - - - 人間

- - - - - - 陸上のすべてのもの

- - - - - - 地上のすべての生き物

- - - - - 人間

- - - - 動物

- - - 這うもの

- - 空を飛ぶ鳥たち、

- それらはすべて滅ぼされました。


Q:創世記7章12節、24節によると、大洪水は40日間続いたのでしょうか、それとも150日間だったのでしょうか?

A: 創世記7章12節には、天から40日間雨が降ったとありますが、水が地上を覆っていた期間は合計で150日間でした。『When Critics Ask』42ページおよび『Chronological and Background Charts of the Old Testament』36ページをご参照ください。


Q:創世記8章において、なぜ聖書は人類の歴史が約6,000年しか遡らないと教えているように見えるのでしょうか?

A:放射性年代測定法によると、多くの人がクロマニョン人と呼ぶ解剖学的に現代的な人類は、35万年から30万年前に初めて出現したと言われています。

しかし、神がいつ人間を創造されたかに関わらず、創世記の系図には不確定な空白期間が含まれる余地があります。というのも、「息子」という言葉は「子孫」を意味し、「父」という言葉も「祖先」を意味するからです。イザヤ書51章2節では、アブラハムがユダヤ人の父であると記されており、ヨハネによる福音書8章39節では、ユダヤ人たちがイエスに、アブラハムが自分たちの父であると告げています。

余談ですが、世界が六日間で創造されたことは確かですが、神の一日はどれくらいの長さなのでしょうか。ペテロの手紙第二3章8節には、主にとっての一日は千年のようであり、千年は一日のようであると記されています。 詩篇90篇4節には、神の目には千年の歳月が、一日のように、あるいは夜の番のように見えるとあります。イレネウスは『異端反駁』第5巻第23章2節(西暦182~188年)p.551-552において、創世記に記されている主の一日を1,000年と解釈しています。


Q:創世記8章1節や出エジプト記6章5節において、神は最初に忘れていなければ、どうして「思い出す」ことができたのでしょうか?

A: 神は全知であられます。ノアは忘れられたと感じていたかもしれませんが、これは単に、神がノアを忘れていなかったことを表す表現に過ぎません。私たちが誰かの記念日や誕生日にその人を思い出すとしても、それは一年の残りの期間、その人を忘れているという意味ではありません。同様の回答については、『批評家たちの問い』p.43をご参照ください。


Q:創世記8章11節において、オリーブの葉にはどのような意味があるのでしょうか。

A:その葉は、おそらく洪水の後に生えたものであり、オリーブの木は標高の高い場所では育ちません。オリーブの木は、しばしば神の民の象徴とされています。


Q:創世記8章15節において、すべての人種はノアに由来するのでしょうか?

A: 父方の系統ではそうですが、母方の系統ではそうではありません。ノアの妻、3人の息子、そしてその妻たちも箱舟に乗っていました。異民族間の結婚では、兄弟同士でも肌の色が非常に明るい人もいれば、非常に暗い人もいることを考えれば、その違いはそれほど大きなものではありません。


Q:創世記8章15~21節と、創世記12章1~7節にはどのような共通点がありますか?

A:神がノアを召されたことと、神がアブラムを召されたこととの間には、少なくとも7つの類似点があります。

神が[彼]に言われる 創世記8章15節 創世記12章1節

箱舟/その地から出て行きなさい 創世記8章16節 創世記12章1節

そこで[彼は]去りました 創世記8章18節 創世記12章4節

その後、[彼は] 祭壇を築きました 創世記 8:20 創世記 12:7

神は[彼]を祝福されました 創世記9章1節 創世記12章2節

増えよ/大いなる国民となれ 創世記 9:1 創世記 12:2

契約を結び/神は彼らにその地を与えられました 創世記 9:9 創世記 12:7


Q:創世記8章21~22節において、水は再び全地を覆うことになるのでしょうか?

A: いいえ、イザヤ書54:9がそうならないことを教えているからです。これは「局地的な大洪水」説に対するもう一つの反論となります。なぜなら、神は二度と全地を覆うような大洪水は起こさないと仰ったからです。もしノアの大洪水が単なる局地的な大洪水に過ぎなかったとしたら、他にも恐ろしい局地的な大洪水が起きていたはずだからです。


Q:創世記8章21節において、神は再びすべての生き物を滅ぼされるのでしょうか、それとも、ペテロの手紙第二3章7節、10節で述べられているように、すべてのものが滅ぼされるのでしょうか?

A: 創世記8章21節では、神が「……私がしたように」すべての命を滅ぼさないことを約束されたとあり、創世記8章22節には「……地が存在する限り」と付け加えられています。神は火によって地を滅ぼされますが、信者たちは救われます。


Q:創世記8章22節にあるように、なぜ今でも飢饉が起こるのでしょうか?

A:創世記8章22節には、収穫と種まきの時が絶えることはない、と記されています。多くの飢饉はありましたが、世界規模で恒久的な飢饉は起きていません。


Q:創世記9章において、すべての動物は、どうして元いた場所に戻ることができたのでしょうか?

A: 大洪水が紀元前2600年から3000年、紀元前7000年頃、紀元前14,000年頃、あるいは約100万年前に起こったかについて、キリスト教徒の間では意見が分かれています。 紀元前2600年から3000年の間に大洪水が起こったと考える人々は、考古学的な発見と放射性年代測定法の結果が混同されていると考えており、動物たちが元の場所に戻ったかどうかを判断するデータは存在しないとしています。

しかし、もし大洪水が約1万4000年前に起きたのであれば、すべての動物が同じ場所に留まっていたわけではありません。当時、アメリカ大陸とアジア大陸は陸橋でつながっていました。その後、アメリカ大陸ではマンモスや馬が絶滅しました。

とはいえ、大洪水がいつ起きたかに関わらず、神には動物たちを御自身の望まれる場所へ導く力があるという点については、すべてのクリスチャンが同意できるでしょう。


Q:創世記9章3節では、人は肉を食べてもよいのでしょうか、それとも野菜だけなのでしょうか?

A:創世記1章29節には、アダムが果物や野菜を食べることができたとあります。大洪水の後、創世記9章3節には、私たちが肉を食べてもよいと記されています。詳細については、創世記1章28節に関する解説をご覧ください。


Q:創世記9章4節と使徒行伝15章28-29節において、今日でも血を食べることは禁じられているのでしょうか?

A: キリストが律法に取って代わったため、また使徒行伝10章11~16節において、すべての「食物」が清いものとされたことから、禁止されていないとする意見もあります。

一方で、創世記9章4節の規定はモーセの律法に先立って与えられたものであるため、禁止されていると主張する人もいます。使徒行伝15章20節、28-29節において、初期の使徒教会は、クリスチャンは血を避けるべきであると信じ、教えていました。もちろん、ごく微量の血であれば問題ありません。なぜなら、レビ記17章13節では、ユダヤ人が狩猟した獲物を野原で[素早く]血抜きして食べることを許されていたからです。


Q:創世記9章4節、レビ記7章26-27節、レビ記17章11-12節、および申命記12章16節、23-25節における「血を食べてはならない」という禁止事項は、エホバの証人が教えているように、人々が決して輸血を受けてはならないことを意味するのでしょうか?

A: いいえ。私たちは人肉を食べてはなりませんが、臓器移植は問題ありません。同様に、人々は血を食べてはならないと命じられていますが、輸血は問題ありません。

『エホバの証人が聖句ごとに答える』の22~23ページで指摘されているように、エホバの証人の「ものみの塔」組織でさえ、1944年までは輸血を禁じていませんでした。1967年には、臓器移植も禁止しました(『ものみの塔』誌 1967年12月15日号 p.702-704)。 その後、彼らは方針を転換し、1980年にこれらを許可しました(『ものみの塔』誌 1980年3月15日号 p.31)。また、1931年から1952年にかけては、予防接種も許可していませんでした。


Q:創世記9章6節は、現代において犯罪者を処刑することを禁じているのでしょうか?

A: 決してそうではありません。創世記9章6節は、殺人を禁じると同時に、殺人者に対する刑罰として死刑を命じています。創世記はモーセ五書の一つであり、出エジプト記から申命記に至るまで、多くの犯罪に対して死刑が科されていたことを思い出してください。次の質問もご参照ください。


Q:創世記9章6節は死刑について述べているのでしょうか?

A: 間違いなく死刑について述べています。それは処刑を意味しており、殺人犯であれそうでない者であれ等しく訪れる単なる肉体的死のことではありません。


Q:創世記9章12~13節において、神の契約のしるしとしての虹は、大洪水以前には虹が存在しなかったことを示しているのでしょうか?

A: そのように示唆してはいますが、それを証明するものではありません。『今日の聖書の難問解決ハンドブック』(p.220-221)にもあるように、神がしるしを用いるからといって、それが以前には存在しなかったことが自動的に証明されるわけではありません。例えば、割礼の儀式は、アブラハム以前にも、エジプト人やエチオピア人を含む他の民族によって行われていました(ヘロドトスの『歴史』第2巻第104章p.69)。 『バルナバの手紙』(西暦70~130年頃)第9章p.142によると、エジプト人も割礼を行っていました。「そう、エジプト人もまた割礼を行っているのです。」


Q:創世記9章20~21節において、ノアのような敬虔な人がどうして酔っ払うことができたのでしょうか?

A: 第一に、聖書は神の民も罪を犯すという事実を隠していません。第二に、大洪水後の山頂付近では気圧が低いため、酔いやすくなるのです。


Q:創世記9章20~21節において、なぜノアが酔っ払ったというこの悲しい話が聖書に記されているのでしょうか?

A: 聖書は、正しい行いをすることの重要性を示すだけでなく、間違った行いをした結果がどうなるかという現実的な例も示しています。アレクサンドリアのクレメンス(西暦193-217/220年)は、この点について非常に明確に答えています。「ノアの酩酊が文書に記録されたのは、彼の過ちが明確かつ文書として私たちの目の前に示されることで、私たちが全力を尽くして酩酊から身を守れるようにするためです。」 『インストラクター』第2巻第2章246ページ。


Q:創世記9章21~25節についてですが、無神論者(カペラ)が示唆したように、ハムがノアにこれ以上息子をもうけないように去勢したという、ギリシャ神話のクロノスが父ウラノスを去勢した話に似た、元の物語を簡略化したものが創世記だったのでしょうか?

A: いいえ、ここには去勢の示唆は一切ありません。ギリシャ文化に関しては、モーセの時代における唯一のギリシャ文化は、初期のミケーネ文明であったことを念頭に置いてください。私たちが知っているギリシャ神話の多くは、その時代以降のものであります。参考までに、ホメロスの『トロイア戦争』は紀元前1200年頃であり、出エジプトから約250年後となります。

したがって、おそらくここには借用はなかったと考えられます。もしそれでも借用があったと主張するのであれば、後者が前者から借用したことになるため、このギリシャ神話はモーセの時代よりも後世のものであった可能性が高いでしょう。


Q:創世記9章22節において、ハムが父親の裸を見たことは、何が問題だったのでしょうか?

A: 息子は親の欠点を軽々しく公にすべきではありません。創世記9章22節におけるハムの態度は、不敬なものでした。ハムは、自分の息子が自分にとって恥となることを知らされました。 メトディウス(西暦270-311/312年)の『十人の乙女の饗宴』第10講第2章348ページ、およびユスティヌス(西暦138-165年頃)の『トリフォとの対話』第139章269ページによれば、ハムの態度は嘲笑的なものでした。


Q:創世記9章22~23節において、もしご両親のことで恥ずかしい思いをした場合、どうすればよいでしょうか。

A: まず、なぜ恥ずかしいと感じるのかを理解してください。ご両親は実際に道徳的に間違ったことをしているのでしょうか、それとも単にあなたが細かいことを気にしすぎているだけなのでしょうか、あるいはその中間なのでしょうか。ご両親を敬わなければなりません(出エジプト記20:12、エペソ人への手紙6:2)が、それでも罪を容認してはなりません。 主にある限り、両親に従うべきです(エペソ人への手紙 6:1)。つまり、両親の言うことに従うべきですが、もし両親が神に反することを命じた場合は、まず神に従わなければなりません。


Q:創世記9章22~23節について、もし自分の子供たちが自分のことを恥ずかしく思ったら、どうすればよいでしょうか?

A: 子供たちが親を恥ずかしく思う状況には、少なくとも4つのケースが考えられます:

1) あなたがとっている道徳的な立場が正しいものであるため、

2) スタイルや個人的な好み、あるいは道徳的に中立でありながら適切な事柄に関連して、

3) あなたが何か間違ったことをしたため、

4) それ自体は間違っていないものの、思いやりが欠けていたり、子どもの気持ちを尊重していなかったりすることによる場合です。

1番目の理由については、なぜその立場をとっているのかを単に説明すればよいでしょう。2番目の理由については、「良いものを悪だと言わせない」(ローマ人への手紙 14:16)ようにすべきですが、愛から彼らに配慮することもあるでしょう(ローマ人への手紙 14:14-15)。


Q:創世記9章22~23節において、なぜ子供たちは時に両親を敬わないのでしょうか?

A: 古代中国の物語に、ある旅人が、年老いた父親を手押し車で運ぶ男と、その後ろを歩く幼い息子を見かけたという話があります。旅人がその男に何をしているのか尋ねると、男はこう答えました。「父はもはや自分の身の回りの世話をすることができず、家族にとって重荷となっているため、川に投げ込んで溺れ死なせようとしているのです。」 旅人はその話に心を痛め、その男をこの悪行から思いとどまらせるために何を言えばよいか分かりませんでした。結局、彼はただこう言いました。「手押し車を忘れずに持ち帰ってくださいね!」 つまり、その男が父親に対して行っていることは、自分の息子に、将来自分に対しても同じことをするように教えていることになるのです。

子供たちが両親を敬わない場合、その理由には少なくとも五つのものが考えられます。

a) 両親を敬うよう命じている神に従う必要性を感じていないからです(出エジプト記 20:12、エペソ人への手紙 6:2)。

b) 子供として、エペソ人への手紙6章1節で命じられているように、主にあって両親に従うことを望んでいないからです。

c) 以前は、両親が自分を助けてくれると考えていたため、両親を敬っていたかもしれません。しかし、もはや両親が物質的に自分を助けてくれるとは考えていないため、なぜ敬わなければならないのかと思うのです。これは、大学に進学した子供たちや、両親から富が得られる見込みがないと考える大人たちに当てはまるかもしれません。

d) 彼らは、成長過程で両親が自分たちのために払った犠牲に対して、恩知らずな態度をとっています。

e) 彼らは、権威そのものを軽視することを選んでいるのかもしれません。

手押し車はいつまでもそこにあります。あなたの子供たちや他の人々が、あなたとの関係をどのように築くかを決める時、彼らはあなたが手押し車で何をしたか、そしてあなたがもはや主な受益者ではなくなっているかもしれない関係について思い出すでしょう。


Q:創世記9章22~23節において、他者の罪に対して私たちはどのように対応すべきでしょうか?

A: どのような場合でも、その罪を容認しているような印象を与えてはなりませんが、それでも罪人を愛することはできます。自分自身が誘惑にさらされるような状況には陥らないようにすべきです。それに加えて、その罪人が自分の子供であるか、親であるか、自分より年上の人であるか、クリスチャンであるか、あるいは未信者であるかによって、対応は異なります。

もし兄弟が私たちに対して罪を犯したなら、マタイによる福音書18章15~17節に従い、まずその人と二人きりで話し合うよう努めるべきです。それで解決すれば、それで一件落着です。しかし、もしその人が聞き入れないなら、もう一度訪ね、さらに一人か二人を連れて行くべきです。それでも解決しないなら、教会に告げるべきです。それでも解決しないなら、その人は教会から除名されるべきです。

長老に対する告発は、二、三人の証人が立証しない限り、取り上げてはなりません(テモテへの手紙第一 5章19節)。

体罰(お尻を叩くこと)は自分の子供に対しては行ってもよいですが、他の人に対しては行ってはいけません(箴言22:15;ヘブライ人への手紙12:7-11)。

年配の男性に対しては、きつい口調で叱ってはいけません(テモテへの手紙第一 5:1)。


Q:創世記9章25節において、なぜハムではなくカナンが呪われたのでしょうか?

A:ハムは、自分の子孫が罪の結果を示す例となることを知りました。『エクスポジターズ・バイブル・コメンタリー』第2巻97ページによると、この動詞のヘブライ語形は未完了形であり、命令形ではないため、「その意味は、呪い(『彼であれ』)というよりも、予言(『彼はそうなるだろう』)である可能性が高い」とされています。 したがって、ノアの言葉は、その後の物語の中心的なテーマ、すなわち「選ばれた子孫とカナン人の子孫との分離」を予見しているのです。」『735の不可解な聖書の疑問への答え』p.32でも同様の指摘がなされています。

詳細については、ユスティヌス・マルティル[西暦138年頃~165年頃]の『トリフォとの対話』第139章、268~269ページをご参照ください。


Q:創世記9章25~26節において、カナンの呪いとは何でしたか?

A: 創世記には、「彼は兄弟たちの『しもべのしもべ』となる」とだけ記されています。この呪いはハムではなく、カナンに向けられたものであることにご留意ください。ハムであったと記しているギリシャ語やヘブライ語の写本は存在せず、そう述べているのはアラビア語訳のみです。(『聖書の起源』p.307によると、五書の最初のアラビア語訳は、西暦892年から942年にかけて生きたサアディア・ガオンによって翻訳されたものです。)

ハムが父ノアを恥じ入らせたように、カナンとその子孫は父ハムを恥じ入らせることになるのです。より詳しい回答については、『聖書の難解な言葉』(p.116-118)をご参照ください。


Q:創世記10章に登場する68の民族と16の都市とは、どのようなものなのでしょうか?

A: 『735の不可解な聖書の疑問への答え』(p.32)によると、これは現存する最も古い民族誌的文書です。学者たちは、68の民族のうち51を特定できると考えており、考古学者たちは16の都市のうち11を発見しています。 ソドムとゴモラは完全に破壊されたため、これまで発見されたことはありません。しかし、紀元前2400年から2250年に書かれたエブラの粘土板には、シ・ダ・ム(ソドム)とイ・マ・アル(ゴモラ)という町が言及されています。 また、『ワイクリフ聖書考古学辞典』(p.124)によると、死海のすぐ南で「バブ・エド・ドラ」と呼ばれる聖域が発見されたとのことです。その年代は紀元前2800年から1800年の間と推定されています。

以下に、既知または推測される民族を挙げます。

ヤフェト — ギリシャ人は、自分たちの祖先がヤペトスであると述べていました

|->ゴメル — ギミラ/アッシリアのキムメリア人/ギリシャ人

| |->アシュケナズ - アス・グ・ザ・ア/アッシリア語 = スキタイ人

| |->リファト — ? ロシアに住んでいたのでしょうか?

| |->トガルマ — 以下のいずれかです。

| 小アジアのテガラマという町、アルメニア人の祖先、

| あるいはその両方です。

|->マゴグ - ヨセフスによれば、スキタイ人でしょうか

|->マダイ - メデス人

|->ヤヴァン - イオニアのギリシャ人

| |->エリシャ — ヨセフスによれば、エオリア人でしょうか?

| |->タルシシュ - 小アジアの都市、あるいはスペイン

| |->キティム - キプロス

| |->ドダニム/ロダニム - ロードス島

|->トゥバル - カッパドキアのタバリ族

|->メシェク - ムシュキ/アッシリア人(元々は

| キリキアとカスピ海の間

|->ティラス - おそらく、紀元前1250年にエジプトに侵攻したトゥルサ(=Tw-r’w-s3)のことでしょう。

ハム - 部族ではなく、子孫のみ

|->クシュ - スーダン人(古代のクシュ)

| |->セバ - エチオピア北部。この

| | この地名は、おそらく後に到来したサバ人の入植者たちに由来する

| | に由来すると思われます。

| |->ハヴィラ - パキスタンのインダス川付近、

| | パキスタン、あるいはシェバとハドラマウトの近辺

| |->サブタ — ? おそらくシェバの北部に居住していたと思われます

| |->ラアマ — おそらくアラビア南西部の

| | | アラビア(ストラボン 16.4.24)

| | |->シェバ - アラビア半島の南西端にあるシェバ

| | | アラビア半島の南西端にあるシェバ

| | |->デダン - ペルシャ湾の北西に位置します。

| | カルデア人やアッシリア人によって言及されています

| |->サブテカ - ? 他に知られていない

|->ミズライム - エジプト

| |->ルディテ族 - ? 他に知られていない

| |->アナミテ族 - ? 『歴代誌上』1章11節でのみ言及されています

| |->レハビ人 - Rbw/リブ族は敵対的な

| | エジプトの西に位置する部族でした

| |->ナフトゥヒ人 - ? 他に知られていない

| |->パトロス人 - パトロスはエジプト南部でした

| |->カスルヒ人 - ペリシテ人はこの地からやって来ました

| |->カフトル人 - クレタ島/エーゲ海諸島

| | (アッカド/マリ/ウガリット/エジプト)

|->プット - バビロニアおよびペルシャの記録によれば、リビアです。

|->カナン - カナン人

| |->シドン - フェニキアの都市

| |->ヒッタイト人 - エルサレムのすぐ北に居住していました

| |->エブス人 - エルサレムに居住していました

| |->アモリ人 - カナンに居住していました。アモリ語では「アムルル」

| | アッカド語で「西の人」を意味します

| |->ギルガシ人 - カナンに居住していました。おそらく

| | キルキシュ人/アッシリア人

| |->ヒビ人 - ティルス、シドン、シェケムの近辺に住んでいました。ソロモン王は神殿の建設に彼らを動員しました

| |->アルキ人 - シリア北部の「アルカ」という港

| |->シニ人 - カナン北部の港町シアンヌ

| |->アルヴァド人 - フェニキア北部の都市アルヴァド

| |->ゼマライト人 ― カナン人の都市シムラ(アルヴァドの南6

| | マイル南に位置するカナン人の都市シムラ

| |->ハマテ人 - シリア最古の都市の一つ

セム — おそらくシュメール

|->エラム - エラム人、首都はスーサでした

|->アッシュール - 最初のアッシリアの首都

|->アルパクシャド - ? プトレマイオスは、ヴァン湖とウルミヤ湖の間にアラパキティス地方があったと記しています

| |->シェラ — 部族については不明、子孫のみが知られています

| | |->エベル - 部族は知られておらず、子孫のみが存在します

| | |->ペレグ - 部族は不明、子孫のみ

| | |->ヨクタン - 多くのアラビアの部族、あるいは

| | | 南アラビアのカタン族(アル=タバリ

| | | 第6巻 p.xxii;第20巻 p.xv)

| | | |->アルモダド - おそらく? 南アラビアの部族

| | | |->シェレフ — イエメンに属する南アラビアの部族

| | | |->ハザルマヴェト — アラビアのハドラマウト

| | | |->イェラ — おそらくアラビアの部族でしょうか?

| | | |->ハドラム — ? 他に知られていない

| | | |->ウザル - ? 他に知られていません。

| | | | ただし、ウザル/アウザルは古代の

| | | | イエメンのサナという地名です。

| | | |->ディクラ — 「ヤシの林」を意味します。彼らは

| | | | おそらく、ワディ・シルハンに定住したのかもしれません。

| | | | 死海の南東約250マイルの地点に定住した可能性があります。

| | | |->オバル ― 『歴代誌上』1章22節以外では知られていません

| | | |->アビマエル ― ? 他に言及はありません

| | | |->シェバ ― 南アラビアのサベア人

| | | |->オフィル - おそらくソマリア、あるいはアラビア南西部

| | | | アラビアの南西部。ヨセフスとヒエロニムスは

| | | | インドであると考えていました。

| | | |->ハビラ - おそらくアラビア中部

| | | |->ヨバブ - ? 他に知られていない

|->ルド - リディア人、あるいは

| チグリス川上流とユーフラテス川の間にあるルブディの地

|->アラム — シリアのアラム人

|->ウズ - アウシタイ族?ユーフラテス川の西側に居住していました

|->フル - ? 他に知られていない

|->ゲテル - ? 他に知られていません

|->マシュ/メシェク - ? アッシリア人に知られていたシリア・アラビア砂漠の「マシュ」、レバノンのマシウス山、あるいはメシェクが二つの祖先の混血であった、のいずれか


Q:創世記第10章の諸民族表に、なぜインド人や中国人が記載されていないのでしょうか?

A: まず、答えではないものを挙げ、その後で答えを述べます。

答えではない点:シニテ族については言及されていますが、彼らはおそらく中国人ではなく、シリア北部のカナン人の港町シアンヌの出身者であると考えられます。ヨセフスやヒエロニムスはオフィルをインドだと考えていましたが、おそらくアフリカである可能性が高いでしょう。

答え:すべての人々はアダムに由来し、皆、アダムの性質による呪いを受けていました。『創世記』はすべての民族を網羅しているとは主張しておらず、数百ある民族のうち、『創世記』が言及しているのは、イスラエル人が認識しうる民族に限られています。


Q:創世記10章には、メソポタミアのシュメール人が言及されていますか?

A: はい、おそらく「セム」として言及されていると思われます。シュメールの地名はしばしば「r」を省略して発音され、シュム(Sum)は容易にセム(Shem)となる可能性があります。この点に関する学術的な裏付けについては、サミュエル・ノア・クレイマー著『The Sumerians』の297~298ページをご参照ください。クレイマーはまた、『American Journal of Semitic Languages』第58巻[1941年]の20~26ページも引用しています。


Q:創世記10章2節に登場するゴメル族とは、どのような人々だったのでしょうか?

A: 彼らは、アッシリア人からは「ギミラ」、ギリシャ人からは「キムメリア人」と呼ばれていた民族です。ゴメル族はウクライナとロシア南部に居住していました。


Q:創世記10章2節で、なぜメデ人(マダイ)が言及されているのでしょうか。この民族は、紀元前836年のシャルマネセル3世の碑文まで、他のどこにも言及されていなかったからです。

A: シャルマネセル3世の文書は、モーセの時代である紀元前1407年より後のものですが、現存する初期の文献に言及がないからといって、その存在がなかったことを証明するものではありません。 アッシリア人は、メデス人と戦ったり、馬の取引を行ったりした際のみ、そのことを記録していました。『ペルシャと聖書』(p.35)によると、「I.M. ディアコノフは、インド・イラン系部族がイラン高原に到来したのは、紀元前2000年から1500年までの紀元前2千年紀前半であったと考えています。 しかし、新参者に関する最古の考古学的証拠は、紀元前2千年紀後半の初期[紀元前1500~1300年]にさかのぼるようです。」

これとは対照的に、強大なミンニ族については、エレミヤ書51章27節で言及されています。しかし、ミンニ族の歴史は紀元前1200年までしか遡らず、創世記にはミンニ族について言及されていません。なぜなら、創世記はそれより以前に書かれたからです。

要約すると、考古学的証拠は、モーセの時代にメデ人が存在していたことを裏付けています。


Q:創世記10章2節に登場するヤワン族とは、どのような人々だったのでしょうか?

A: 彼らは、島々や小アジアに住んでいたイオニア人のギリシャ人です。ヘブライ語では「ヤワン(yawan)」と記されており、これはホメロスの『イリアス』第8巻685行にあるギリシャ語の「イアオネス(iaones)」または「イアウォネス(iawones)」、およびサルゴン2世やダレイオス1世の碑文にある「ヤマヌ(yamanu)」と同一視されています。イオニア人は、ラムセス2世の時代(紀元前1300年頃)からエジプトでも言及されています。 イザヤ書66章19節やエゼキエル書にも彼らのことが記されており、セプトゥアギンタ訳ではこれを「ヘラス」と訳しています。


Q:創世記10章2節に登場するトゥバル族とは、どのような人々だったのでしょうか?

A: 彼らはアッシリア人からは「タバル(またはタバリ)」と呼ばれ、現在のトルコにあるカッパドキア地方に住んでいました。ギリシャの歴史家ヘロドトスは、彼らを「ティバレノイ」として知っていました。彼らはエゼキエル書27章13節、38章2-3節、39章1節、およびイザヤ書66章19節に言及されています。

アッシリア王シャルマネセル3世(紀元前859年~824年)は、トゥバルの24人の王たちから貢ぎ物を受け取りました。アッシリア人は紀元前732年にトゥバルの王を廃位させました。サルゴンは、トゥバルから貴金属製の容器が運ばれてきたことに言及しています。また、サルゴンはトゥバル、ムシュキ(メシェク)、アララトによる反乱を鎮圧しました。


Q:創世記10章2節に登場するメシェク族とは、どのような人々だったのでしょうか?

A: アッシリア人は、ティグラト・ピレセル1世の時代(紀元前1100年頃)に、彼らを「ムス・カ・ア・イア」と呼び、2万の軍勢を擁していたと初めて言及しています。また、シャルマネセル3世(紀元前859-824年)の時代にも言及されています。 彼らはもともとキリキアとカスピ海の間に住んでいましたが、サルゴン2世(紀元前722~705年)の時代には、現在のトルコにあたるフリギア地方に住んでいました。ヘロドトス『歴史』第3巻94節では、彼らを「モスコイ」として挙げており、ダレイオス王の19のサトラピーの一つを構成していました。また、彼らはフリギア人と同一視されています。


Q:創世記10章2節に登場するティラス族とは、どのような人々だったのでしょうか?

A: ティラス族についてはあまり知られていません。ヨセフスはトラキア人が彼らに由来すると主張していますが、現代では、彼らは海賊であったトゥルセニク人/ティルセニアン人であったと考えられています。エジプトの記録には、紀元前1250年頃にエジプトに侵攻した「トゥルサ」(Tw-rw-s3)という民族について言及されています。外典である『ユビレアの書』によると、ティラス族は4つの島に住んでいたとされています。


Q:創世記10章3節にあるトガルマは、どこにあったのでしょうか?

A: トガルマは、小アジアのマラティヤの町から西へ約70マイル(113キロメートル)の場所にありました。ヒッタイト人はこの地をテガラマと呼んでいました。 アッシリア人はこの地をティルガリマヌと呼び、紀元前695年に征服しました。ギリシャ人はガウラエナと呼んでいました。アルメニア人は、自分たちがトルゴムの息子ハイクの子孫であると主張しているため、トガルマの子孫である可能性があります。


Q:創世記10章5節、20節、31節には、異なる言語が存在したと記されていますが、なぜ創世記11章1節では、全地が同じ言葉を使っていたのでしょうか?

A: 創世記10章は概観であり、創世記11章は創世記10章の中で起こった一つの出来事について述べています。創世記10章5節には「これらから……」、10章18節には「その後……」とあります。これらは、創世記10章が子孫たちが後にどのように広がっていったかを述べていることを示唆しています。創世記11章1節は、人々が散らされる前に起こったバベルの塔の出来事について語っています。

バビロニアで見つかった興味深い粘土板の断片には、神々を怒らせたある神殿について記されています。神々は一夜のうちにその神殿を破壊し、人々を奇妙な言葉を持つ者たちとして散らしました。


Q:創世記10章6節、13節、および歴代誌上1章8節、11節において、なぜこれらの国々のなかにエジプトが挙げられていないのでしょうか?(この点について疑問を抱いているクリスチャンより)

A: 言及されています。エジプトを表すヘブライ語は「ミツライム」です。


Q:創世記10章8~12節において、ニムロドの事績は、『アシモフの聖書ガイド』(p.52)が述べているように、ルガル・ザッガシ、アガデのサルゴン、ハンムラビ、シャルマネセル1世の偉業が融合したものでしょうか?

A: いいえ。保存されている数万枚のシュメール語の粘土板以外、これらの古代シュメールの王たちについてはあまり知られていませんが、それらの征服者たちとニムロドとの類似点はごくわずかです。 聖書には、ニムロドが主の御前で偉大な狩人であったこと、ニムロドの活動がシナール(シュメール)の四つの都市で始まり、後にアッシリアへ進出し、そこで互いに近接した四つの都市を築き、それらが後に非常に大きな影響力を持つようになったことだけが記されています。 聖書はニムロドについてこれ以外のことは何も述べていないため、比較を行うのは困難です。ニムロドがハンムラビであったはずはありません。なぜなら、ハンムラビ(紀元前1803/1793年~1760/1750年)は、アブラハムのずっと後に生きていたからです。ニムロドは実際には、聖書におけるサルゴンのことである可能性もありますが、サルゴンとニムロドの両方について、断定するには情報が少なすぎます。


Q:創世記10章9節において、ニムロドは「主の御前で」優れた狩人であったのでしょうか、それとも「主に逆らって」不敬虔な捕食者であったのでしょうか?

A: ここでのヘブライ語「パニーム(paniym)」の最も適切な訳は、おそらく「~の前で」でしょう。英語の「before」と同様に、「パニーム」は多くの文脈で使用されます。例えば、ヨシュア記20章6節や9節では、指導者が会衆の前に立っていたとあります。また、サムエル記上4章2節では、イスラエルはペリシテ人の前で敗北し、同4章17節では、イスラエルはペリシテ人の前から逃げました。

この場合、「パニイム」は「~の前で戦う」といった意味と同様に、不敬虔な表現として用いられていると考えられます。ニムロドという名は、ヘブライ語の「マラド」(「反逆する」または「我々は反逆する」という意味)に関連しています。バベルの塔の事件の後、ニムロドは主に逆らってバビロンの都を築きました。

ニムロドが「主の御前で力強い狩人」であったということは、ニムロドにとって否定的で不敬虔な意味合いを持っています。


Q:創世記10章9節において、ニムロッド/ニムルドは正確にはどの民族に属していたのでしょうか?

A: 3つの可能性があります。

ミカ書5章6節では、アッシリアが「ニムルドの地」と呼ばれており、カラの町もニムルドと呼ばれ、バビロニアの都市ボルシッパもビルス・ニムルドと呼ばれています。

紀元前3200年頃、メソポタミアに居住しバビロンを統治したキシュのカッシート族の子孫であり、創世記10章8節には、クシュがニムロドの父であると記されています。『アンガーの聖書辞典』(p.794)によると、ニン・マラッダはキシュの南西に位置する町の非セム語系の名称です。この見解は、最初の見解とも整合します。

ウバイディ人は、南からやって来たシュメール人よりもはるかに早い時期(紀元前3800年~3500年頃)に、シュメールおよびメソポタミアに居住していた非セム系の人々でした。『創世記』10章8~10節によると、ニムロドはまずバビロニアに居を構え、その後北のアッシリアへと向かったとされています。 ウバイディ人についてはほとんど知られていませんが、ハムとのつながりがあることから、インドの肌色が濃いハラッパ人々と関係があった可能性があります。この見解の詳細については、『ワイクリフ聖書辞典』p.1207-1208をご参照ください。


Q:創世記10章14節にある「パレスチナ」という用語は、どこに由来するのでしょうか?

A: 確かなことは分かりませんが、フィリスティアという地名に由来している可能性が高いと思われます。

ギリシャの歴史家ヘロドトス(紀元前484年頃~紀元前425年頃)は次のように述べています。「フェニキア人やパレスチナのシリア人自身も、エジプト人の慣習を学んだことを認めています。また、シリア人たちは……最近になってコルキス人からそれを取り入れたと述べています。さて、割礼を行っているのはこれらの民族だけであり、彼らが皆、この点においてエジプト人を模倣していることは明らかです。」 『歴史』第2巻(エウテルペ)第104章 69ページ

ギリシャの哲学者アリストテレス(紀元前384年~322年) また、伝説にあるように、パレスチナに、人間や動物を縛って投げ込んでも沈まずに浮くような湖があるとしたら、それは我々の述べたことを裏付けることになるでしょう。人々は、この湖は極めて苦く塩辛いため魚が一切生息しておらず、衣服をその中に浸して振り絞れば汚れが落ちるのだと言っています。 『気象学』II.3

アレクサンドリアのフィロ(紀元前20年~紀元50年)は、「さらに、パレスチナやシリアもまた、模範となるような知恵や美徳に乏しいわけではありません」と記しています。『すべての善良な人は自由である』第XII章(75)p.689

ローマの地理学者ストラボン(西暦23年)は、アレクサンドリアのユダヤ人たちから聞いた話として、ユダヤ人のエジプトからのパレスチナへの脱出について論じています。

ヨセフス(紀元100年頃)は、「エジプト、シリア、そしてパレスチナにおいてユダヤ人に何が起こったか、また我々がアッシリア人やバビロニア人からどのような苦難を受けたか……」と述べています。『ユダヤ古代史』第20巻第11章、426ページ

また、ニカイア公会議以前のキリスト教作家10名(全員が西暦135年以降)がパレスチナに言及しています。その人物たちは、ユスティヌス・マルティル、カイサリアのテオフィロス(書簡の題名において)、アレクサンドリアのクレメンス、テルトゥリアヌス、ヒッポリュトス、オリゲネス、ユリウス・アフリカヌス、アレクサンドリアのディオニュシオス、グレゴリオス・タウマトゥルゴス、そしてパンフィロスです。

ローマ皇帝ハドリアヌスが西暦132年から135年にかけての第二次バル・コフバの反乱を鎮圧した際、彼はユダヤ人をその地から追放し、その領土の名称を「シリア・パレスチナ」と改めました(クリス・J・シーマン、「ユダヤ」、Dictionary of NT Background [イリノイ州ダウナーズ・グローブ:インターヴァーシティ・プレス、2000年]、624頁)。


Q:創世記10章22節と22章21節において、懐疑的な『アシモフの聖書ガイド』(p.88)が述べているように、アラムは2度生まれたとされているのでしょうか?

A: いいえ、しかし2つの答えが考えられます:

別の人物である可能性:聖書には、アラムという名前の人物が2人ではなく、3人登場します。

1. 創世記10章22節によると、アラム・シリアはセムの子孫でした。(ヘブライ語では、「息子」と「子孫」を表す言葉が同じであり、同様に「父」と「祖先」を表す言葉も同じです。)

2. 創世記22章21節には、ケムエル(アブラハムの甥)の子孫であるアラムについて言及されています。ケムエルはナホルの子孫であり、ナホルはテラの子孫であり、テラはセムの子孫でした。

3. それよりずっと後の『歴代誌上』7章34節には、アシェル族のシャメルを父とするアラムという人物が登場します。

『ワイクリフ聖書辞典』122ページおよび『新国際聖書辞典』74ページでも、3人の人物について言及されています。

一人の人物:創世記10章22節と22章21節に登場する2人の「アラム」は、いずれもセムの子孫であることにご留意ください。したがって、実際には同一人物である可能性があり、『諸民族の系図』には、セムがアラムの祖先として記されています。


Q:創世記11章において、人々は天をそれほど「低い」場所だと考えていたのでしょうか。それゆえ、バベルの塔を天まで建てようとしたのでしょうか。

A: これはモーセの見解ではなく、塔を建設していた人々の見解でした。創世記11章は、それを是認することなく、人々の愚かな考えの一部を記録しています。もちろん、大衆にとっては愚かな考えであっても、祭司たちにとっては、人々が彼らを畏敬の念を持って見上げるようにするための巧妙な策略であった可能性もあります。

『NIVスタディ・バイブル』23ページには、考古学者たちが発見した、同様の大げさな名称を持つ他のピラミッドやジッグラトが挙げられています。

ラルサ:「天と地をつなぐ家」

ボルシッパ:天と地の七人の導き手の家

アッシュール:宇宙の山なる家

バビロン:天と地の基台(土台)の家

バビロニアの『エヌマ・エリシュ』第6章の55行目から64行目には、バビロンが天の神々によって天上の都市として築かれたと記されています。「バビリ」とは「神の門」を意味します。


Q:創世記第11章において、バベルの塔を建設したことのどこが罪だったのでしょうか?

A:建物の建設そのものではなく、自分たちの力だけで天に昇ることができると(愚かにも)考えた傲慢な動機にありました。多くの偶像崇拝の根底には、唯一真の神を求めるのではなく、人々が「自分なりの方法」で、好きなように信仰すべきだという考えがあります。 神の反応は、罰というよりは、むしろ彼らがさらなる悪を行うのを防ぐためのものだったようです。賢明な親は、子供たちが律法や自分の命令を完全に無視することを望みません。神もまた、ご自身が創造された人々がそのようなことをすることを望んでおられないのです。


Q:創世記第11章において、シュメール語についてどのようなことが分かっていますか?

A: シュメール語は楔形文字で記され、インド・ヨーロッパ語族には属しません。トルコ語、ハンガリー語、およびコーカサス山脈の一部の言語と幾つかの類似点があります。現代の学者たちはシュメール語を読み解くことができ、その単語の発音も把握しています。シュメール語には、f、i、j、th、軟音のch、v、w、あるいはウムラウトの音はありませんでした。 また、「ng」という音(広東語やベトナム語のように)があり、ほとんどのインド・ヨーロッパ語族の言語のように、語尾に語形変化はありませんでした。さらに、シュメール語には多くの方言が存在しました。古代の英語や中国語があったのと同様に、シュメール語にも「古シュメール語」、「古典シュメール語」、「新シュメール語」、「後シュメール語」という4つの時代がありました。アブラハムが暮らしていた時代は、「新シュメール語」が話されていた時期でした。

ヘブライ語には、アッカド語を経由して取り入れられたシュメール語由来の借用語がいくつかあります。シュメール語と同様に、ヘブライ語にも「j」の音はありませんでした。


Q:創世記第11章の記述は時系列がずれていたのでしょうか?

A: いいえ、順序が間違っていることを示す証拠は何もありません。考えてみてください。血縁や婚姻関係にある8人を除いて全人類が滅びたとしたら、その8人が皆同じ言語を話していた可能性は非常に高いでしょう。しかし、ある時点で人々は異なる言語を話し始めるようになり、それは彼らが地理的に隔離された頃のことだったと考えられます。 興味深い補足として、非宗教的な言語学者たちは、すべてのインド・ヨーロッパ語族(ケルト語からドイツ語、ギリシャ語、さらにはサンスクリット語に至るまで)を、共通の起源に遡ることができると考えています。彼らは、その言語が紀元前4,000年頃にウクライナで話されていたと推測しています。


Q:創世記11章1~9節において、なぜバベルの塔以前には一つの言語しかなかったのでしょうか。創世記10章5節、20節、31節には、大洪水後に多くの言語が生まれたと記されているからです。

A: どちらも真実です。なぜなら、創世記10章は、バベルの塔の前後を通じて部族がどのように広がっていったかを述べているからです。この答えを考える上で、3つの点を考慮する必要があります。

創世記10章5節には、海の民が「それぞれの領地へと分かれた」様子が記されています。この分散はバベルの塔の事件の後に起こりました。

同様に、創世記10章20節も、ハムの息子たちの領地について言及していると述べており、ハムの子孫たちがそれぞれの領地へ移住したのは、バベルの塔の事件の後となります。

創世記10章31節は、セムの子孫について述べている点を除けば、創世記10章20節とほぼ同じ内容です。


Q:創世記11章5節と18章21節において、神は至る所にいらっしゃるのに、どうして「主は町を見下ろすために降りてこられた……」と書かれているのでしょうか?

A: これは、神がその町に特別な関心を寄せられたことを伝える表現です。


Q:創世記11章7節についてですが、私たちの知る限り、懐疑的な『アシモフの聖書ガイド』(p.18)が述べているように、初期の信仰は常に多神教であり、一神教は後になって発展したものでしょうか?

A: いいえ。歴史からわかる限り、初期の中国の宗教は一神教であり、東南アジアの他のいくつかの文化も同様でした。この一神教の神に対する初期の中国での呼称は「上帝(シャンディ)」であり、これは今日の中国語版聖書でも神を指す言葉として用いられています。


Q:創世記11章7~9節にある、バベルの塔での言語の混乱は、ギリシャ神話のアロアダイの物語から借用されたものなのでしょうか?

A: オリゲネス(西暦230~254年)は、『ケルスス反駁』第4巻第21章(p.505)においてこの点を調査し、以下の理由からその可能性はないと結論づけました。

a) ホメロス以前にこの話を耳にしたギリシャ人は、彼(あるいは私たち)の知る限り存在しません。

b) ホメロスはモーセより数世紀も後に生きていたからです。

ちなみに、ホメロスの生きた時期については、諸説が分かれています。 古代ギリシャの歴史家アリストアルコスは紀元前1044年と述べており、フィロストラトスの権威ある資料では紀元前1159年、偽ヘロドトスの『ホメロスの生涯』では紀元前1102年とされています。これとは対照的に、歴史家テオポムポスは、ホメロスが紀元前685年という遅い時期まで生きていたと述べています。ヘロドトスは、紀元前730年頃より前ではなかったと記しています。 出エジプトは紀元前1447年頃でした。

テオフィロス著『オートリコスへの書簡』(西暦168-181/188年)第3巻第20章117ページでも、「モーセとその追随者たちは、トロイア戦争の900年、あるいは1000年も前に存在していたことが証明されている」と指摘されています。 しかし、トロイア戦争は実際にはその約250年後であり、900年から1000年後ではありませんでした。

結論:ギリシャ人がより古い時代のヘブライ人からこの物語を受け継いだか、ギリシャ人がギリシャ国外のどこかからこの物語を受け継いだか、あるいはギリシャの記述と聖書の記述が同じ出来事に基づいているかのいずれかです。


Q:創世記11章9節において、「バベル」という名称を、「混ざり合った、混乱した、あるいは混乱させられた」という意味のヘブライ語「バラル(balal)」に由来させる解釈は、懐疑的な『アシモフの聖書ガイド』(p.55)が述べているように、バビロニア語の「バビル(Bab-ilu)」が「神の門」を意味することから、誤りなのでしょうか?

A: いいえ。アシモフ氏は、バベルがバビロンの都市の跡地にあると想定しています。聖書は、バビロニア人やシュメール人が、言語が混ざり合い、混乱し、または混乱したからだと述べたとは述べていません。むしろ、創世記は、バベルがどこにあろうとも、その後の人々(創世記を読むヘブライ人を含む)は、そこで言語が混乱したため、その場所をバベルと呼ぶことができたと述べているのです。


Q:創世記11章10節によると、大洪水が起きたとき、セムは何歳でしたか?

A: 聖書から読み取れる点と、それに基づく結論は以下の通りです。

創世記11章10節によると、洪水から2年後、セムは100歳でした。

創世記5章32節によると、ノアが500歳のときにハム、セム、ヤペテが生まれたとあります。

創世記7章6節には、大洪水が地上に降りかかったとき、ノアは600歳であったと記されています。

聖書には、ハム、セム、ヤペテが三つ子であったことを示す記述は一切ありません。創世記5章32節の数字は概数であり、この3人は、おそらく一人ずつ、ノアがおよそ500歳から600歳の間に生まれたものと考えられます。


Q:創世記11章18~24節に登場するレウ、セルグ、ナホルについて、聖書以外の記録は存在しますか?

A: すべての個人について独立した記録が存在すると期待することはできません。しかし、このケースに関しては、おそらく独立した記録が存在すると思われます。アッシリアの年代記には、現在のシリアにあるパリッグ、レウ、サルギ、ナクールという名の村々が記録されています。マリの記録にもナクールについて言及されています。


Q:創世記11章27節および17章5節にある「アブラム」と「アブラハム」という名前の由来は何でしょうか。

A: その名前の由来は定かではありません。これは西セム語系の名前であり、おそらく「父は崇められている」あるいは「崇高な父」という意味であると考えられます。 マリ(紀元前2800年~1760年)の遺跡から出土した粘土板には、ノア、アブラム、ラバン、ヤコブといった名前が記されています。「アブラハム」という名前は、「多くの民の父」または「大いなる民の父」を意味します。


Q:創世記11章27節と17章5節において、名前、あだ名、称号は人々にどのような微妙な影響を与えているのでしょうか?

A: これらは少なくとも8つの役割を果たします。

見知らぬ人に、その人の仕事や重要性を伝え、第一印象を与えます。私がかつて勤めていたある会社では、大多数の社員、そしてある程度の経験を持つ社員全員が「副社長」という肩書きを持っていました。

その仕事をこなせることを人々に納得させる。博士号を持つ人材が採用できるのに、なぜ修士号を持つ人を雇うのでしょうか。歴史上の征服者たちの中で、「征服王ウィリアム」がそのあだ名を与えられた数少ない人物の一人であったことは興味深いことです。彼はイングランド、スコットランド、そして後にアイルランドを征服しましたが、その軍が勝利するか、あるいは全滅するか、紙一重の局面が何度もありました。

自分自身が誰であるかを、自分自身にも、周囲の人々にも、はっきりと自覚させましょう。

すでに私たちを知っている人々に対して、私たちの主なアイデンティティが何であるかを明確にしましょう。

他者に対して、私たちが何をしているのかを曖昧にしましょう。プランテッド・ペアレンツの「カウンセラー」や、ナチスの世襲健康裁判所、婚姻健康法を思い浮かべてみてください。

相手の名前を間違えて発音したり、見下すようなあだ名をつけたりして、相手を貶めること。「血まみれのメアリー」、あるいはメアリー1世(1516–1558)は、ヘンリー8世の娘であり、イングランドのカトリック女王でした。一部のプロテスタントが彼女を暗殺しようとした後、彼女は280人のプロテスタントを火刑に処し、さらに多くの人々を殺害または追放しようとしました。彼女が病気で亡くなった後、イングランドのカトリック教徒のほとんどは追放されたり殺されたりしました。

ロビン・フッドの友人「リトル・ジョン」や、シカゴ・ベアーズのアメリカンフットボール選手「冷蔵庫ペリー」(彼にタックルするのは、まるで冷蔵庫にタックルするようなものだった)のような、笑いものになりましょう。カントリー歌手のジョニー・キャッシュには、「スーという名の少年」という興味深いバラードがあります。

本人や他者の目から見て、その人物を称賛しましょう。 アレクサンドロス大王、アルフレッド大王、オットー大王、スレイマン「壮麗王」、あるいはイヴァン大王(敵からは「イヴァン・ザ・テリブル」と呼ばれていました)などを思い浮かべてみてください。一方で、その獰猛さを強調することもできます。ルーマニア人は、自国の王が「串刺し公」ヴラドと呼ばれていたため、イスラム教徒に対し、ルーマニアへの侵攻を試みないよう説得しようとしました。また、多くのアラウィー派を虐殺したトルコの統治者、セリム「厳格王」もいました。

時折、中国の母親が末っ子に「ドゥオドゥオ」(「もっと」という意味)という愛称をつけることがあります。これはさらなる祝福を意味することもあれば、意図せず望まれない余分な負担を意味することもあります。


Q:創世記11章27節は、アブラム、ナホル、ハランが特定の順序で生まれたことを教えているのでしょうか?

A: 聖書のリストは常に誰が最初に生まれたかを示していると誤解する人もいますが、それは事実ではありません。例えば、歴代誌上3章15節では、ゼデキヤはヨシヤの三男として、シャルム/ヨアハズは四男として挙げられています。 しかし、紀元前609年にヨアハズが王位に就いた際、彼は23歳でしたが、ゼデキヤはわずか10歳でした。別の例を挙げると、ハムはヤペテよりも先に言及されていますが、創世記9章24節によれば、ハムの方が年下でした。したがって、聖書が順序を示さずにリストを提示している場合、そこにないことを無理に読み取ろうとしてはなりません。

この特定の事例において、アブラムはテラが亡くなった後、ハランを去ったとき75歳でした(創世記12章4節)。また、テラは205歳で亡くなりました(創世記11章32節)。したがって、アブラムはテラが70歳のときに生まれた息子ではありません。アブラムが生まれたのは、テラが少なくとも130歳になってからのことでした。


Q:創世記11章28節によると、アブラムはウルという都市の出身だったのでしょうか、それとも創世記24章4節にあるハランという町の出身だったのでしょうか?

A: アブラムはもともとメソポタミア南部のカルデア人のウル出身でしたが、カナンに来る前に、アブラムとその親族はまず現在のシリアにあるハランの町に定住しました。


Q:ウルはシュメールの都市だったにもかかわらず、なぜ創世記11章28節では「カルデア人のウル」と記されているのでしょうか?

A: これは、この記述がいつ書かれたかについての手がかりとなります。 モーセの時代には、イラクのカルデア人とシュメール人は同化しており、モーセは当時の呼称に従って、現在のイラクにあたる土地について言及したのです。また、エブラの文書には、パダン・アラム(現在のシリア)にあった「ウル」という町が記されています。そのため、間違いがないことを明確にするために、単に「ウル」と言うのではなく、「カルデア人のウル」と記されたのです。


Q:創世記11章28節において、アブラハムは「ウル」という名の別の都市から出発した可能性はありますか?

A: いいえ。ハランの近くにはウル/ウルファ(現在のエデッサ)という都市があり、アナトリア北東部/アルメニアにはウラというヒッタイトの町があり、タルスス近郊には同じくウラと呼ばれるヒッタイトの港湾都市がありました。しかし、これらの町が初めて言及されたのは、アブラハムの時代から500年後です。


Q:創世記11章28節において、聖書以外から、メソポタミアの都市ウルについてどのようなことが分かっていますか?

A: 大規模な発掘調査のおかげで、ウルについては多くのことが分かっています。この都市は当時、おそらく世界最大のものであり、人口は18万、20万、あるいは30万と推定されています。 街は楕円形で、城壁の周囲は長さ3000フィート、幅800フィートでした。平野から70フィートの高さにそびえる3段構造のジッグラトがあり、城壁の高さは30フィートありました。ウルは豊かな都市であり、見事な芸術作品が残されています。ウルの人々は比較的洗練されており、立方根を示す数学の文書も残されています。

地理:ウルは片側にユーフラテス川が流れ、他の側面には運河が通っていました。土地は多少アルカリ性でしたが、灌漑を行えば小麦や大麦の栽培に最適でした。チグリス川とユーフラテス川には約50種類の魚が生息していました。周辺には木がなかったため、400マイル離れた場所から木材を輸入していました。

文明:穀物の約40%がビールの製造に使われていました。ボードゲームも発見されています。1階建てや2階建ての泥レンガ造りの家屋があり、道路は未舗装でした。多くの場合、家屋の地下には一族の墓がありました。

文学:最初のシュメール文字は紀元前3,200年頃、アブラハムの1,200年前にさかのぼります。ウル、ウンマ、ラガシュ、プズリシュ・ダガン、ニップルからは、10万枚の粘土板が発見されています。

科学:立方根に関する数学の粘土板が発見されました。彼らは十進法を持っておらず、代わりに1、10、60、600、3600、36,000などを用いていました。この名残として、円を360度に分割する習慣があります。彼らの暦は360日制であり、占星術も行われていました。主要なジッグラトは極めて精巧に建造されていました。

神殿:主要なジッグラトは、シュメール語でナンナ/ナンナル、アッカド語/セム語でシンと呼ばれる月の神(女神ではありません)に捧げられたものでした。主要なジッグラトは3層構造でした。最下層は210×140×20フィートの大きさで、ウル・ナムムとドゥンギによって建設されました。ウル・ナムムはアブラハムの時代とほぼ同時期に生きていました。 ナボニドゥス(紀元前560年頃)が第2段を建設し、第3段は小さな建物でした。そこには、エ・ヌム・マ、ニルガル/ニンガル(ナンナの妻)、そしてナンナルの神殿がありました。

歴史:ウル第一王朝(紀元前2600年~2500年)には、メサネパダやアネパダといった王がいました。 グティ人がウルを征服し、紀元前2150年から2070年まで統治していましたが、ウル・ナムムが彼らを追い払い、ウル第三王朝を樹立しました。その約50年後、ウルの人々はエラム人の首都スサを略奪しました。アブラハムがウルを去ったのは紀元前2000年以前のことですが、当時のウルは、住むには最も安全な場所の一つに見えたかもしれません。 紀元前2004年(紀元前1950年という説もあります)に、エラム人がウルを略奪し、ウルはかつての繁栄を取り戻すことはありませんでした。したがって、もしアブラハムが神の命令に背いてウルに残っていたならば、彼自身かその子孫は、おそらく奴隷にされたり、殺されたりしていたことでしょう。


Q:創世記11章31節において、アブラムはウルからカナンへ向かったのでしょうか、それとも創世記12章5節にあるようにハランから向かったのでしょうか?

A:創世記12章には、神がアブラムを召された際、彼がハランにいたとは書かれていません。また、創世記11章31節が創世記12章よりも時系列的に先であるという記述もありません。現代の伝記の多くは厳密に時系列に沿って書かれていますが、必ずしもそうである必要はなく、旧約聖書や福音書においても、厳密な時系列順で書かれていないことがよくあります。 著者が時系列順であると明言している場合のみ、それが時系列順に書かれたものであると確信できます。創世記24章4節では、ヘブライ語で「私の生まれ故郷」とは書かれておらず、むしろ「私の国」とあります。これは、アブラムがしばらく住んでいた場所であり、彼の最も近い親族がまだ住んでいた場所を意味しています。


Q:創世記12章1節、28章10~15節、32章22~32節において、なぜ神は中国人や他の誰かではなく、ユダヤ人を選ばれたのでしょうか?

A: まず第一に、神にはご自身が望む者を自由に選ぶ権利があります。ここで神が選ばれたのは、ある民族ではなく、一人の男、すなわちアブラハムでした。 その後、創世記17章21節および21章12節において、契約と子孫はイサクを通じて定められました。さらにその後、創世記28章10~15節でヤコブが選ばれました。アブラハムは、自身の文化と都市(ウル)を離れることを進んで受け入れました。ウルは、当時、おそらく地球上で最大(人口10万~18万人)かつ最も文明化された都市であったと考えられます。 多くの人々は正しいことをしたいという願望を多少なりとも抱いていますが、裕福な男性のうち、文化や宗教との絆を犠牲にして、何よりも神に従い、さらには未知の地へさえも進んで行くことをいとわない人は、そう多くはありません(ヘブライ人への手紙11章8節)。

今日、ローマ人への手紙10章12節とガラテヤ人への手紙3章28節は、ユダヤ人である信者とユダヤ人ではない信者との間に、神の前では何の違いもないと教えています。


Q:創世記12章1節について、聖書以外で、アブラハムの時代、あるいはそれ以前に、真の神が他の誰かにご自身を現されたという証拠はありますか?

A: はい。まず聖書に基づく二つの背景的事実を挙げ、その後で答えを述べます。

B1. 創世記14章18~20節によると、メルキゼデクはサレムの王であり、至高の神の祭司であり、その神を「エル・エリオン」と呼んでいました。しかし、メルキゼデクは聖書にのみ言及されているため、ここでは考慮しません。また、メルキゼデクはキリストの受肉前の現れであった可能性もあります。

B2. 創世記24章50節によると、シリア(アラム人の中)に住むアブラムの親族たちは、主を信じていました。

答え:

A1. ウガリット文献(現在のシリアとレバノンにあった文化に由来する)にも、「エル」という名の個人的な神について言及があり、メルキゼデクと同様に、至高の神を指して「エル・エリヨン」という表現が使われていました。残念ながら、ウガリット文化においては宗教の融合が進み、最終的には「エル」を多くの神々の一柱としてのみ崇拝するようになりました。

A2. キリストの直後に仏教が伝来する以前、またキリストの誕生の数百年前に儒教や道教が広まる以前の中国では、多くの偶像が崇拝されていました。しかし、それ以前には、「上帝(シャンディ)」と呼ばれる唯一の至高の神が崇拝されていました。 中国における「上帝」に関する最古の文献記録は紀元前2600年にさかのぼり、これはアブラハムの時代より約400~500年も前のことです! 残念ながら、紀元前1000年頃の周王朝時代、皇帝以外の者は「上帝」を崇拝するにふさわしくないとの決定が下され、民衆の間での「上帝」への崇拝は廃れてしまいました。 数世紀前、中国のキリスト教徒の間では、中国語の聖書において、神を指す一般的な用語である「神(シェン)」のみを使用すべきか、それとも古代の用語である「上帝(シャンディ)」も併せて使用すべきかについて、大きな意見の相違がありました。後者の意見が採用され、現在、中国語の聖書では「神(シェン)」と「上帝(シャンディ)」の両方が使用されています。

中国の皇帝は、「辺境の祭祀」において、白い大理石の祭壇の上で雄牛を犠牲として捧げることで商帝を崇拝していました。これは孔子が『書経』に記録しており、そこには舜帝(紀元前2256年~2205年)がこの儀式を行っていたと記されています。この儀式は西暦1911年に廃止されました。以下は、その祭祀の際に唱えられた言葉の一部です:

「太古の初め、大いなる混沌があり、形もなく、暗黒に包まれていました。五行[惑星]はまだ回転を始めず、太陽も月も輝き始めていませんでした。 おお、霊なる君主よ、あなたはまず、粗い部分と清らかな部分を分けられました。あなたは天を造り、地を造り、人を造られました。生殖の力を持つすべてのものは、その存在を得たのです。」 上帝に関する詳細については、エセル・ネルソンによる『Creation ex Nihilo』第20巻第3号(1998年6月~8月、50~53ページ)の記事をご参照ください。

韓国人には、シャンディに似た「ハナニム」と呼ばれる古代の伝承があります。古代韓国の檀君(タングン)の伝承によれば、ハナニムには人々の間に住みたいと願った息子がいたとされています。シャンディやハナニム、そして真の神によるものと見られるその他の初期の啓示について、詳しくは『Eternity in Their Hearts』という本をお読みください。


Q:創世記12章1-3節、7節において、神はどのようにしてアブラハムへの約束を果たされたのでしょうか?

A: 神は、アブラハムの行いにかかわらず、無条件にその約束を果たされました。

神はアブラハムを大いなる国民とされました。実際、アブラハムはイスラエル人と多くのアラブ人の両方の祖先でした。(創世記12章2節)

神はアブラハムを祝福されました。アブラハムは、多くの子孫に恵まれただけでなく、非常に裕福な人物として生を全うし、この世を去りました。(創世記12章2節)

神はアブラハムの名を偉大なものにされました。キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒がいるところならどこでも、彼の名は高く評価されています。(創世記12:2)

神は、アブラハムを祝福する者を祝福し、アブラハムを呪う者を呪われます。ユダヤ人を温かく迎え入れた国々は大きな祝福を受け、ナチス・ドイツのように彼らを呪った国々は大きな苦難に遭いました。(創世記 12:3)

アブラハムの子孫は、パレスチナの地を所有してきました。(創世記 12:7)


Q:創世記12章1~5節で、神はここでアブラムに語っておられるのでしょうか、それとも、創世記12章4b~9節で神がアブラムに語られたことの繰り返しなのでしょうか?

A: これは重複ではありません。創世記12章1節から4a節において、神はアブラムに何かを行うよう命じられましたが、アブラムがそれを実行したかどうかについては言及されていません。創世記12章4b節から9節では、アブラムが神の言われたとおりにしたことが記されていますが、ただし、アブラムはロトも連れて行ったという点だけが異なります。


Q:創世記12章において、アブラハムはモルモン教徒が聖書と見なしている『アブラハム書』と呼ばれるものを書いた可能性はありますか?

A: いいえ。まず、モルモン教の『アブラハムの書』に関する背景と、その偽造が持つ重要性について説明し、続いてそれが偽造であるという証拠を提示します。この内容は、以前執筆されたモルモン教に関する資料から引用したものです。

背景:

モルモン教の『アブラハムの書』は、モルモン教の聖典『大いなる価値の真珠』の一部です。これは、黒人がモルモン教の神権を得ることを永遠に阻んできた、モルモン教の反黒人教義の根拠となっています。この反黒人教義は、1978年に(モルモン教の神によって?)変更されました。

モルモン教の『アブラハム書』は、1835年7月にジョセフ・スミスが手に入れた古代エジプトの巻物に基づいて書かれました。彼は、その巻物にはアブラハムとヨセフの記述が含まれていると述べていました。彼は古代エジプト語を知りませんでしたが、当時、それを読める人はほとんどいませんでした。彼は、神から神聖な啓示を受けてこれらの巻物の一部を英語に翻訳したと宣言し、こうしてモルモン教の『アブラハム書』が誕生したのです。

これらのエジプトの巻物は、かつては失われ、破壊されたと考えられていましたが、そのうち11点がニューヨークのメトロポリタン美術館で発見され、1967年にモルモン教会に寄贈されました。

この偽造の重要性:

『モルモン書』は、『アブラハム書』と同じ言語から翻訳されたと言われていました。もしジョセフ・スミスが前者(『アブラハム書』)を翻訳できなかったのであれば、後者(『モルモン書』)も翻訳したわけではなく、彼の聖典はいずれも信頼できないことになります。さらに、もしその巻物が偶像の神に関する異教の聖典であるならば、ジョセフ・スミスは、その導き手である巻物に描かれた偶像の「預言者、先見者、啓示者」ということになってしまいます。

ジョセフ・スミスは翻訳について次のように述べています。「エジプトの地下墓地から私たちの手に渡ってきた、いくつかの古代の記録の翻訳。――アブラハムが自らの手でパピルスに記した文書。」『大いなる価値の真珠』29ページ。

詐欺の証拠:

これらがジョセフ・スミスが翻訳を試みたエジプトの巻物であることを示す証拠は、3つあります。

1. 『アブラハム書』の手書き原稿4点のうち3点には、余白にエジプトのヒエログリフが記されていました。巻物に記された80余りのエジプトのヒエログリフのうち、それぞれ20、13、10のヒエログリフが、原稿#1、#2、#3に記されていました。 巻物に欠落部分があった箇所には、3つの原稿にそれぞれ7個、6個、6個の復元されたヒエログリフが追加されました。このことから、このエジプトの巻物がジョセフが使用したものだったと確信できます。

2. ジョセフはエジプト語の文法を考案しました。『エジプト語のアルファベットと文法』と呼ばれる、34ページからなる製本された本は、現在も教会の所有となっています。この言語書には、巻物に描かれた多くのエジプト語の象形文字が図解されています。『エジプト語のアルファベットと文法』には、『アブラハム書』と同様に、非常に類似した英語の「翻訳」が掲載されています。一部の人々は、これをジョセフが主張した霊感に対する、より深刻な反証の一つと見なしています。

3. エジプトの巻物とスミスの『アブラハム書』の冒頭にある図版は同一です。唯一の違いは、エジプトの図版にある鉛筆で描かれた部分が、モルモン教の図版では塗りつぶされている点です。図版そのものがそのまま複製されているだけでなく、エジプトの偶像について言及している図版2番と3番のキャプションも、モルモン教の聖典にそのまま転載されています。

実際の翻訳:

スミスは、これらのヒエログリフを翻訳していると考えていました。次のページに掲載されているクラウス・ベア博士による実際の翻訳をお読みください。(『Dialogue: A Journal of Mormon Thought』1968年秋号 p.119-120)

「オシリスはコンスの大池へと運ばれる――同様に、ティケビトから生まれ、義と認められたオシリス・ホルもまた――その両腕が胸の上に置かれ、『呼吸の許可証』([イシス]が作り、内側と外側に文字が記されているもの)が王家の亜麻布に包まれ、左腕の下、心臓の近くに置かれた後、ミイラの包帯の残りの部分は、その上に巻き付けられるべきである。 この書物が写し取られたその人は、神々のバス(bas)がそうであるように、永遠に息を吹き続けるでしょう。」(バスとは魂のことです。)111ページにおいて、ベア博士は次のように述べています。「ジョセフ・スミスは、自分のパピルスに『アブラハムの書』が含まれていると考えていました。」

スミスは、これらの象形文字から数千語の英語に翻訳しました。ジョセフは、これがアブラハムの書であり、彼の神の言葉であると述べました。実際には、それは『死者の書』の変種であり、異教のエジプトの魔術書で、異教の神々や女神たちで満ちており、しばしばミイラと共に埋葬されていました。

ブラウン大学のリチャード・パーカー博士は、1968年1月9日付のマーヴィン・コーウェン氏宛ての私信の中で、次のように述べています。「5. 私はジョセフ・スミスの『エジプト語のアルファベットと文法』を目にしたことがあります。エジプト語であるとされる記号の解釈は、エジプト学者たちがそれらに与えている意味とは全く似ても似つかないものです。」

50年前、A.B.マーサー博士は次のように述べています。「スミス氏のようにエジプト学についてこれほど絶対的な無知を露呈する私の教え子であれば、エジプト学の試験でゼロ点以上を取ることは到底期待できないでしょう。」(『Improvement Era』第16巻、615ページ)これは今日でも変わりません。

ジョン・A・ウィルソン博士は次のように述べています。「……私が見る限り、2つ、あるいはおそらく3つの異なるパピルスの断片があり、そのどれもが伝統的な『死者の書』のように見えます。」(1968年1月5日付の手紙)

図版の詳細

次に、『アブラハム書』に掲載されている3つの図版と、ある巻物および『タイムズ・アンド・シーズンズ』第3巻に掲載されている説明文を見てみましょう。

その文字や絵は、エジプトの偶像を描いた典型的なエジプトの葬送の場面です。ジョセフは、これらの図像がアブラハムと真の神を表していると教えました。

ファクシミリ第1号:

ホル――同じ称号を持つ者の息子であり、義と認められた者。

ファクシミリ第2号

オシリス・シェションクの魂が生き続けますように

私(ミン)は、比類なき交尾する雄牛です。

この墓が決して冒涜されることのないように。

複製図 #3

おお、……の神々よ、洞窟の神々よ、南・北・西・東の神々よ、正当と認められたオシリス・ホルに安寧をお与えください

結論:

スミスの神は彼を欺きました。ジョセフ・スミスの翻訳は価値がありません。親愛なるモルモン教徒の皆様、もし主をお求めになるのであれば、モルモン教会を離れ、ジョセフの偽りを拒絶し、御子イエス・キリストを通して、至高の神にあなたの人生を捧げてくださるよう、心から祈ります。


Q:創世記12章4節において、テラが亡くなった後、アブラムがハランの町を去ったとき、どうして75歳だったのでしょうか? 創世記11章26節によると、テラは三人の息子をもうけた時70歳でした。使徒行伝7章4節には、アブラムがテラの死後にハランを去ったとあり、テラは205歳で亡くなりました(創世記11章32節)。したがって、三人の息子は135歳になるはずです。

A: アブラム、ナホル、ハランが三つ子であった場合を除き(その可能性は低いですが)、創世記11章26節は、テラが子供をもうけ始めた時の年齢が70歳であったことを指しています。アブラムが生まれたのは、テラが少なくとも130歳になってからのことです。


Q:創世記12章8節にあるアイの町は、考古学者によって発掘されたのでしょうか?

A: いいえ。完全に破壊されたと伝えられているその小さな町の遺跡は、まだ発見されていません。


Q:創世記12章10~19節について、カナンや中東の他の地域からエジプトへ人々がやって来たことを示す、聖書以外の証拠はありますか?

A: はい、あります。エジプトのベニ・ハサンにある墓の壁画には、「アジア人」が描かれています。クヌムホテプの墓(第3号墓)には、交易のためにエジプトを訪れた37人のセム人が描かれています。彼らは黒髪で、先が尖ったひげを蓄え、長いマントをまとい、弓や投擲棒を持っていました。『ワイクリフ聖書考古学辞典』(p.139)によると、これは紀元前1892年のものとされています。

エジプトにおいて、セム系の人々がアルファベットを使用していたことが初めて確認されたのは、紀元前1800年、あるいはそれ以前のルクソール北部でした。(『BAR』2000年1月/2月号 p.12 参照)

テーベ近郊のハトシェプスト女王の神殿にある壁画に描かれたラクダも、アブラハムの時代にまで遡ります。


Q:創世記12章10~19節で、エジプトにおいてアブラハムが妻を妹だと偽ったのでしょうか、それとも創世記26章2~11節でゲラルにおいてイサクがそうしたのでしょうか?(あるリベラル派のキリスト教徒が、これを重複事例として挙げ、創世記には複数の著者がいたことを示そうとしていました。)

A: これは重複ではなく、2つの別々の出来事です。イサクは、おそらく父親の例を見て、この悪い考えを思いついたのでしょう。


Q:創世記12章10~20節と20章1~18節において、神はアブラムの嘘を容認されたのでしょうか?

A: いいえ。聖書は、アブラムが神の守りに対する信仰を欠いていたために嘘をついたことを正直に記録していますが、決してそれを是認したわけではありません。神に愛された偉大な人々でさえ罪を犯すものですから、私たちも罪を犯したからといって落胆してはいけません。

神はアブラハムの信仰ゆえに彼を祝福されました。それは彼が罪のない人だったからではなく、罪を犯したにもかかわらず、神が彼を祝福されたのです。

完全なのは神のみです。私たちの目標は完全さを目指して努力することであり、それを達成できるのは天国においてのみです。創世記19章30~36節に関する考察をご覧ください。


Q:創世記12章16節において、この時代、エジプト以外の中東地域にラクダが存在していたことを示す、他にどのような証拠がありますか?

A: 少なくとも4つの証拠があります:

1. スーメリアの文献には、「おお、ドゥムジよ、私にラクダの乳を与えてください――ラクダの乳は甘く、ラクダのクリームも甘い」と記されています(オッペンハイム、A.(1960)『シカゴ・アッシリア語辞典』第7巻)。

2. イラクのテル・アスマールで発見された、紀元前2500年から2000年頃の板状の遺物には、一駝ラクダに乗った騎手が描かれています(ドスタル、W.(1959)『考古学的資料から見るアラビアにおけるベドウィン生活の発展』。A. アブダラ他編『アラビア史研究』第1巻、16頁、13頁)

3. シリアで出土した紀元前18世紀の印章には、二頭立ちのラクダに乗る二人の人物が描かれています(Porada, E. (1977) 「ウォルターズ美術館所蔵のラクダが描かれた円筒印章」『ウォルターズ美術館紀要』36号)。

4. 紀元前18世紀のシリアの配給リストには、「ラクダの飼料として1[単位]」と記載されています(Wiseman, D. (1950) 「アララクVIIからの配給リスト」『Journal of Cuneiform Studies』13号)。

Stephen Caesar著「科学、学術、そして聖書――創世記における家畜化されたラクダ」『Christian News』2001年8月6日号、17ページを参照してください。


Q:創世記13章1~18節において、ロトはアブラハムが住む場所を選んだのでしょうか、それとも神がアブラハムに約束の地を住む場所として与えられたのでしょうか?

A: 両方です。「共役(Concurrency)」とは、神が御自身の御心を成し遂げ、約束を果たすために、出来事や人々、さらには見当違いな人や邪悪な人々さえも用いるという教義です。アブラム(アブラハム)はロトにヨルダン川の東側か西側のどちらかを選ばせ、ロトは東側を選びました。神はアブラムをその一帯に移住させましたが、同時に、アブラムがヨルダン川の西側を所有することになるよう具体的に計画しておられました。神はロトの選択を用いて、御自身の御心を成し遂げられたのです。


Q:創世記13章1~18節において、二人が、あるいは二つの集団の間で意見の相違があり、その解決の見込みが全くない場合、どうすればよいでしょうか?

A: まずは協力して、その対立を解決しようと試みるのが良いでしょう。相手の立場から状況を見てみることは、その助けになります。そして、相手にもあなたの立場から物事を見ていただけるよう促してみてください。 合意に至らなかった場合の、あなたにとって最善の選択肢を相手に示してください。もし相手があなたの立場だったらどうするか、尋ねてみてください。「針の穴を通す」ように、時には両者の間を縫うようにして、それぞれの要望の大部分を満たす方法が見つかることもあります。

時には、妥協や解決が不可能な場合もあります。別れることが最善の選択であり、友人として別れることしかできない場合もあります。別れる際は、可能な限り最善の条件で、必要であれば許し合いながら別れるようにしましょう。アブラハムとロトの間には意見の相違はありませんでしたが、一か所の牧草地では、両者の家畜を合わせた数には十分な牧草がありませんでした。そのため、彼らは別れるしかありませんでした。他に方法がなかったのです。

もちろん、和解は別れよりも望ましいことです。しかし、和解が成立するためには、一方だけでなく、双方が和解する意思を持たなければなりません。


Q:創世記13章8節と29章15節において、これらの人物たちはどのようにして兄弟であったのでしょうか?

A:創世記13章8節では、アブラムがロトを「兄弟」と呼んでおり、創世記29章15節では、ラバンがヤコブを「兄弟」と呼んでいます。聖書は、アブラムとラバンが親密な感情と血縁関係を表現していたことを記録していますが、彼らは実際には兄弟ではありませんでした。

懐疑的な立場をとる『アシモフの聖書ガイド』(p.819-820)は、この点について何ら問題はないと見ていますが、こうした場合には通常、正確な関係が分かるだけの十分な系図資料が与えられていると付け加えています。イエスの兄弟たちについてはそうではないため、彼らはおそらく実の異母兄弟であったと考えられます。


Q:創世記13章12節では、ロトはソドムの近くに天幕を張ったのでしょうか、それとも創世記14章12節のように、ロトはソドムに住んでいたのでしょうか?

A: どちらも、時期が異なれば、おそらく事実でしょう。遊牧民であったため、容易に移動することができたのです。 ロトは、アブラムのグループから離れる前は、確かにソドムから遠く離れた場所に天幕を張っていました。その後、彼は確かにソドムの近く、そして後にソドムが支配する周辺地域(広義のソドム)に天幕を張っていました。その後、彼はソドムに住んでいました(天幕か家かのどちらかです)。創世記19章3節では、ロトはソドムに家を持っていました。


Q:創世記14章1~2節に登場する王たちは、誰のことでしょうか?

A: この出来事は紀元前2000年頃のことですので、これらの支配者の一部が特定できないのは不思議ではありません。しかし、エラムは主要な勢力であり、紀元前2004年頃にアブラムの故郷であるウルを征服しています。「シナール」とは、旧約聖書とエジプト人の双方がバビロニアを指して用いた言葉です。 ケデルラオメルという名は、クドゥル(エラム語で「しもべ」を意味する)やラガマル(エラム神話の女神)に似ています。ケデル(=クドゥル)は、多くのエラム王の名前の最初の部分でした。ティダルは、ヒッタイトの名トゥダリヤに関連しているようであり、後にトゥダリヤという名のヒッタイト王は少なくとも5人いました。 シ・ダ・ム(ソドム)とイ・マ・アル(ゴモラ)という町は、紀元前2400年から2250年に書かれたエブラの粘土板に言及されています。エラサルのアリオクに関する記録は残っていませんが、シュメールの主要都市であるラルサの王アリオクについては、独立した歴史的証拠が存在します。 また、『イスラエルの歴史』(p.61)によると、アリユク(キ)またはアリウク(キ)という名は、マリとヌジの両方でフルリ人の名前として知られているとのことです。

ジョン・ウォーウィック・モンゴメリー氏の著書『Evidence for Faith』157ページによると、かつてはアムラフェルをハンムラビと同一視する見方がありましたが、これは誤りです。また同氏は、アリオク(Arioch)が当時の一般的な名前であったため、アリオチュ(Ariochu)よりもアリオク(Arioch)という表記が好ましいと述べています。 これはフルリ人の名前であり、マリの王(紀元前1750年頃)の名前でもあり、ヌジの都市(紀元前1500年)の粘土板にも見られます。一般的な名前であったため、現代の世界では知られていない数多くの小規模な地方の、数え切れないほどの王たちがこの名前を持っていた可能性があります。

要するに、これらの奇妙な名前は、このごく限られた期間にのみ使用されていたのです。当時の歴史について正確な知識を持っていなければ、誰かがこれらの名前を書き記すことは極めてあり得ないでしょう。


Q:創世記14章1~2節において、王たちの「同盟」が戦いを繰り広げるというのは、どのように考えられるのでしょうか?

A: 紀元前2004年に強大な都市国家ウルが滅亡する以前には、王たちの同盟はごくわずかしか存在しなかったでしょう。また、紀元前1700年頃に古バビロンのハンムラビが台頭した後も、同盟はごくわずかしか存在しなかったと考えられます。 しかし、紀元前2004年にエラム人がウルを破壊した時期から、紀元前1725年にエラム人がバビロンを襲撃するまでの間、モンゴメリー氏は、同盟が一般的であったと指摘しています。

モーセの時代には、一元的な帝国が主流であったため、王たちの同盟に関する信憑性のある歴史をでっち上げようとする者など誰もいなかったでしょう。 このように連合について言及しているということは、その人物が当時の状況を正確に把握していたことを示しています。『Evidence for Faith』(p.157-164)によると、マリで発見された書簡には、10人、15人、20人の王による連合について言及されています。さらに、少なくとも他に5つの連合が知られています。


Q:創世記14章1~17節において、ソドム、ゴモラ、およびその他の都市について、聖書以外の証拠はありますか?

A: はい。かつては存在しませんでしたが、考古学者たちがエブラの粘土板を発見してからは存在することが判明しました。そこには、si-dam-mu(ソドム)とsa-ba-i-im(ゼボイム)について言及されています。(ユリウス・アフリカヌス[西暦200~245年]はこれをセボイムと呼んでいます。)I-ma-erはおそらくゴモラでしょう。


Q:創世記14章5節にある「アシュテロト・カルナイム」とは、どのような意味でしょうか?

A: 2つの可能性があります。

1. ゲゼルやベト・シャンで、この女神が二つの角を身につけている姿で描かれていたことから、「二つの角を持つアシュタルテ」を意味している可能性があります。

2. より可能性が高いのは、カルナイムの近くにある町「アシュテロト」を指し、この女神にちなんで名付けられた他の町と区別するためであると考えられます。


Q:創世記14章5~6節、36章20節、および申命記2章12節、22節に登場する「ホリ人」とは誰のことですか?

A: ホリ人は現在のアルメニアに起源を持ちます。彼らが初めて言及されたのは、紀元前24世紀のアッカドのサルゴン王の時代です。


Q:創世記14章14節において、わずか318人のアブラムとその同盟軍が、4人の大王からなる同盟軍の侵攻軍を、どうして打ち負かすことができたのでしょうか?

A: 創世記14章15節からは、これが正面からの決戦ではなかったことが示唆されています。おそらく、準備の整っていない軍隊に対して、騎兵隊による夜間の奇襲攻撃が行われたのでしょう。砂漠には馬はほとんどおらず、エジプトの東側ではアブラハムを除いてラクダを所有している人はほとんどいませんでした。したがって、砂漠から騎兵隊による電撃的な攻撃が行われることは、まったく予想外のことだったでしょう。 第二に、アブラハムは他の3人の首長と同盟を結んでおり、彼らが戦利品の分配に参加したことから、彼らもまた襲撃の一員であったことがわかります。もちろん、神の助けもあったのかもしれません。


Q:創世記14章14節にあるアブラムの襲撃は、歴史上の他の奇襲攻撃と比べてどうでしょうか?

A:敵軍はダンから約40マイル(64キロメートル)離れたダマスカスまで撤退したようですので、アブラムの軍は「戦場」で勝利を収めたことになります。ここでは、奇襲攻撃、より大規模な軍隊に対する攻撃について検討し、最後に敵の視点からも見ていきましょう。これらの数値の一部は『ブリタニカ百科事典』に基づいています。

まず、奇襲攻撃について見ていきましょう。

1836年のサン・ジャシントの戦いでは、サム・ヒューストンが743人の未熟な兵士を率いて、昼間に1,800人のメキシコ軍に対して奇襲を仕掛け、勝利を収めました。

トレントンの戦いでは、ワシントンが夜間にデラウェア川を渡河し、ヘッセン傭兵隊を奇襲して、そのうち1,000名を捕虜にしました。

テウトブルクの森では、ゲルマン人のアルミニウスが奇襲戦により、1万4000人の熟練したローマ兵を撃破しました。

それでは、圧倒的な不利を覆しての勝利について見ていきましょう。

紀元前490年のマラトンの戦いでは、1万人のギリシャ軍が2万人のペルシア軍を打ち破りました。

紀元前216年のカンナエの戦いでは、5万6千人のカルタゴ軍(騎兵を効果的に活用して)が、8万6千人のローマ軍を打ち破りました。

西暦636/7年のアル=カディシヤの戦いでは、3万人のイスラム軍が12万人のペルシア軍を打ち破りました。

紀元前48年のファルサロスの戦いでは、ユリウス・カエサルと2万の軍勢が、ポンペイウスと4万5千の軍勢を打ち破りました。

1097年のドリュレウムの戦いでは、7万人の十字軍が25万人のイスラム軍を破り、そのうち約3万人を殺害しました。(十字軍は鎧を身に着けていましたが、逆にアブラハムの兵士たちは鎧を身に着けていた一方で、侵攻軍は鎧を脱いでいた可能性もあります。)

アレクサンドロス大王がペルシア軍と、ユリウス・カエサルがガリア人やヘルヴェティア人と戦ったほか、ベリサリウスやナポレオンなども、より大規模ではありますが、圧倒的に数で勝る敵軍を打ち破りました。これらの軍隊の正確な兵力数は不明ですが、ユリウス・カエサルがブリタニアに侵攻した際、兵力はわずか1万名だったことは分かっています。

敵側の視点:あなたがエラム人の兵士であり、ソドムを懲罰するために遠くへ赴く任務に就く精鋭部隊の一員に選ばれたと仮定しましょう。テントのすぐ外には大勢の敵がいることは知っていますが、彼らは捕虜であり、武装しておらず、厳重に警備されています。 真夜中、未知の新たな敵の騎兵隊が急襲し、仲間を殺害する音で目を覚まします。それだけでなく、もし彼らがあなたの家畜を奪い去ったり、捕虜を解放して武装させたりすれば、あなたは絶体絶命です。あなたは賢明な判断を下し、攻撃とは反対方向に逃げ出し、後で仲間と再集結することになるでしょう。

もちろん、これらすべての要因とは別に、神がアブラムの軍勢を助け、敵にパニックを引き起こして敗走させた可能性も高いでしょう。神が奇襲攻撃の成功を助けた、さらに顕著な例としては、『士師記』7章6~25節にあるギデオンとミディアン人との戦いをご覧ください。


Q:創世記14章17~20節において、この構成のどのような点が興味深いでしょうか。

A: 創世記14章17~20節では、勝利への誘惑と、二人の王との遭遇が描かれています。これは、ヘブライ語の詩においてよく用いられる修辞技法である「キアズム」として表現されています。

ソドムの王 14:17

- サレムの王がアブラハムと出会った 14:18

- - サレムの王がアブラハムを祝福した 14:19-20

ソドムの王はアブラハムに戦利品を差し出しました 14:21

メルキゼデクの祝福を受けた後であれば、アブラハムにとってソドムの王の申し出を断ることは、より容易だったかもしれません。


Q:創世記14章18~19節において、おそらく呪われたカナン人であったメルキゼデクが、どうしてアブラハムを祝福する立場になれたのでしょうか。

A: メルキゼデクは、聖書において謎めいた人物です。メルキゼデクをキリストの受肉前の現れだと考える人も少数ながらいます。また、メルキゼデクは(カナン人であったかどうかにかかわらず)単にキリストの型である敬虔な人物であったと主張する人もいます。たとえメルキゼデクがカナン人であったとしても、神はどのような国籍の人々に対しても教え、聖別することを妨げられることはありません。

ちなみに、クムランのユダヤ教派は、神の救いを宣べ伝える天の救い主として、メルキゼデクを非常に重要視していました。


Q:創世記14章18節によると、エルサレムの街はどのくらいの歴史があるのでしょうか?

A: 紀元前3000年頃に創設されたと考えられています。初期のエジプトの年代記では、この都市を「ウルサリム」と呼んでおり、これはエルサレムの「サレム」という部分が、「エブス」という部分と同じくらい、あるいはそれ以上に古い歴史を持つことを示唆しています。


Q:創世記14章18節は、モルモン教が教えるような、人々による「メルキゼデクの祭司職」について教えているのでしょうか?

A: いいえ。『創世記』14章では、メルキゼデクという名の個人についてのみ言及されています。『ヘブライ人への手紙』7章23~24節によると、このメルキゼデクはイエスの型であったとされています。聖書のどこにも、今日、イエス以外にさらに祭司が必要であるとは示唆されていません。


Q:創世記15章において、「契約」とは正確には何でしょうか。また、神とアブラハムとの間の契約は、どのような点で特異だったのでしょうか。

A: 契約とは、当事者間の相互の合意のことです。当事者は、貿易協定のように対等な関係である場合もあれば、上位の王と下位の家臣との間である場合もあります。この契約は、人と神との間の契約であることに加え、神からの一方的な約束であったという点で特異なものでした。アブラハムは何もする必要がなかったのです。


Q:創世記15章において、神はここでアブラムと契約を結ばれたのでしょうか、それともイシュマエルが生まれた後の創世記17章で結ばれたのでしょうか?(あるリベラル派のキリスト教徒が、創世記は複数の著者が書いたという証拠としてこの点を挙げました。)

A: 創世記15章における最初の契約も、後の創世記17章での再確認も、どちらも真実です。 おそらく数十年後、創世記15章において、神はアブラムと、犠牲を伴う正式な契約を結び、彼に子を授けることを約束されました。創世記17章2節では、イシュマエルが生まれた後、神はアブラムとの契約を再確認され、そのしるしとして割礼の儀式が定められました。ここで契約の再確認が不可欠だったのは、神がアブラムの考えを正す必要があったからです。アブラムは、契約の約束がイシュマエルを通じて成就すると誤って考えていたのです。

契約の再確認に関する第二の例として、神がイスラエル人がアイで敗北することを許された後、彼らはヨシュア記8章30~35節で、エバル山で結んだ契約を再確認しました。

すでに神と契約を結んでいるクリスチャンも、時にはその契約を再確認する時を持つべきです。

興味深いことに、神はアブラハムと契約を結び、イサクが生まれる直前にそれを確認されました。その後、神はメシアを遣わすという約束をされ、イエスの公の宣教が始まる直前に、洗礼者ヨハネを通じてその約束を確認されました。


Q:創世記15章2節において、エリエゼルという名前にどのような特異な点がありますか?

A: 特に何もないかもしれませんが、『エクスポジターズ・バイブル・コメンタリー』第2巻 p.131-132 によると、ヘブライ語でエリエゼルという名前の文字の数値が318であり、これが創世記14章14節にあるアブラハムの戦士の人数と同じであることは、「偶然の一致とは考えにくい」とされています。


Q:創世記15章2節において、血縁関係のない者を相続人と指定することは一般的だったのでしょうか?

A: それがどれほど一般的だったかは分かりませんが、ヌジの粘土板によると、ウルでは夫婦が老後の支えとなる息子を養子に迎え、その見返りとしてその息子が相続人となることがあったと記されています。


Q:創世記15章10節において、偽りのキリスト教教師である文鮮明牧師が『神の原理』(1977年、第5版、269ページ、507ページ)で教えているように、アブラハムが鳥を半分に切らなかったのは間違いだったのでしょうか?

A: いいえ。レビ記1章17節および5章9節によれば、祭司は決して鳥を半分に切ってはならないとされています。


Q:創世記15章13節において、イスラエル人はエジプトに430年間滞在したのでしょうか、それとも400年間抑圧されていたのでしょうか?

A:どちらも正しいです。イスラエル人が400年間奴隷となる前に、30年間エジプトに住んでいた経緯については、使徒行伝7章6節に関する解説をご覧ください。


Q:創世記15章16節において、創世記15章13節では400年間奴隷として扱われたとされていますが、どうしてイスラエル人はたった4世代しか奴隷として扱われなかったことになるのでしょうか?

A: 創世記15章13節および16節において、おそらく「一世代」を100年と理解していたであろうアブラハムには、「400年、4世代」と告げられました。例えば、モーセは120歳まで生きました。


Q:創世記15章16節において、出エジプトは第4世代に起こったのでしょうか、それとも、歴代誌上2章1-9節やマタイによる福音書1章3-4節が示唆するように、第6世代に起こったのでしょうか?

A: 答えを考える上で、2つの点を考慮する必要があります。

1. すべては、一世代をどのくらいの期間とみなすかによって異なります。アブラハムとサラは、それぞれ100歳と90歳の時にイサクを授かりました。ここで神はアブラハムに語っておられました。

2. 仮に、聖書が「何世代」と述べていたとしても、その箇所で「一世代」が適切に定義されていれば、誤りにはなりません。実際、創世記15章16節の「四世代」は、創世記15章13節において、奴隷として過ごした期間が正確に「400年」であると定義されています。


Q:創世記15章17節と19章23節で、なぜ聖書は太陽が「沈む」と「昇る」と述べているのでしょうか?

A: 日が沈んだ後にご説明いたします。冗談はさておき、私たちが日常的な慣用句やスラングを使って表現するのと同様に、聖書もヘブライ語やギリシャ語の慣用表現を用いているのです。


Q:創世記15章18節にある「エジプトの川」とは何でしょうか?

A: これはおそらくナイル川ではなく、シナイ半島の東部にある「ワディ・エル・アリシュ」と呼ばれる小さな小川のことでしょう。ワディ・エル・アリシュか、あるいはナイル川の東支流のいずれかである可能性があります。


Q:創世記15章18節において、神はアブラハムの子孫にユーフラテス川までのすべての土地を与えられたとありますが、なぜ彼らはその土地を受け取らなかったのでしょうか?

A: ダビデとソロモンの王国は、実際にユーフラテス川まで広がっていました。また、彼らは将来の千年王国において、その地を受け取るかもしれません。


Q:創世記16章1節によると、アブラハムとサライには子供がいませんでしたが、どうしてアブラハムはイサク以降も子供をもうけることができたのでしょうか?(あるイスラム教徒からの質問です)

A:創世記16章1節によると、不妊だったのはアブラハムではなく、サライでした。アブラハムには(妻ケトゥラとの間に)さらに子供が生まれましたが、サライには生まれませんでした。


Q:創世記16章1~4節において、アブラハムはハガルと姦通を犯したのでしょうか?(あるイスラム教徒から提起された質問です)

A: いいえ、イシュマエルは姦通の結果生まれた子ではなく、非嫡出子でもありません。この回答において考慮すべき点が4つあります。

側室は合法でした:旧約聖書では一夫多妻制が認められており、サラはハガルを側室としてアブラハムに与えました。したがって、アブラハムの行いは、神が彼に啓示されたこと、後のモーセの律法、そして当時のメソポタミアの法律のいずれに照らしても「合法」でした。

類似の事例:さらに、これは現代の読者の中にはそう思われる方もいるかもしれませんが、それほど珍しいことではありません。 不妊の妻の代わりに女中が代役を務めるという同様の例は、ハンムラビ法典、ヌジの粘土板、アララクの粘土板、マリの粘土板の法律にも見られます。しかし、あることが一般的に行われており、「合法」であるからといって、必ずしもそれが神の御心にかなうとは限りません。創世記16章4~5節には、サラがすぐに自分の行動を後悔したことが記されています。

ハガルは自分の立場を誇りに思っていました。ハガルはアブラムの妻になることに何の異議も抱いていませんでした。実際、ハガルは後にサライを嘲笑しています(創世記16章4節、5節)。旧約聖書において、捕虜との結婚は許容されていましたが、結婚以外の性行為が、邪悪な不道徳以外の何物でもないとして正当化された箇所は、どこにもありませんでした。

対照的に、イスラム教徒は、捕虜と結婚していなくても、彼らに性行為を強要することが許されています。 詳細については、ブハーリー第3巻第46冊第13章第717、718番(431~432ページ、432ページ)、第9巻第93冊第18章第506番(372ページ)、サヒーフ・ムスリム2:3371-3374、アブー・ダウード第2巻第2150、2167番をご参照ください。

結論として、神は聖なるお方であり、アブラハムは姦通者ではありませんでした。また、キリスト教徒が求める聖潔の基準は、ハディースにおいてムハンマドが仲間たちに求めた基準よりも高いものです。


Q:創世記16章1~4節において、信者たちが妥協してしまった例として、あなたがご存知のものや、歴史上見られる事例にはどのようなものがありますか?

A: コンスタンティヌスが皇帝になったとき、地上のキリスト教の黄金時代が始まったかのように見えました。

アブラハムがサラを二度、妹と呼んだこと(創世記 12:11-20、20:1-2)

アカンの美しいバビロニアの衣、200シェケルの銀、そして金の塊(ヨシュア記7章20-23節)

キリストがペテロに言われた言葉:「サタンよ、私の後ろに下がれ」(マタイによる福音書 16:23)

ユダが30枚の銀貨を受け取ったこと。おそらく、イエスにも行動を強いるためだったのかもしれません。(マタイによる福音書 26:14-16)

アナニアとサッフィラは、畑を売り、その代金をすべて捧げたと主張しました。(使徒行伝 5:1-11)

デマスは、この世を愛していたためです(テモテへの手紙第二 4:10)

マルティン・ルターとユダヤ人

アメリカにおける奴隷制の「当たり前」でした。南部の人口の3分の1が奴隷でした。『奴隷解放宣言』により、約300万人の奴隷が解放されました。

ドイツや中国本土の一部の教会は、恐れから妥協してしまいました

C5の宣教師たち:三位一体

創世記25章1節では、ケトゥラと結婚しています。彼女の子供たちであるミディアン人は、後にイスラエル人にとって目の上のたんこぶとなりました。アブラハムが亡くなった際、イサクとイシュマエルは彼を葬りましたが、他の息子たちは顔すら見せませんでした。

全国的に

一般的に、人々は命令に従うことには長けていますが、その命令に従うべきかどうかを問うことにはあまり長けていないようです。

ネイティブ・アメリカン:1874年にブラックヒルズで金が発見された際、スー族との条約を破棄したこと、ネズ・パース族など。

ネズ・パース族については、1855年のワラワラ条約に違反する事例がありました。同条約は、同部族に先祖代々の土地750万エーカーと、政府に割譲された土地での狩猟・漁労の権利を認めていました。しかし、後に金が発見され、白人入植者たちがネズ・パース族の土地に違法にルイストン市を建設しました。ネズ・パース戦争(1877年6月~10月)

1915年6月5日に始まったアルメニア人虐殺で150万人が殺害されたことに対して、何の措置も講じませんでした。1939年、ヒトラーはそのことを口実に、ユダヤ人の絶滅を開始しました。

中絶:1970年以降、米国での中絶件数はどれくらいでしょうか? 一部の州が報告を行わなかったため、正確な数字は不明です。 しかし、1970年から2012年までの間では、4,400万件を超えています。これは全妊娠の約5分の1から4分の1に相当します。カナダでは2007年から2014年の間に72万件でした。ヨーロッパでは全妊娠の約3分の1です。アジアでもその数は高い水準にあります。


Q:創世記16章1~4節において、他のクリスチャンたちがなぜ妥協してしまったのかという事実から、どのような教訓を学ぶことができますか?

A: 妥協は、多くの場合、何らかの動機によって引き起こされます。それは、安全への配慮、金銭への貪欲、あるいはその他の悪意ある動機である可能性があります。また、より多くの人々を私たちのメッセージに導きたいという願いなど、善意からであっても、妥協をして神を不快にさせてしまうことがあります。


Q:創世記16章1~4節において、クリスチャンの生活における罪深い妥協とはどのようなものですか?

A: 妥協は、致命的であると同時に、非常に巧妙なものになり得ます。沸騰したお湯の鍋に放り込まれたカエルは、すぐに飛び出すだけの分別がありますが、温かいお湯に放り込まれ、徐々に沸騰させられるカエルは、煮え死んでしまうまでその場にとどまってしまいます。

妥協への誘惑は、人生に混入する汚れや砂粒のようなものであり、避けられないものです。しかし、その砂粒をどう扱いますか? それを心に染み込ませるのか、それとも真珠へと変え、永遠の宝の一部とするのか。妥協への誘惑に直面したときは、喜びましょう! それに打ち勝つことは、主を喜ばせ、天国で報いを受ける機会となるのです。


Q:創世記16章1~4節において、「妥協」という言葉自体は悪い意味ではありません。時には妥協しても構わない場合もあります。良い妥協と悪い妥協の違いは何でしょうか?

A: すべての「楽な道」が悪いわけではありません。妥協とは、多くの場合、他者の協力を得るために、本来は望まないような事柄に同意したり、やり方を譲歩したりすることです。道徳的ではない事柄や人間関係、そして仕事においては、妥協は良いものであり、必要なことでもあります。教会においても、どのような音楽を使うかといった、聖書的でもなく反聖書的でもない事柄については、妥協は良いことになり得ます。 しかし、妥協が、神に喜ばれないことを明示的に行ったり、信仰を否定したりすることを伴う場合は、交渉や取引、人間関係、あるいは仕事を失うことになっても、妥協するよりはましです。とはいえ、妥協には、神に喜ばれないことを暗黙のうちに伴う場合もあります。例えば、プランド・ペアレントフッドに資金を提供している慈善団体を支援するために、自分の時間やお金、技能をボランティアとして提供することはどうでしょうか。プランド・ペアレントフッドは、大規模な中絶施術機関です。


Q:創世記16章1~4節において、今日の私たちの生活の中で、悪い意味で妥協するよう促している力にはどのようなものがあるでしょうか?

A: 多くの影響があります。

メディア:インターネット、テレビ、映画、新聞などです。フェイスブックが保守的な情報に対してある程度の検閲を行っていることをご存知の方はどれくらいいらっしゃいますか?AOLをご利用の方の中で、AOLがキリスト教やキリスト教の牧師に関する否定的な情報を意図的に強調しようとしていることをご存知の方はどれくらいいらっしゃいますか?

法律:連邦議会は、国教の確立に関するいかなる法律も制定してはなりません。

裁判所:イスラム教徒の運転手が、宗教上の信念からアルコールの配送を拒んだ場合、ビール会社がその運転手を解雇することを認めるべきでしょうか? 2015年、オレゴン州でベーカリーを経営するキリスト教徒の夫婦が、同性婚用のケーキを作ることを拒否したことを理由に、裁判所が彼らに13万6000ドル以上の支払いを命じる判決を下すべきでしょうか?

仕事:仕事によっては、嘘をついたり不誠実になったりするというプレッシャーにさらされることがあります。私の知るあるクリスチャンの管理職は、上司にストリップクラブに連れて行かれたことがあります。時には、大量のアルコールが振る舞われる、ほぼ参加が義務付けられているようなパーティーがあり、その場で飲酒やショットを飲むようプレッシャーを感じることもあるでしょう。

友人との関係:アイルランドのダブリンで、人生の大半をアルコール依存症として過ごしてきたクリスチャンの方にお会いしました。クリスチャンになってからは、酔っ払ってはいけないと分かっていましたが、友人たちがいつもパブに一緒に行こうと誘ってくるため、以前の習慣を断ち切ることは困難でした。彼は最終的に、現金を持ち歩かないことでこの問題を解決しました。友人たちに誘われた際、彼は「行ってもいいが、手持ちのお金がないので、支払いは君たちにしてくれ」と答えたのです。 1、2回繰り返した後、友人たちは誘うのをやめました。

時には家族の問題もあります。北アフリカでは、イスラム教徒の10代の少年がキリスト教徒になったため、母親が彼の食事にネズミ毒を混ぜたという事例がありました。また、配偶者がキリスト教徒になったり、宗教団体への参加をやめたりしたことを理由に、離婚に至るケースもあります。ユタ州のサンドラ・タナー氏によると、モルモン教の男性たちの中には、「モルモン教が真実ではないことは分かっているが、公にモルモン教を離れることはできない。そうすれば妻に離婚され、子供たちも連れ去られてしまうからだ」と語る人がいたそうです。 私自身、何年も前に結婚した無宗教の夫婦を知っていますが、夫がキリスト教徒になった際、妻は、夫がキリスト教を辞めない限り、丸一年間、夫との親密な関係を拒み続けました。最終的に、妻もキリスト教徒になったことで問題は解決しました。時には、日曜日の朝にいつも湖へ出かける計画を立てたり、他の活動を予定に入れたりするなど、より巧妙な形をとることもあります。


Q:創世記16章1~8節において、ハガルは奴隷でしたので、アブラハムとハガルの性的関係は、一部のイスラム教徒が宗教によって許されているような、強制的な強姦だったのでしょうか?(ブハーリー・ハディース第3巻第46冊第13章第717、718番、431~432ページ参照)

A: 創世記16章3節には、ハガルがアブラムの妻になったと記されており、彼女は明らかにそれに異議を唱えませんでした。実際、ハガルは妊娠したことを誇りに思い、サライを嘲笑しました(創世記16章4節、5節)。旧約聖書において、捕虜との結婚は許されていましたが、結婚以外の性行為が、邪悪な不道徳以外の何物でもないとして正当化された箇所は、どこにもありません。


Q:創世記16章3節、17章20節、21章13節において、ハガルがイシュマエルの母であるということは、ムハンマドを指しているのでしょうか?

A: 聖書には、アブラハムの側室ハガルとその息子イシュマエルについて言及されています。ただし、アドナン(ムハンマドの祖先)がイシュマエルの子孫であるかどうかについては、若干の不確実性があります。 著名な初期のイスラム歴史家アル=タバリは、第6巻37ページで次のように述べています。「系図学者たちは、マアッド・ビン・アドナンに至るまでの我らが預言者ムハンマドの系譜については意見が一致していますが、……それ以降については意見が分かれています。」しかし、結局のところこれは論点そらしに過ぎません。なぜなら、イシュマエルが聖書に登場しているからといって、ムハンマドが神から遣わされたことを示すわけではないからです。


Q:創世記17章1節、28章3節、35章11節、43章14節、48章3節、および出エジプト記6章3節において、神の御名「エル・シャダイ」は、正確にはどのような意味を持つのでしょうか?

A: 『アンガーの聖書辞典』(p.1000-1001)、『新NIV聖書辞典』(p.309-310)、および『ワイクリフ聖書辞典』(p.695)によると、「エル・シャダイ」とは、文字通り「エル(神)」と「シャダイ(全能者)」を意味する神の御名です。この御名は、アブラハム、イサク、ヤコブが知っていた神の主要な御名の一つでした。 たとえ彼らが神の「個人的な」御名であるヤハウェを教えられていたとしても、出エジプト記6章2節、3節にあるように、神ご自身がモーセに対してそうされたように、彼らに対してヤハウェとしてご自身を現されたことはありませんでした。

神の御名は、聖三位一体の一員であるイエスにも当てはまりますが、「エル・シャダイ」という名が、父や聖霊よりもイエスに特に当てはまるという示唆はありません。

ヘブライ語の「エル」という語は、現代の私たちが英語の「God/god」という語を使うのと同じような意味で用いられていました。私たちは、唯一無二の全能の創造主を「神」と呼び、偶像を「神」と呼ぶなどしています。「エル」を伴わない「シャダイ」(全能)という語は、創世記49章25節、 民数記24章4節、16節;ルツ記1章20節、21節;ヨブ記5章17節から40章2節にかけて31回;そして詩篇68篇14節、91篇1節に用いられています。

一部の自由主義的な批評家たちは、「エル・シャダイ」が「山の神」を意味する異教の用語に由来すると主張していますが、聖書がそのような意味を意図しているという証拠はありません。

「エル・シャダイ」という呼称は、創世記において、17章1節でアブラハムに、28章3節、35章11節、43章14節、48章3節でヤコブに、そして出エジプト記6章3節でモーセに対して用いられています。

神を表す類似の名称として、メルキゼデクが用いた「エル・エリオン(至高の神)」(創世記14:18; 民数記24:16;申命記32:8;サムエル記下22:14;詩篇9:2;イザヤ書14:14;哀歌3:35,38)や、「生ける神」を意味するエル・ハイ(ヨシュア記3:10)、あるいは単に「神」を意味するエルなど、多くの箇所で用いられています。


Q:創世記17章3節において、神が「全能」であるとはどういう意味でしょうか。神は特定のことをなさらないという選択をされることもありますが、神にはできないことが4つあるとすれば、それは何でしょうか。

A: もし神が望まれたなら、私たち全員を単なるロボットとして造ることもできたでしょう。しかし、神は、神を愛するか否かを選択する自由意志を持つ存在を創造したいと望まれました。これは、ヨシュアのような人々が「主に仕える」ことを選ぶことができたことを意味します(ヨシュア記 24:15)。 ファリサイ派の人々のような人々は、「自分たちに対する神の御心を拒んだ」(ルカによる福音書7章30節)ように、自分たちに対する神の御心を拒むこともできました。また、ある人々は「無価値な偶像にすがり」、そして「神の愛に満ちた献身を捨て去る」(ヨナ書2章8節)こともありました。

全能の神にはできないことが四つあります。

嘘をつくこと(ヘブライ人への手紙 6:18)

悪に誘惑されること(ヤコブの手紙 1:13)

ご自身を否定すること(テモテへの手紙第二 2:13)

ご自身より偉大な者を立てて誓うこと(ヘブライ人への手紙 6:13)


Q:創世記17章5節において、アブラムがアブラハムに改名されたことにはどのような意味があるのでしょうか?

A: 「アブラム」という名の由来は定かではありません。これは西セム語系の名前であり、おそらく「父は高められる」あるいは「高められた父」という意味でしょう。「アブラハム」という名は、「多くの民の父」あるいは「大いなる民の父」を意味します。

これは「冗談が現実になった」と見なすことができます。アブラムは「父」を意味し、子のない男にとっては皮肉な名前ですが、アブラハムという名前は「多くの民の父」という意味で、まさにその極みと言えます。『735の不可解な聖書の疑問への答え』p.39にあるように、「子のないアブラムが、多くの牧者たちとその家族たちに、これからはアブラハムと呼ばれることになると告げたとき、周囲からくすくす笑いが漏れるのが聞こえてきそうです。」 古代社会において、子供を持つことはとりわけ重要でしたが、子供のないアブラハムが神を信じる姿は、いかに嘲笑されやすかったかがうかがえます。しかし、神はその約束を果たされ、天国にいるアブラハムは、自身の切実な願いを叶えるために神が仕掛けたこの「冗談」に、微笑むことができたことでしょう。


Q:創世記17章5節において、神は私たちが呼ばれる名前や、私たちが他人を呼ぶ名前を、どれほど真剣に受け止めておられると思いますか?

A: 神は、私たちが自分自身に付ける名前や、他者に付ける名前を、ほとんどの人が考えているよりもずっと真剣に受け止めておられるのではないかと、私は思います。

創世記35章10節――ヤコブは「イスラエル」という新しい名前を授けられました。

イザヤ書62章2節で、神はご自分の民に新しい名前を与えると約束されています。

ルカによる福音書1章13節、60~63節。神は、洗礼者ヨハネを「ヨハネ」と名付けることを心から望んでおられました。

ルカによる福音書 1章31節――天使はマリアに、その子に「イエス」という名をつけるよう告げました。ゼカリヤ書 3章8~9節には、イエス/ヨシュアという名が念頭に置かれていました。

マタイによる福音書 5:22 では、人を「空っぽの頭」「頭の悪い人」「おバカさん」と呼ぶことについて述べられています。

マタイによる福音書 12:35-37 私たちは、口にする無駄な言葉の一つひとつについて裁かれることになります

黙示録 3:12 フィラデルフィアの教会に属する者たちには、新しい名が与えられます。


Q:創世記17章5節に関連して、「もう一度、私があなたの中で誰であるかを教えてください」という歌詞のキリスト教の歌があります。なぜ、私たちが誰であるかを改めて思い出す必要があるのでしょうか?

A: それは、私たちが自分が誰であるかという認識を完全に失ってしまうからではありません。むしろ、神の子であるという私たちの第一のアイデンティティが、私たちが持つその他の二次的な役割の数々に押しやられてしまうことがあるからです。 私たちは配偶者、親、子、友人、同僚、買い物客、ファン、その他数え切れないほどの役割を担うことがあります。それ自体は必ずしも悪いことではありません。しかし、信者として、私たちは何よりもまず神の子なのです。そのことを忘れないようにし、それを忘れさせてしまいがちな要素を特定し、その影響を和らげることが重要です。


Q:創世記17章12節で、なぜ神はちょうど8日目に割礼を行うよう命じられたのでしょうか?

A: 聖書にはその理由は明記されていません。しかし、新生児の血液は、大人ほど凝固しにくくなっています。食事を摂り、ビタミンKを摂取すると、血液中のプロトロンビン(凝固に用いられる物質)が増加します。ビタミンKの注射を受けていない赤ちゃんの場合、プロトロンビンの濃度は8日目にピークに達します。したがって、この日は割礼を行うのに理想的な日だったのです。

ちなみに、『ワイクリフ聖書辞典』(p.354)には、エジプト人が男性の割礼を行っていたことが記されており、ある図版には13歳の少年に対して割礼が行われている様子が描かれています。同書によると、セム系民族のほとんどが割礼を行っていたようです。 後のエチオピア人も割礼を行っていました。イシュマエルを祖先とするアラブ人も、イスラム教以前には割礼を行っていました。一方、ペリシテ人、バビロニア人、アッシリア人、そして後のエドム人は割礼を行っていませんでした。


Q:創世記17章12節によると、他にどのような民族が割礼を行っていたのでしょうか?

A: ギリシャの歴史家ヘロドトスは、著書『歴史』第2巻第104章69ページにおいて、割礼を行っていたのはエジプト人、エチオピア人、コルキス人だけだったと述べています。彼は、コルキス人がエジプトから移住してきたと主張しています。また、一部のフェニキア人やシリア人もこれを行っていたとし、彼らはエジプト人からそれを学んだと述べています。

初期の著述家バルデサン/バルデサネス(西暦154年~224年~232年)は、ローマ帝国アラビア属州の住民が割礼を行っていたが、ローマ人が同属州を征服した際にこれを禁止したと述べています。これは『諸国の法典』730ページに記載されています。 西暦70年にエルサレムが陥落した後、西暦130年にローマ皇帝ハドリアヌスによってその跡地にジュピター神殿が建設され、同皇帝はユダヤ人に対し割礼の実施を禁じました。


Q:創世記17章17節と18章12節において、アブラハムとサラは信じられないという気持ちで笑ったのでしょうか、それとも創世記21章6節でサラは喜びのあまり笑ったのでしょうか?

A: どちらの箇所も互いに補完し合うものです。イサクが授かる前、アブラハムとサラは信じられないという気持ちで笑いました。人が何かを心から望んでいるとき、誰かがそれを与えてくれると申し出た場合、失望から身を守るために、それを信じられず、笑い飛ばしてしまうのが人間の本性であることがあります。

しかし、イサクが生まれたとき、サラは喜びのあまり再び笑いました。


Q:創世記17章17節および18章12~15節において、なぜ神はアブラハムではなく、サラが笑ったことを叱責されたのでしょうか?

A: 何かを初めて知ったときに驚きから笑うことと、すでに聞かされた後の段階で懐疑心から笑うこととは異なります。ヘブライ語で「笑う」を意味する「サハク(sahaq)」という単語は、その両方の意味を持っています。


Q:創世記17章19節において、アブラムの約束の子はここでイサクと名付けられたのでしょうか、それとも創世記21章3節で名付けられたのでしょうか。

A:イサクが生まれる前に、神は創世記17章19節で、彼を「イサク」と呼ぶべきだとおっしゃいました。この節では、彼らが実際にその名前をつけたかどうかは明記されていません。イサクが生まれた後、創世記21章3節では、彼らが実際にイサクと名付けたことが記されています。これは、天使ガブリエルがマリアに息子を「イエス」と名付けるよう告げ、彼が生まれた後に、彼らが天使の言葉を従ったのと同じようなものです。


Q:創世記17章27節で、アブラハムはなぜ、奴隷であろうと自由人であろうと、自分の家で生まれたすべての男子に割礼を施したのでしょうか?

A: アブラハムは、自分の子孫だけが地上の神の契約の家族の一員となることだけでなく、家中のすべての者がそうなることを望んでいました。これは、彼らの子孫もまた、神の契約の民の一員となることを意味するものでした。

ユダヤ人のフィロン(紀元前15/20年~紀元50年)は、『創世記に関する問答』第3巻(62)863ページにおいて、基本的に同じ答えを示しています。


Q:創世記18章1~10節において、アブラハムがもてなしをしたのは、神が訪ねて来られたことを認識していたからでしょうか、それとも、彼が普段からもてなしを好む人だったからでしょうか?

A: アブラハムが、これらの人々が普通の訪問者ではないと気づいた正確な時点は、13節と14節の前であったということ以外には、明確には示されていません。『ヘブライ人への手紙』13章2節は、当初アブラハムがこれに気づいていなかったことを示唆しているかもしれません。一般的に、私たちは『ペトロの手紙第一』4章9節にあるように、もてなしの心を持つべきです。


Q:創世記18章1~10節において、アブラハムがもてなしを行うことにはどのようなリスクがあったのでしょうか。

A: アブラハムは極めて裕福でしたので、見知らぬ人たちに、警備員の数や貴重品の場所など、自分の陣営を偵察される可能性を避けるために、彼らを中に入れない方が安全だったかもしれません。また、待ち伏せの危険を冒すよりも、最初はアブラハムの下にいる使用人に彼らと話をさせた方が安全だったかもしれません。最後に、彼らがアブラハムのところに来るのではなく、アブラハムが彼らのところへ行った方が安全だったかもしれません。しかし、アブラハムはそうしたことを一切考えなかったようです。アブラハムはもてなしの心にあふれた人だったのです。

しかし、ローマ人への手紙12章13節、ヘブライ人への手紙13章2節、ペテロの手紙第一4章9節、そしてテモテへの手紙第一5章10節は、私たちに見知らぬ人に対してもてなしを行うよう命じています。最も安全なことは、決してもてなしを行わないことかもしれませんが、その場合、私たちは「一見最も安全に見えること」と、神の命令に従うこととの間で選択を迫られることになります。


Q:創世記18章において、旧約聖書における「キリストの顕現」と「神の顕現」とはどのようなものでしたか?

A:「キリストの顕現(クリストファニー)」とは、キリストがマリアから生まれる前に、この地上に現れたことを指す用語です。「神の顕現(テオファニー)」とは、父、子、聖霊、あるいは三位一体のいずれであれ、神が現れることを指します。キリストの顕現と神の顕現の区別について意見が分かれる場合があり、また天使が現れた際、それがキリストの顕現なのか単なる天使なのかが不明確な場合もあるため、ここでは旧約聖書における神の顕現として考えられる事例を以下に挙げます。

堕落前のエデンの園。(創世記 1:29-3:24)

おそらくメルキゼデク(創世記 14:18-20)

天使を見たハガルとの対話(創世記 16:8-14)

アブラハムを訪れた三人の来客(創世記 18:1-33)

アブラムに現れた神(創世記 17:1-2)

おそらくヤコブの梯子ではないでしょう。これは単なる夢に過ぎなかったからです(創世記 28:12-15)

おそらくヤコブが天使と格闘した場面ではないでしょう(創世記 32:30)

ベテルでヤコブに現れた神(創世記 35:9-15)

モーセと燃える荊棘(出エジプト記 3:2-22)

濃い雲(出エジプト記 19:9)

シナイ山での出来事(出エジプト記 19:11-12; 24:9,10)

モーセが神の背中を見たこと(出エジプト記 33:19-20)

ヨシュアと主の軍勢の司令官(ヨシュア記 5:13-15)

ギデオンが天使を見る(士師記 6:11-24)

サムソンの母に現れた天使(士師記 13:3-5)

契約の箱の上に現れた雲(列王記上 8:11-13)

岩の裂け目にいたエリヤ(列王記上 19:9-18)

神殿からの退出(エゼキエル書 10:3-18)やイザヤ書 6 章は、これらが幻であったため、おそらく該当しないでしょう。

重要な点の一つは、ヨシュアや軍司令官の場合のように、人間が当初、それが神であることに気づかなかったという点です。


Q:創世記18章と19章には、18:1-19と18:20-19:33という、2つの明確な部分があります。これら2つの部分を結びつけ、かつ対比させている2つの要素は何でしょうか?

A:これらは二つの訪問の物語です。最初の訪問では、敬虔な夫婦が子供を望んでいましたが、授かることができませんでした。二番目の訪問では、人々が同性愛的な強姦を企てました。最初の訪問では、アブラハムは素晴らしいもてなしを示しましたが、二番目の訪問では、町の人々は殺意さえ感じさせるほど無礼であり、ロトは奇妙で必死な形でもてなしを行いました。


Q:創世記18章2節において、アブラハムが王たちの前でひざまずいたことは、カトリックや正教会における像の前でひざまずく慣習を裏付けるものとなるでしょうか?

A: いいえ、像への崇拝は聖書に反します。なぜなら、第二の戒めに従い、礼拝のために彫像を作ってはならないとされているからです。しかし、像への崇拝についてどのような信念を持っていようとも、この聖句を像に頭を下げることを正当化する根拠として用いることはできません。像とは対照的に、

1. アブラハムは、実在する人物に対して敬意を表すために頭を下げました。

2. アブラハムは異教の王に敬意を示していたのであり、崇拝やいかなる宗教的な敬意も含まれていませんでした。

3. アブラハムはこれらの王たちに祈りを捧げませんでした。また、正教会が像を通して神に祈ると主張しているように、これらの王たちを通して神に祈ったわけでもありません。

ある読者は、正教会において「崇敬」は「敬意」と何ら変わらないと主張しました。しかし、それは事実ではありません。なぜなら、東方正教会は、神や様々な聖人に対して、像に向かって(より正確には像を通じて)祈りを捧げるからです。それにもかかわらず、彼らは妻や子供、両親、あるいは敬意を払う他の人を自分の前に置き、その人たちに祈りを捧げるようなことは決してしないでしょう。


Q:創世記18章2節において、いつお辞儀をすべきで、いつお辞儀を控えるべきでしょうか?

A: いかなる宗教的な像に対しても頭を下げてはいけません。これには、ヒンドゥー教の絵や彫像、あるいはディワリ祭の際の供え物も含まれます。日本人がよく行うように、誰かに敬意を示すために頭を下げることは問題ありません。


Q:創世記18章6節によると、神は千の丘の家畜を所有しておられますし、もし神が何らかの理由で空腹であったとしても、誰かに伝える必要などありません(詩篇50篇10-12節)。もし神が何かを食べたかったのなら、サラやアブラハムの料理や給仕の腕前を試す必要など、決してなかったはずです。なぜ神は、彼らに奉仕させるために「身を下げて」くださったのでしょうか?

A: 神様は彼らと交流したかったのです。それは、ある父親が8歳の息子と一緒に柵を建てるようなものです。父親は息子を必要としているのでしょうか? もし息子がいないなら、父親はもっと早く柵を建てられるのではないでしょうか? 少年の「貢献」がなければ、柵はもっと見栄えが良くなるのではないでしょうか? こうした質問は本質を見失っています。重要なのは、父親と息子がチームとして一緒に何かを作り上げるということなのです。父親はそのことを理解しています。 時には、子供もそのことに気づくことがありますが、気づかないこともあります。

もちろん、人間ですから、物事はいつも計画通りに進むとは限りません。ある時、私の娘の一人が小学4年生だった頃、私と一緒に工作をしたいと申し出てきました。 私はそれが素晴らしいアイデアだと思ったので、彼女の希望通り、一緒に紙袋で「フクロウ」を作りました。出来栄えは悪くないと思ったのですが、完成した途端、彼女は泣き出して、「なぜ私は、向かいの家に住んでいる美術の先生のお子さんとして生まれてこなかったの?」と尋ねました。私たちもまた、神との大切な瞬間を台無しにしてしまうことがあります。何かが期待通りにいかなかったり、自分が望んでいたような素晴らしい出来栄えでなかったりして、泣いてしまうことがあるのです。


Q:創世記18章16~33節において、ソドムとゴモラを単に「悪い」だけでなく、神がそれらを滅ぼそうとされるほど「ひどく悪い」ものにした要因は何でしょうか?

A: まず、答えではない点を挙げ、次に三つの答えを挙げます。これらはいずれも重要な意味を持つかもしれません。

それらの都市には神の実質的な証しが見られませんでしたが、神の証しがない都市は他にも多くありましたので、それだけでは理由にはなりません。

a) カナン人は一般的に、幼児の生贄や宗教的な売春を行っていました。創世記18章32節には、その町には義人が十人もいなかったと記されています。

b) しかし、ソドムとゴモラの住民は同性愛行為も行い、その横行する同性愛は神にとって忌まわしいものでした。

c) 彼らは、人の姿で現れた天使たちを同性愛的な方法で強姦しようとしました。しかし、神は天使たちが到着する前から、すでにその町を滅ぼすことを決めておられました。とはいえ、訪問者に対する彼らの全般的なもてなしの欠如した態度が、彼らに強姦を試みようとする厚かましさを与えたのです。


Q:創世記18章16~33節において、神はどのようにしてソドムとゴモラを滅ぼすことを思いとどまらせることができたのでしょうか?(聖書批評家のバート・エアマン氏は、マルキオンが『失われたキリスト教』p.196でこの点を指摘したと述べています)

A: 回答において考慮すべき3つの点があります。

1. 神はソドムとゴモラを滅ぼすことを思いとどまらせられたわけではありません。神は実際にそれらを滅ぼされました。

2. 神は、私たちの祈りから知識を得るのと同様に、アブラハムの嘆願を必要としていませんでした。

3. むしろ、神は私たちが理解できる形で、私たちと関わってくださるのです。私たちが変化したことで、神の啓示された御心が変わることもありますが、このケースにおいても、創世記18章16節から33節には、アブラハムとの対話の結果として、神がご自身の意図を変えられたという示唆は一切ありません。時には、神はご自身の考えやその理由を私たちに知らせるために、ご自身を低くしてくださることがあります。


Q:創世記18章10節、14節および21章1節、2節は、『Born Again Skeptic』の217ページで主張されているように、神がサラを妊娠させたことを教えているのでしょうか?

A: いいえ。その無神論者は、神がサラを妊娠させるために戻ってこられたのではなく、息子が生まれた後に戻ってこられたという重要な点を見落としています。神はサラの息子について、たった三つのことしか言われませんでした。

1. 創世記18章10節、14節にあるように、神は来年また彼らを訪ねられるということです。

2. 創世記21章1節にあるように、神はサラに息子を授けるという約束を果たされるということです。

3. 最も重要なこととして、その息子はアブラハムから生まれるということです(創世記17章15節、17節)。正確に言えば、創世記15章4節にあるように、その息子はアブラハム自身の体から生まれたのです。


Q:創世記18章27節で、なぜアブラハムはここで特に「自分はただちりや灰に過ぎない」と言っているのでしょうか?

A:経験豊富な交渉者であり外交官であるアブラハムは、神に対して非常に大胆な要求をしていることを自覚していました。アブラハムは、神が明らかにされたことを変えてくださるようお願いする前に、まず、自分が神の前では何者でもなく、神に何かをさせる権利などないことを認めようとしたのです。


Q:創世記19章において、ソドムとゴモラの罪は、エゼキエル書16章49節にあるように、本当に「もてなしの心」の欠如だったのでしょうか?

A: それは物語の一部に過ぎません。 一部の同性愛者はエゼキエル書16章49節を引用しますが、彼らが「忌まわしい行いをした」と記されているエゼキエル書16章50節を無視しています。創世記19章5~7節は同性愛を強調しています。ユダの手紙7節もまた、「不品行にふけり、異質な肉を追い求めた」者たちについて述べています。創世記13章13節は、ソドムの邪悪さがロトの到着以前から存在していたことを示しています。


Q:創世記19章において、そもそもロトのような人物が、なぜそのような場所に暮らしていたのでしょうか?

A: ロトは何を考えていたのでしょうか。おそらく、その町に住むことには経済的なメリットがあったのでしょう。あるいは、ロトは町の有力者の一人として尊敬されていたのかもしれません。あるいは、王たちがソドムの民を捕らえた後、彼の財産はすべて失われてしまったのかもしれません。

ロトは何を考えていなかったのでしょうか? ロトが「ここは私にとって霊的に良い環境だろうか」と自問した形跡は一切ありません。また、彼は「ここは私の子供たちにとって良い環境だろうか」とも尋ねなかったようです。


Q:創世記19章1~3節において、創世記18章2節の「三人の男」は、なぜ創世記19章1節では二人の天使/男になったのでしょうか。また、なぜ彼らは宿を必要としているように見えたのでしょうか。

A: これらは神現(テオファニー)、すなわち神の御出現でした。神は目に見える人数を容易に変えることができたのです。二人の見知らぬ人が、宿を必要としているように見えることもあったでしょう。以前にも神の訪問を受けたことのあるアブラハムなら、その三人が普通の人ではないとすぐに気づいたかもしれませんが、ロトには彼らが普通の人ではないと気づくことができなかったのかもしれません。 その真意は定かではありません。しかし、彼らは単なる普通の人間の姿で現れた可能性もあります。ロトは、その町の広場がかなり危険であることを知っていたため、彼らを無視することもできたでしょう。彼らが助けを必要としないと告げた後、ロトは「まあ、助けようとはしたけれど、彼らが危険に身をさらしたいのなら、私は関知しない」と考えたかもしれません。しかし、ロトはそうしませんでした。彼は、危険な状況から彼らを守るよう強く主張したのです。

果たして、誰が誰を守ったのでしょうか。皮肉なことに、当初は、ロトが彼らを守ることを強く主張したからこそ、彼らがロトの家に来たように見えました。この死すべき人間が天使たちを守ろうと決心する様子を、天国の天使たちは滑稽に思っていたかもしれません。しかし、結局のところ、その夜、天使たちはロトとその家族を守り、最終的には、妻を除くロトの家族全員を、その後の死から救ったのです。


Q:創世記19章8節で、なぜロトは群衆に自分の未婚の娘たちを差し出したのでしょうか?

A: 聖書は、この悪行に対するロトの動機について明記していませんが、三つのことが見て取れます。

1. ロトは絶望的な状況にあり、おそらくパニックに陥り、自ら事態を収拾しようとしたのでしょう。

2. 彼は、ソドムの男たちが自分の娘たちに全く興味を持っていないことを知っていました。

3. ロトはソドムに長く住んでおり、おそらく、その男たちが自分の娘たちに全く興味を持っていないことを知っていたのでしょう。ロトは、おそらく彼らの行動を遅らせようとしていたのでしょう。

以上のすべてが組み合わさった結果でしょう。娘たちはすでに婚約しており、もし男たちが娘たちに暴行を加えた場合、娘たちもロトも、婚約者の属する氏族が男たちに報復することを知っていました。氏族が、自分たちに対して行われた明らかな不正に対して正義や報復を得られなければ、弱く見なされ、他の氏族から尊敬されなくなる恐れがあったのです。 そのため、後世においては、殺人や強姦は、加害者が処罰のために引き渡されるか、被害を受けた氏族が血の代償金の支払いに同意し、加害者側の氏族がそれを支払うのでない限り、氏族間の戦争を引き起こす可能性がありました。

聖書は、この場面におけるロトの行動を是認しているわけではありません。単にそれを記録しているに過ぎません。もし聖書が単なる「プロパガンダ」であるならば、良いことばかりを記録し、悪いことについては一切触れないはずでしょう。しかし、聖書はプロパガンダではなく、神の真実の言葉であり、人々の生き様を、良い面も悪い面も含めて率直に語っています。


Q:創世記19章23~26節では、天使たちはロトだけでなく、彼の家族全員を守りました。では、もしロトの妻が実際に守られていたのなら、なぜ彼女は死んで塩の柱になってしまったのでしょうか?

A: 天使たちは、ロトの妻も含めて、彼ら全員を守りました。しかし、ロトの妻は天使たちの保護の範囲から外れてしまいました。より正確に言えば、彼女は進むべき時にその場に留まってしまったのです。神が私たちにどこかへ行って何かをするよう命じられる時、その場に留まるほうが、私たちにとってははるかに安全に見えることがあります。しかし、神こそが最善をご存知なのです。 その場に留まることが結局危険だったというもう一つの例は、アブラハム自身に起こりました。アブラハムは紀元前2000年頃、おそらく中東全域、ひいては世界でも最大級の都市の一つであったウルを去りました。紀元前1950年までに、エラム人は、以前ウルがエラムの首都スサを破壊したことへの報復として、ウル全市を破壊してしまいました。 神の命令に背いてウルに留まっていたら、アブラハムは死か奴隷となる運命にあったでしょう。もちろん、当時のアブラハムにはそのことは分からなかったでしょうが。


Q:創世記19章24~26節において、ソドムとゴモラは具体的にどのように滅ぼされたのでしょうか?

A: 聖書には、主が硫黄と火を降らせ、後ろを振り返ったロトの妻が塩の柱になったとだけ記されています。詳細な記述はありませんが、その地域は地表にピッチ(石油)やアスファルトが豊富にあることはわかっています。 ピッチに引火するような嵐や風、稲妻を想像してみてください。その結果生じた火は、それ自体が風を引き起こし、その一帯は誰にとっても居たいとは思えない場所だったでしょう。一方で、1980年にワシントン州で起きたセント・ヘレンズ山の噴火のような、小規模な火山噴火が主な原因だった可能性もあります。


Q:創世記19章26節において、ロトの妻以外に、その後「塩の柱」となった人物が他にいたことは分かっていますか?

A: 物理的な面では、ヴェスヴィオ火山が噴火した際、ポンペイでは人々や犬が即死し、その遺体が灰に覆われて保存されました。間違いなく、他の大規模な噴火の際にも同様のことが起きたことでしょう。

比喩的な意味では、ロトの妻は、置き去りにした生活への愛によって心が硬くなり、感覚を失ってしまいました。それ以来、多くの人々もまた、この世への愛によって心が硬くなってしまいました。明らかな例として、麻薬中毒者が薬物を求めている時や、アルコール依存症者が酒を求めている時は、周囲にある人生のささやかな喜びにほとんど気づいていません。罪全般、あるいは神よりも何かを望むことは、神が私たちに与えてくださった良いものへの意識を薄れさせてしまう可能性があります。 アレクサンドリアのクレメンス(193-217/220年頃著)は、『異教徒への勧告』第10章201ページにおいて、この解釈にいち早く気づいた人物の一人でした。


Q:創世記19章30~36節において、なぜ聖書はロトが娘たちと性関係を持ったと教えているのでしょうか? これが正しいことだったとは、どうしても信じられません。

A: その通りです。聖書は、それが正しいことだったとは言っていません。近親相姦や淫行は悪であり、聖書はロトの行ったことをありのままに記録しているのです。

ロトを擁護する立場として、イレネウス『異端反駁』第31章(西暦182~188年)は、聖書が示すところによれば、ロトは情欲からそうしたのではなく、過度の飲酒によって自制心が失われていたためであったと指摘しています。

オリゲネス(西暦225~254年)は、ロトとその娘たちのような物語が聖書に記されているのは、聖書の著者たちが、たとえ自分たちの不名誉となるような事柄であっても隠さず、真理を追求する姿勢を示しているからだと述べています。オリゲネス『ケルソス反駁』第4巻第45章 p.518


Q:創世記20章および出エジプト記23章31節において、紀元前2000年頃のアブラハムの時代に、どうしてペリシテ人がイスラエルにいたのでしょうか?

A: 紀元前1200年に大規模な移住があったとはいえ、アシュドッドの最も古い遺跡層は、はるか昔である紀元前17世紀にすでに居住されていたことが分かっています(H.F. ヴォス著『聖書地域の考古学』)。 当時、その肥沃な土地には誰かが住んでおり、それがペリシテ人ではなかったとする歴史的証拠は存在しません。紀元前1190年にエジプト人がペリシテ人を打ち破った後、彼らは大挙してパレスチナにやってきましたが、すでに町を築いていた場所へ撤退したというのは理にかなっています。


Q:創世記20章3節、6節において、なぜ神はアビメレクが「死んだも同然」だと言われたのに、アビメレクは生き延びたのでしょうか?

A: 神は変わることがありません(マラキ書3章6節、ヤコブの手紙1章17節、ヘブライ人への手紙13章8節)。しかし、エゼキエル書33章12~20節は、人々が変化するとき、人々に対する神の啓示された御心も変わる可能性があることを示しています。

詳細については、出エジプト記33章5-6節、申命記20章17節、エレミヤ書15章6節、ヨナ書3-4章、ヨナ書3章10節、およびヨナ書4章1-2節に関する解説をご覧ください。


Q:創世記20章3節、8-10節、創世記26章1節、士師記8章31節、および士師記9章1節において、「アビメレク」とはどのような意味でしょうか。

A:「アブ」は「父」を、「メレク」は「王」または「支配者」を意味します。つまり、「王の父」あるいは「父が王である」という意味になります。ゲラルの二人の王やギデオンの息子の名前であることに加え、シリル・アルドレッド氏は著書『エジプトの王アケナテン』(p.186)の中で、アビミルキがアマルナ文書(紀元前1400~1370年)に言及されているティルスの支配者であったと記しています。


Q:創世記20章12節において、アブラムはなぜ異母姉妹のサラと結婚したのですか?

A: 当時は近親相姦が明示的に禁じられていませんでした。また、アブラムは結婚した当時、必ずしも信仰者であったとは限りません。


Q:創世記21章8~14節において、アブラハムがハガルを追い出したのは正しかったのでしょうか?

A: 通常であれば、ハガルが創世記21章9節でサラを嘲笑したとはいえ、アブラハムが自分の子の母であるハガルと、まだ十代の息子を、保護もなく、わずかな水しか持たせずに一人で追い出すことは間違っていたでしょう。だからこそ、創世記21章11節で、サラの要求はアブラハムを深く悩ませたのです。しかし、この特定のケースにおいては、神がアブラハムに「そうしなさい」と告げられ、すべてがうまくいくと約束されました。 神ご自身がハガルとイシュマエルに水を与えてくださいました(創世記21章17~19節)。また、イシュマエルが成長する間、神は彼と共にいてくださいました(創世記21章20節)。

ちなみに、ハガルは実際にはセム系の名前でした。エジプト北部には多くのセム系の人々が住んでいました。


Q:創世記21章14節について。旧約聖書をお読みになれば、創世記において長子(つまり、神に選ばれた者、父の相続人)がイシュマエルであり、彼を相続人から外すためにユダヤ人たちが旧約聖書に挿入した虚偽の記述 (なぜでしょうか? 彼らは自分たちの部族の外から来た者を受け入れることができなかったからです)が、イシュマエルとその母ハガルがアブラハムの部族から永遠に追放されたと記された際に、はっきりと見て取れます。しかし、創世記をさらに読み進めると、真の物語は「イシュマエルはすべての兄弟(家族)の目の前で亡くなった」というものであり、さらに「イサク」も「すべての兄弟の目の前で亡くなった」ということが分かります。 聖書のこれらの記述は、ユダヤ人によるさらなる改竄を明確に示しています。すなわち、彼らは、アブラハムが神の御心への愛と従順のために何でも犠牲にしようとしていた当時、本来「アブラハムの唯一の息子」であったイシュマエルに取って代わるために、ハガルとイシュマエルが永久に追放されたという出来事をでっち上げなければならなかったのです また、このことは、人類の救い主に関する約束が、イサク(次男)ではなく、イシュマエル(長男)を通じてなされたことも示しています。(あるイスラム教徒がこう述べました)

A:まず第一に、一部のイスラム教徒の方々は、コーランが犠牲として捧げられた息子がイシュマエルであったかイサクであったかを明確に定めていないことをご存じないかもしれません。

「家族」の面前でイシュマエルが亡くなったというあなたの主張は、彼が追放されなかったことを証明するものではありません。聖書でこの点について言及しているのは、創世記25章17節bのみであり、そこには「彼は息を引き取り、死んで、その民のもとに集められた」と記されています。 これは、彼が亡くなったことを示す一般的な婉曲表現でした。もちろん、彼の子供たちや義理の家族が彼のそばにいた可能性はあります。しかし、これが彼が先祖たちと共に埋葬されたことを証明するものではありません。なぜなら、創世記25章8節ではアブラハムもまた「その民のもとに集められた」と記されていますが、それは彼がカルデアのウルに埋葬されたことを意味するわけではないからです。

ご質問とは逆に、アブラハムが長子を犠牲に捧げるべきだったとはどこにも書かれていません。むしろ、アブラハムは唯一の息子を犠牲に捧げるべきでした。なぜなら、イシュマエルはすでに追い出されており、イサクこそが約束の子だったからです。

ただ、あなたに一つ質問があります。コーランは間違っている可能性はあるのでしょうか?

1. スーラ32:23「われはかつてモーセに啓典を授けた。それゆえ、それが(あなたに)届くことについて疑ってはならない。そしてわれは、それをイスラエルの子らの導きとした。」では、もともと授けられたトーラーは正しく、真の神からのものであるという点に、ご同意いただけますか?

2. スーラ5:46「そして、われは彼ら[預言者たち]の後に、マリアの息子イエスを遣わし、彼より前に下されたトーラーを確証させた。われは彼に福音書を授けた。そこには導きと光があった。また、彼より前に下されたトーラーの確証であり、アッラーを畏れる者たちへの導きであり、戒めであった」。では、イエスの時代に、彼が確証したトーラーが、アッラーの真の言葉であったことに同意していただけますか?

3. 死海文書には、キリストの時代およびそれ以前の旧約聖書の写本が数多く含まれています。あなたが聖書に誤りがあると考えている三つの点は以下の通りです:

3.1. イサクは約束の子、すなわち契約の子でした。創世記 17:19,21

3.2. イシュマエルとハガルは追放されました。創世記21章8~19節

3.3. アブラハムによるイサクとイシュマエルの犠牲(創世記22:1-18)

死海文書には、イサクが「約束の子」であると記されています。フィロはエジプトのアレクサンドリアに暮らしたユダヤ人の学者で、西暦50年に亡くなりました。彼は『創世記』の注釈書を執筆しましたが、その注釈書からは、彼の時代の『創世記』が現在のものと同じであったことがわかります。

ローマのクレメンスは初期キリスト教の司教であり、おそらくパウロが言及したクレメンスのことと思われます。彼は西暦96年から98年にかけてコリントの信徒への手紙を執筆しました。彼は、アブラハムが犠牲に捧げようとした息子は、彼の晩年に授かった息子であったと述べています。[ただし、実際には「イサク」とは明言していません]。

4. スーラ5:47の記述があるため、イエスの時代およびムハンマドの時代の福音書に対するあなたの非難を、キリスト教徒が福音書に基づいて判断することを非難することはできません。そこには、「福音の民は、アッラーがそこに啓示されたものによって裁きを行いなさい……」とあります。では、キリスト教徒は、ムハンマドの時代よりずっと以前から私たちの手元にある福音書に基づいて裁くべきであるという点に、ご同意いただけますか?もしそうではないのであれば、コーランは間違っているということになるのでしょうか?

スーラ5:48には、「われは、あなた方(啓典の民)に、真実として啓典を授けた。それは、それ以前に下された啓典を確証し、それを安全に守るためである。だから、アッラーが啓示されたものによって彼らの間を裁き、あなたに下された真理から逸脱する彼らの虚しい欲望に従ってはならない……。」とあります。 もしあなたが、これらの言葉に同意しないイスラム教徒であるならば、アッラーは、敬虔な信者たちが改竄された形でのみ学ぶことを許されている御言葉と、改竄されていないまま残されている御言葉とを、どのように区別されているのでしょうか。

ほとんどのムスリムは、ムハンマドの言行録であるハディースを、クルアーンに次ぐ最高の権威として信じています。公認されている六つの主要なハディース集のうち、ブハーリーが最も権威あるものとされています。ハジャール[ハガル]とイシュマエルについて、そこに何が書かれているか、ぜひお読みいただきたいと思いました。

ブハーリー第4巻、第55書、第9章、第583番、373ページ「アブラハムは、授乳中の彼女[ハガル]とその息子イシュマエルを、モスクの最も高い場所にあるカアバのそば、ザムザムの位置にある木の下へと連れて行きました。 当時、メッカには誰もいませんでしたし、水もありませんでした。そこで彼は二人をそこに座らせ、ナツメヤシの実が入った革の袋と、水が入った小さな水袋を彼らのそばに置き、家路につきました。イシュマエルの母は彼に「おお、アブラハムよ! 私たちを、一緒に過ごせる人も、楽しむものもないこの谷に置き去りにして、どこへ行くのですか?」と言いながら後を追いました。 彼女は何度もそう繰り返しましたが、彼は彼女を振り返りませんでした。そこで彼女は尋ねました。「アッラーがあなたにそうするよう命じられたのですか?」彼は「はい」と答えました。……(p.374 同ハディース)「預言者はこう言われました。『これが、人々が(すなわちサファとマルワの間を)往復する慣習の起源です。』 彼女が(最後に)マルワに到着したとき、ある声を耳にしました。彼女は静かにしようと心に決め、注意深く耳を傾けました。……彼女はザムザムの場所で、天使が踵(あるいは翼)で地面を掘っているのを見ました。やがて、その場所から水が湧き出ました。」したがって、あなたの見解は、ブハーリーの『サヒーフ・ブハーリー』にも、聖書にも一致していません。

著名な初期のイスラム歴史家アル=タバリ(西暦839-923年)は、犠牲にされかけたのがイシュマエルかイサクかを調査し、イシュマエルではなくイサクであったと述べています(アル=タバリ第2巻 p.68)。 彼は、イサクであったとするイスラム教の権威者たちと、イシュマエルであったとする者たちについて10ページにわたって論じ(アル=タバリ第2巻 p.82-92)、最終的にイサクであったと結論づけています。

しかし、アブラハムの息子たちのどちらがどちらであったかというこの問題は、箴言30章4節以降にある「地の果てをすべて起こしたのはだれか。その御名は何か。その御子の名は何か。あなたは確かに知っているはずだ。」(グリーン直訳)という問いに答えられることと比較すれば、些細なことだと私は考えます。


Q:創世記22章において、なぜ神はアブラハムとイサクによる人身供犠を奨励されたのでしょうか?

A: 答えを考える上で、4つの点を考慮する必要があります。

1. アブラハムはすでに、自分の民や文化よりも神を愛していることを示していましたが、神は、アブラハムが自分の愛する息子よりも神を愛しているかどうかを試されたのです。

2. 十戒(「殺してはならない」など)は、シナイ山でモーセに与えられるまで存在しませんでした。

3. 神が当初、犠牲を命じられたこの唯一の事例においても、神はその実行を阻止されました。誰も死ぬことはありませんでした。

4. 父なる神は、私たちのためにイエスを犠牲にされたご自身が行わなかったことを、アブラハムに求められたわけではありません。

チップ・イングラム氏(2007年5月20日執筆)は次のように述べています。「ある時、神はあなたに『あなたのイサク』を求められます。あなたが身を委ねたとき、神の最大の力を知ることになるでしょう。……神への身を委ねること、それこそが今日の教会に欠けているものなのです。」


Q:創世記22章1~18節において、アブラハムが犠牲にしようとした少年は、イスラム教徒が主張するように、イサクではなくイシュマエルだった可能性はありますか?そうでなければ、どうしてイサクがアブラムの「唯一の息子」となり得るのでしょうか?

A: 犠牲にされそうになったのはイシュマエルではなくイサクでした。その理由は少なくとも5つあります:

コーランでさえ、それがイシュマエルであったとは述べていません。創世記22章2節には、それがイサクであったと記されています。イスラム教徒にとって、イスラム教のコーランではスーラ37章99~111節でこの件が論じられていますが、コーラン全体を通して、それがイシュマエルであったのかイサクであったのかについては、どこにも明記されていません。

当時、アブラムが持っていた唯一の男の子:創世記17章25節および18章10節によると、イサクが生まれた時、イシュマエルは14歳でした。創世記21章8~10節では、イサクが断乳した日に、ハガルとイシュマエルは別の場所へ追放されました。 創世記21章34節によると、この出来事から「長い時間が経った後」、アブラハムは試練に遭い、創世記22章12節では、祭壇の上に「少年」が横たわっていました。

神の目から見た唯一の息子:創世記21章12節において、神はアブラハムの子孫がイシュマエルではなくイサクを通して数えられると宣言されました。創世記21章10~12節によると、イシュマエルとその母は「追放」されて送り出されたため、アブラハムはイシュマエルを傍らに置いていませんでした。

この世における唯一の相続人:イサクは唯一の相続人であり、「唯一の息子」とは「愛される息子」という意味も持ちます。当時の文化では、子孫を残すために側室を娶ることが認められていましたが、相続権や長子の権利は、側室の息子ではなく、正妻の息子に与えられることになっていました。

約束の唯一の息子:創世記21章12節には、「イサクを通して、あなたの子孫は数えられる」とあります。アブラハムには他にも息子たちがいましたが、彼らはこの後に生まれたのです。


Q:創世記22章2節において、イサクはどのようにしてアブラムの「唯一の息子」であったのでしょうか?

A: イシュマエルは先に生まれましたが、この時点ではすでに追い出されており、イサクはアブラムがまだ傍らに置いていた唯一の息子でした。イサクは唯一の相続人であり、「唯一の息子」とは「愛された息子」という意味も持ちます。創世記21章12節には、「イサクを通して、あなたの子孫が数えられる」と記されています。 アブラハムには他にも息子たちがいましたが、彼らはこの出来事の後で生まれました。当時の文化では、子孫を残すために側室を娶ることが認められていましたが、相続権や長子の権利は、側室の息子たちではなく、正妻の息子たちに与えられることになっていました。


Q:創世記22章2節において、聖霊は人々に、聖書に啓示されていることに背くよう導くことはあるのでしょうか?

A: いいえ。その答えには、3つの考慮すべき点があります。

1. もちろん、アブラハムの時代には聖書がまだ書き記されていなかったため、神はアブラハムに、啓示された聖書に反する行為をするよう導かれたことはありません。

2. 聖書が啓示されて以来、神は誰に対しても、ご自身の啓示された命令に反することを行うよう命じられることはありません。たとえ聖霊がイエスを荒野へと導き出し、そこでイエスがサタンから誘惑を受けたとしても、聖霊はイエスを誘惑したり、間違ったことをするよう命じたりはしませんでした。

3. 神は、ご自身の御心に反する行いを誰にも行わせようとはされません。たとえ神がアブラハムにイサクを犠牲として捧げるよう命じられたとしても、神はアブラハムがイサクを殺すことを許されませんでした。

ですから、当時はモーセの律法がまだ記されていなかったため、神はアブラハムにそう告げることができたのです。しかし、当時も今も変わらず、神は誰に対しても人を犠牲にするようなことを決して望んでおられません。


Q:創世記22章12節で、神は「今、わたしはあなたが神を畏れることを知った」とおっしゃいましたが、神はアブラムが何をするか知らなかったのでしょうか?

A: もちろん、神はご存知でした。しかし、この表現は、この時点でアブラハムが自分の行動を証明したということを意味しています。

イサクは、アブラハムの人生において最も大切な肉親でした。しかし、イサクは神よりも重要だったのでしょうか。アブラハムは、自分の人生において神が第一であることを示しました。ヤコブの手紙1章には、信仰の試練が忍耐を生み出すと書かれています。しかし、私たちはリスクを冒さない信仰を望むかもしれませんが、それは神がアブラハムや他の人々の中で育まれた信仰ではありません。アブラハムには、信仰の試練の種類、状況、時期について選択の余地はありませんでしたし、私たちにも通常、そのような余地はありません。


Q:創世記23章と出エジプト記3章8節において、なぜヒッタイト人がパレスチナにいたのでしょうか?

A: ヒッタイト人は広範囲に分布していた民族であり、その一派がパレスチナの山岳地帯に定住していました。インド・ヨーロッパ語族に属するヒッタイト人は、紀元前1590年にバビロンを略奪しました。また、この記述は、紀元前2000年以前に征服された非インド・ヨーロッパ語族の民族である「ハティ」を指すとの見方もあります。ヘブライ語では、「ハティ」と「ヒッティ」は同じように表記されます。


Q:創世記23章2節で、キリアテ・アルバがヘブロンとも呼ばれていると記されているのはなぜでしょうか。

A: ここでヘブロンが言及されているのには、互いに補完し合う2つの理由が考えられます。

アブラハムが紀元前2000年頃に生きていたのに対し、『創世記』はモーセの時代、すなわち紀元前1447年から1407年に書かれたことを思い出してください。そのため、モーセの時代には、その町はイスラエル人やカナン人によってヘブロンと呼ばれていた可能性があります。イスラエルの偵察隊はカナン地方の地理に精通しており、モーセの時代のその都市を指してこの名前を用いたのかもしれません。

いずれにせよ、ヨシュアによる征服直後、イスラエル人はその町を「キリヤト・アルバ」ではなく、単に「ヘブロン」と呼んでいました。「キリヤト・アルバは現在ヘブロンである」というこの簡潔な注釈は、その直後に追加された可能性があります。


Q:創世記23章2節において、交渉とは通常、互いに譲り合うものです。例えば、売り手が「300ドル」と言い、買い手が「100ドル」と答えます。売り手が「250ドル」と言い、買い手が「150ドル」と答えます。そして、おそらく「200ドル」で合意に至るでしょう。これは、通常の交渉とはどのように異なるのでしょうか?

なぜアブラハムは、「私はあなたがたの間で、よそ者であり、異邦人です」と言ったのでしょうか?

創世記23章5-6節 ヒッタイト人:「あなたは私たちの間で王子のような方です。私たちの墓のどれにでも、無料でご遺体を葬ってください。」

創世記23:7-9 アブラハムは頭を下げて、「エフロンに、彼の所有地にある洞窟を私に売ってくださるよう、どうか取り成してください」と頼みました。

創世記 23:10-11 エフロン:「その洞窟を無料で差し上げます。」

創世記23:12-13 アブラハムは頭を下げて、「その洞窟の代金は支払いたいのです。その土地の市場価格はいくらでしょうか?」と尋ねました。

創世記 23:14-15 エフロン:「400シェケルです。」

創世記 23:16 アブラハムは議論も交渉もせず、ただ400シェケルを支払うことに同意しました。

シェケルは当時、重量の単位であり、後に通貨の単位となりました。

ヨシュア記7:21では、アカンが200シェケルの銀を盗みました。アブラハムの時代、男性の奴隷の価値は約20シェケルでした。その数世紀前には、奴隷の価値は10から15シェケルでした。それから約500年後のモーセの時代には、奴隷の価値は30シェケルでした。したがって、その畑の価格は奴隷10人分程度だったことになります。

その答えは、アブラハムがどれほど裕福であったとしても、このわずかな金額にはこだわらなかったということです。彼は、自分が市場価格を支払ったことを彼らに理解してもらい、墓を荒らさないよう説得する方が重要だと考えたのです。時には、自分の利益を最大限に追求するのではなく、相手側に譲歩して信頼関係を築く方が得策な場合もあります。特に、相手が約束を守るかどうかを直接確認できない状況ではなおさらです。


Q:創世記23章2~3節で、アブラハムはサラの死を嘆き悲しんでいましたが、それでもどのようにしてヒッタイト人たちに寛大に接したのでしょうか?

A: アブラハムは、その言葉の中で彼らを敬いました。金銭面では、最低価格を交渉しようとはしなかっただけでなく、彼らに主導権を委ね、価格を決めさせました。時には、幼い子供たちに対しても、主導権を委ねてあげることは良いことです。

ルカによる福音書14章9~11節で、イエスは宴会の席では下座に座るようおっしゃいました。宴会を主催する際は、貧しい人や体の不自由な人、そしてお返しができないような人々を招くべきです。


Q:創世記23章3~20節において、アブラハムはビジネスで大成功を収めていました。しかし、この場面では、もし彼がその土地を無料で、あるいは非常に安い価格で手に入れようとしていたのなら、彼は優れた交渉者には見えませんでした。――それとも、そうではなかったのでしょうか?

A: 覚えておくべき格言の一つに、「目標を見失わないこと」があります。時には、優れたビジネスマンは、最低価格だけが目標ではないことを理解しています。アブラハムとその家族が不在の間、その土地や墓のそばに誰がいるのでしょうか? 悪感情を残すような厳しい交渉をするのではなく、むしろ好意を残すことが望ましいでしょう。 彼は常に、ヒッタイトの人々に自分のことを良い思い出として残したいと考えていました。そうすれば、自分が亡くなった後、彼らが墓地を冒涜したり、他の目的に転用したりすることはないからです。創世記25章9~10節によると、アブラハムはサラの隣にある同じ洞窟に埋葬され、創世記50章12~13節ではヤコブも同様にその洞窟に埋葬されました。また、創世記50章25節では、ヨセフはエジプトに埋葬されることを望んでいませんでした。


Q:創世記23章5節において、なぜヒッタイト人はアブラハムを自分たちの間における偉大な君主と見なしたのでしょうか?

A: アブラハムは非常に裕福でした。また、アブラハムは彼らと親密な関係を築いていたようで、彼らは彼を単なる友人としてだけでなく、自分たちの一員としても見なしていたのです。


Q:創世記23章7節に登場するヒッタイト人は、実際に存在したのでしょうか?

A: 現代の考古学者たちは、早くも1892年にヒッタイト人の存在を突き止めました。しかし、10年後(1902年、E.A.W.バッジ)になっても、一部の学者は依然として彼らの存在を疑っていました。今日では、ヒッタイト人について書かれた専門書が数多く出版されています。


Q:創世記23章15~16節で、なぜアブラハムは銀を量らなければならなかったのですか?

A:シェケルはもともと重量の単位であり、貨幣の単位となったのはそれより後のことです。『考古学は旧約聖書を証明できるか?』p.27によると、紀元前800年頃までは硬貨が使用されていなかったため、アブラハムは銀を「量って」支払わなければならなかったのです。 同様に、アカンは「重さ」が50シェケルと200シェケルに相当する金と銀を盗みました。最初に確認されている硬貨は、紀元前700年頃のリュディアで鋳造されたものです。また、ラテン語の「pecunia」(英語の「pecuniary」=金銭的な、の語源)は、家畜を意味するラテン語「pecus」に由来することも指摘されています。


Q:創世記23章15~16節において、交渉の際に「小銭を惜しんで大金を失う」ような過ちを避けるにはどうすればよいでしょうか?

A: イギリスの通貨において、「ペンス(pence)」または「ペニー(penny)」は、アメリカの「ペニー」に相当します。「ポンド」は1米ドルより少し高いですが、つい最近まではほぼ2ドルに相当していました。

この過ちを犯さなかった一例として、私が数年前に勤めていた会社があります。同社は「防御的福利厚生」の導入を決定しました。この用語の意味は、既婚者で、配偶者の誕生日(月日)が自分の誕生日よりも早い場合、配偶者や子供への福利厚生給付を打ち切り、本人だけに給付するというものでした。人事担当者があまり乗り気ではない様子でこれを説明していた社員会議で、私は質問をしました。 「この措置によって、会社はどれくらいの経費削減が見込めるのでしょうか?」と。すると彼女は、「かなりの節約になります。年間で約5万ドルです」と答えました。しかし、この措置が原因で年にたった3~4人でも社員が辞め、その補充に人材紹介会社を利用することになれば、それだけで5万ドル以上かかってしまうという点は、誰も考慮していなかったのではないでしょうか。


Q:創世記23章15~16節において、人間関係においてどのように恵みを示すべきでしょうか?

A:すぐに許す姿勢を持ちつつも、相手に踏みつけられるようなことは避けましょう。単なる感傷ではなく、思いやりと行動をもって愛を表現するのです。


Q:創世記24章1節、25章8節において、なぜ神は御自分の子供たちの一部が老いによって苦しむことを許されるのでしょうか?

A: 天国では老いの苦しみを味わうことはありませんし、天国での永遠の至福は、地上で経験する短い苦難の時間を取るに足らないものに見せてくれるでしょう。答えについては、ヨシュア記13章1節に関する解説をご覧ください。


Q:創世記24章4節において、なぜアブラハムは自分の同族からの妻を強く求めたのでしょうか。

A: カナン人は、乳飲み子を火で生贄に捧げたり、宗教的な売春を行ったりすることを、適切かつ宗教的な行為だと考えていました。一方、ヒッタイト人は異なっていました。彼らはインド・ヨーロッパ系であり、アナトリア(現在のトルコ)にあるヒッタイト帝国の植民地でした。アブラハムがなぜヒッタイト人の嫁を望まなかったのかについては、彼らもまた唯一真の神を信じていなかったという点を除けば、それほど明白ではありません。


Q:創世記24章5~8節において、イサクがアラム[シリア]に戻って暮らすことに、一体何が問題だったのでしょうか?

A:そうすれば、アブラハムが自分の民を離れ、約束の地へ行くという神の約束は、アブラハムの子孫がその約束を放棄してしまったために、すべて無駄になってしまいます。


Q:創世記24章5~8節において、イサクが単に訪問し、自分の妻を選ぶためだけにアラムに戻ることに、どのような問題があったのでしょうか?

A:イサクの血縁関係や富を考えると、親族たちはイサクに留まってほしいと願うでしょう。ラバンがヤコブを14年間も留まらせたのと同じようにです。アブラハムは、イサクが妻のいる場所へ誘われて、永久にそこに住み着いてしまうような事態を、何としても避けたいと考えたはずです。


Q:創世記24章15節において、イサクとリベカの関係はどのようなものでしたか?

A:リベカはアブラハムの甥の娘であり、つまりイサクのいとこの娘にあたります。

イサクとリベカは、レビ記18章がまだ書かれていなかったため、それに背くことはできませんでした。しかし、彼らの結婚は、後にレビ記に定められる規則の範囲内であったことがわかります。


Q:創世記25章1節において、ケトゥラは妻でしたか、それとも側室でしたか?

A: 側室は妻の一種とみなされます。創世記25章1節の記述は、妻でも側室でもあり得ます。


Q:創世記25章2節において、ケトゥラとアブラハムとの間に生まれた息子たちはどうなったのでしょうか?

A: アブラハムとケトゥラの間には、知られている限り6人の息子がいました。

ジムランは、エレミヤ書25章25節に登場するアラビアの部族「ジムリ」の祖先である可能性があります。現在、メッカの西側の紅海沿岸には、ザンブランという町があります。

ヨクシャンについては、彼がシェバとデダンの祖先であったこと以外、それ以降一切言及されていません。シェバはアラビア半島の南西端に位置していた国でした。イザヤ書21章13節に登場するデダン人は、おそらくヨクシャンとハム(クシュを経由して)の両方の血を引くアラブ人であったと考えられます(創世記10章7節、歴代誌上1章9節)。 デダンの町は、テマの南西100マイル(160キロメートル)、エル・ウラ・オアシスに位置し、メディナの北175マイル(280キロメートル)にありました。デダンは、原アラビア語のサバ語やミネイア語の碑文にも言及されています。

メダンは、聖書以外でも言及されている可能性があります。『ワイクリフ聖書辞典』(p.1093)によると、アラビア語では子音の「m」と「b」が頻繁に置き換えられるため、これらはアッシリアのティグラト・ピレセル3世が征服したベダナ族を指している可能性があります。

ミディアンは、『士師記』第8章に登場する、イスラエル人を虐げた有名な部族でした。

イシュバクは、シリア北部に定住した部族の始祖であり、アッシリアのシャルマネセル3世(紀元前858年~824年)の年代記に言及されています。

シュアは、ヨブ記2章11節に登場するシュア人ビルダドの出身部族であったようです。


Q:創世記25章2節において、もしアブラハムとサラの両方が不妊であったとしたら、アブラハムはイサク以降、どうして子供を持つことができたのでしょうか?

A: まず、正解ではない説明から述べ、その後、正解を述べます。

答えではないもの:不妊だったのはサラであり、アブラハムではありません。何しろ、アブラハムにはハガルとの間にイシュマエルという子がいました。これは、ヒッポのアウグスティヌスが著書『神の国』第16巻第28章327ページで示した答えです。

正解:サラは常に不妊でしたが、ローマ人への手紙4章19節およびヘブライ人への手紙11章12節によると、アブラハムが100歳になった頃には、二人とも自然の力では子供をもうけることができなくなっていました。ですから、神がアブラハムに子宝の恵みを与えられた後、神はその恵みを取り去ることはなかったのです。


Q:創世記25章6節において、アブラハムには妻と側室が何人いたのでしょうか?

A:厳密には重要ではありませんが、正確な数は分かりません。サラが亡くなった後、創世記25章1節によると、アブラハムはケトゥラを妻として迎えました。ハガルは彼の側室の一人でしたが、創世記25章6節からは、アブラハムには複数の側室がいたことが示されています。


Q:創世記25章8節、17節および49章33節において、族長たちはどのように「息を引き取った」のでしょうか?

A: これはヘブライ語の「ガヴァ(gâva’)」という言葉を大まかに訳したもので、文字通り「息を吐き出す」または「息を引き取る」という意味です。より正確な訳としては、「最期の息を引き取った」となります。


Q:創世記25章8節、17節および49章33節において、アブラハムとヤコブは「先祖の元に集められた」とありますが、それでは死後の生命などあり得るのでしょうか?

A: これはその人が亡くなったことを意味する表現であり、「この世を去った」という表現よりもずっと聞き心地が良いものです。


Q:創世記25章13節で言及されているケダルは、ムハンマドと関係があるのでしょうか?

A: 創世記25章13節には、イシュマエルの息子ケダルについて言及されていますが、ムハンマドがイシュマエルやケダルの子孫であるかどうかについては疑問が残ります。とはいえ、創世記25章13節でケダルを含むイシュマエルの12人の息子が挙げられているとしても、彼らについて良いことも悪いことも何も述べてはいません。『アル=タバリ』第6巻6ページには、次の3つのことが記録されています:

1) 『アドナン』以降のムハンマドの系譜については、系譜学者たちの間で意見の相違があります(p.37)。

2) すべての系図ではありませんが、多くの系図には、ムハンマド……アドナン……ナブト・ビン・カイドハル[ケダル?]、ビン・イスマーイール[イシュマエル]が含まれています

3) 「こうした相違が生じているのは、これが『最初の書』(旧約聖書)の民から受け継がれた、古くからの学問であるためです。」

したがって、初期のイスラム史家であるアル=タバリが、系図上の名称をユダヤ人や旧約聖書から受け継いだことを認めているのであれば、それは完全に独立した証言とは言えません。


Q:創世記25章22~23節において、リベカの質問は現在と近い将来に関するものでしたが、神の答えは遠い将来について語っていました。なぜ神はそうされるのでしょうか?

A: その答えについて、5つの点を考えてみましょう。

1. 神は、ヤコブとエサウに関するこの預言的な真理を明らかにしたかったようです。

2. 優れた人間の教師と同様に、神は、生徒の質問に対する答えとして提示された方が、その要点がよりよく記憶に残ることをご存知なのです。

3. 神がリベカに質問を促すためだけに、胎内の赤ん坊たちが互いにぶつかり合うようにされたかどうかに関わらず、そのぶつかり合いが実際に彼女に質問を促したのです。

4. おそらくこの時点では、リベカは長期的なことを考えてはいなかったでしょうが、彼女の質問は十分にオープンなものであったため、神の啓示はそれでも彼女の疑問に答えるものとなりました。

5. 私たちが神に何かを求めるときは、単に自分の条件だけで求めるのではなく、「開かれた姿勢」で求めるべきです。また、私たちが予想していなかった、あるいは直接尋ねていなかった真理を、神が示してくださる可能性にも備えておくべきです。


Q:創世記25章31~33節において、ヤコブの長子の権利は、金で買ったものですか、それとも嘘をついて得たものですか?

A: 両方です。

1. ヤコブは、レンズ豆の一皿と引き換えに、エサウからそれを「買い取った」のです(創世記25章29~34節)。

2. その後、ヤコブはイサクを欺き、エサウがすでに放棄することを決めていた長子の権利に伴う祝福を受け取りました。(創世記27章19節)

ヤコブは長子の権利だけを「買い取った」ものの、祝福を得るためには嘘をついたことにご留意ください。

その「買い取り」や「欺き」とは別に、神はご自身の民であるユダヤ人をヤコブを通して導くことをお選びになりました(創世記 25:23-34)。


Q:創世記26章2節において、イスラエル人はエジプトへ下るべきだったのでしょうか、それともそうではなかったのでしょうか?

A: 創世記26章2節では、イサクはエジプトへ下ってはいけないと告げられました。創世記46章3節でエジプトへ行くよう命じられたのは、イサクではなくヤコブでした。同様に、サムエル記第二7章5節、12-13節では、エルサレムに神殿を建てるのはダビデ自身ではなく、その息子であると告げられています。 ここでの教訓は、エジプトに行くことが良いか悪いかということではなく、神が望まれる時に、神が望まれる場所へ行くべきだということです。


Q:創世記26章3~5節、12章1節、17章1節、9~14節、および22章16節において、神はアブラハムの行いのゆえに彼を祝福されたのでしょうか?

A: いいえ。アブラハムにとっても、一般の人々にとっても、ここには「救い」と「祝福」という、明確に区別される二つの問題があります。

救い:アブラハムの行いは、それによって彼が天国に行けるようになるという意味では重要ではありませんでした。しかし、アブラハムの行いは、神への信仰の目に見える表現であり、神への信仰と切り離せないものであるという点で、非常に重要でした。

祝福:行いによって、アブラハムも私たちも、この世では祝福を受け、来世では報いを受けることがよくあります。

ヤコブは、アブラハムが「行いによって義と認められた」例として、アブラハムを挙げています。アブラハムは、イサクを犠牲にしようとした出来事の10年か20年ほど前に、「神を信じ、それが彼の義と認められた」のです。

神の契約には、不変の要素と条件付きの要素の両方が含まれていました。レビ記26章44~45節は、たとえ神の民が条件付きの要素を満たせなかったとしても、不変の要素は依然として有効であることを示しています。


Q:創世記26章6~7節において、イサクはここで嘘をついているにもかかわらず、なぜ私たちの模範となるのでしょうか?

A: いいえ。『創世記』12章10~20節の回答をご覧ください。


Q:創世記26章8~9節に登場するアビメレクは、創世記20章2~3節のゲラルのアビメレクと同一人物でしょうか?

A: 名前から判断すると、おそらく違います。「アビメレク」は「父は王である」という意味です。一方で、父と息子、あるいは子孫が同じ名前を持つ例は数多くあります。他方で、ここではおそらく個人名ではなく称号であると考えられます。『735 Baffling Bible Questions Answered』p.42にもそのように記載されています。

同じ名前を持つ他の統治者としては、紀元前590年から200年にかけてのトビアス1世、2世、3世、4世、5世、紀元前445年から330年にかけてのサンバラト1世、2世、3世、シャルマネセル1世、2世、3世、アンティオコス1世、2世、3世、4世、そしてティグラト・ピレセル1世、2世、3世が挙げられます。


Q:創世記26章33節において、ベエル・シェバという町の名前をつけたのはアブラハムでしょうか、それともイサクでしょうか?

A:創世記21章31節によると、アブラハムの時代には、アブラハムとアビメレクの間の誓いにより、その町はベエル・シェバと呼ばれていました。創世記22章19節にあるように、イサクは父と共にベエル・シェバに住んでいたため、このことを確かに知っていたでしょう。 以前の契約をアビメレク(おそらくアブラハムの時代のアビメレクの息子)に思い出させるため、彼は新しい井戸に似たような名前である「シバ」と名付けました。


Q:創世記26章34節および36章2-3節において、エサウの4人の妻は誰でしたか?

A: 妻1~2:40歳の時、エサウは二人のヒッタイト人、ユディトとエロン(ヘッタイト人)の娘バセマトと結婚しました(創世記26章34~35節)。

ヒッタイト人エロンの娘アダ(創世記36章2節)は、おそらくバセマットの別名であると考えられます。

3人目の妻:ヤコブが去った後、エサウはイシュマエル人のマハラト、すなわちナバヨットの妹と結婚しました(創世記28:8-9)。

イシュマエルの娘であり、ナバヨットの妹であるバセマテ(創世記 36:3)は、おそらくマハラテの別名であると考えられます。

4番目の妻:エサウはアナの娘オホリバマと結婚しました(創世記 36:3)。

ユディトは、子供を産まなかったため、創世記36章の系図にはおそらく記載されていませんでした。


Q:創世記27章において、なぜ神はヤコブがイサクを欺いたことを容認されたとされ、また創世記31章20節ではラバンを騙したことも容認されたのでしょうか?

A: 神はヤコブの嘘を是認されたわけではありません。第一に、聖書は人々がした善い行いだけでなく、悪い行いも正確かつ正直に記録しています。第二に、聖書に登場する神の民でさえ、過ちを犯してきました。『735の不可解な聖書の疑問への答え』43ページにあるように、「神がヤコブを祝福されたのは、彼が嘘をつき、欺きを用いたからではなく、それにもかかわらずだったのです」。


Q:創世記27章において、なぜ祝福は重要だったのでしょうか?

A: 通常、長子が祝福を受け、それは相続分を二倍に受けられること、そして家長となることを意味していました。紀元前15世紀のヌジ出土の粘土板には、ズルリシュタルという名の女性と結婚する権利をめぐって、三人の兄弟の間で争われた訴訟について記されています。ある兄弟が勝訴したのは、父が臨終の床でその結婚を承認したことを証明できたからです。


Q:創世記27章29節で、「主」と訳されているヘブライ語は、文字通りどのような意味ですか?

A: ここでのヘブライ語「ゲビール」(発音:ゲブ・イーア)は、「主人」または「英雄」の2通りの訳が可能です。エサウとその子孫の場合、それは[望ましくない]主人でした。私たちの生活において、もし神があなたが嫌う人をあなたの上位に置かれたとしても、その人を望ましくない主人として扱うか、それとも英雄として扱うかを選ぶことができます。


Q:創世記27章39~40節において、なぜイサクはヤコブを祝福したのと同じようにエサウを祝福することができなかったのでしょうか?

A: 聖書には、イサクがなぜ(その考えが正しいか間違っているかは別として)二人の両方を祝福することはできないという信念を持っていたのかについては記されていません。しかし、ヌジの町で発見された当時の粘土板によると、臨終の遺言は有効かつ取り消し不能とみなされていました。次の質問への回答もご参照ください。


Q:創世記27章39~40節において、なぜ神はヤコブを祝福したのと同じようにエサウを祝福されなかったのでしょうか?

A: それには、互いに補完し合う三つの理由があります。

1. ローマ人への手紙9章10~15節は、神が私たちにその理由を告げることなく、ご自身の御心に従って行われることを示しています。

2. エサウは異教徒(神を信じない者)であり(ヘブライ人への手紙12章16節)、ヤコブは欺く者でした。神が両者を呪われたとしても、それは正当なことでした。それにもかかわらず、両者とも祝福を受けました(ヘブライ人への手紙11章20節)。

3. 神には、ご自身の御心に従って、特定の者だけに特別な憐れみと愛を与える権利があります――パウロに聞いてみてください。


Q:創世記27章42~44節において、ヤコブはエサウから逃れるためにハランの町へ向かったのでしょうか、それとも妻を得るためだったのでしょうか?

A: 両方です。一つの行動には、複数の理由があることがあります。創世記27章42~46節で、リベカはヤコブにエサウから逃れるためにハランへ行くよう言いましたが、創世記27章46節では、イサクに対してその理由は妻を見つけるためだと語りました。また、創世記28章1~6節によると、イサクがヤコブを送り出した理由は、妻を見つけるためでした。


Q:創世記27章45節の「二人」とは、ヤコブとイサクのことを指しているのでしょうか、それともヤコブとエサウのことを指しているのでしょうか?

A: 言語的にはどちらの可能性もあります。しかし、イサクは死の床にありましたし、その直後にエサウがヤコブを殺そうとしていたこと、またエサウに対する脅威はなかったことから、エサウではなくイサクのことを指していたと考えられます。残念ながら、リベカは「3人のうち2人」ではなく、愛する「二人」のことを考えていたのかもしれません。


Q:創世記27章46節において、エサウの妻たちはヒッタイト人でしたか、それともカナン人でしたか?

A: ある人がテキサス州民であると同時にアメリカ人であることは可能でしょうか? カナンにいたヒッタイト人は、カナンに住む諸民族の一つでした。


Q:創世記28章において、リベカとヤコブは望みを叶えることに成功したのでしょうか?

A: 表面的には「はい」ですが、実際には「いいえ」です。彼女たちはヤコブに長子の権利を譲りたかったのですが、嘘や欺瞞という不正な手段によってそれを手に入れたため、その点では成功したと言えます。

しかし、長子の権利を持つ息子は、通常、その後家族の中で尊敬される立場にありました。それにもかかわらず、ヤコブは命からがら逃げ出さなければなりませんでした。リベカは、お気に入りの息子を助けることに成功しましたが、この世でヤコブに再び会うことは決してありませんでした。『聖書の女性たち』が指摘しているように、リベカは、自分が不当な扱いをしてしまった息子と、残りの生涯を共に過ごさなければならなかったのです。


Q:創世記28章12節の「その上/彼の上」という表現は曖昧でしょうか?

A: そうではありません。「その上」という表現は、一部のラビによって「彼の上」と解釈されていました。つまり、天の天使たちが梯子(または階段)の上を昇り降りしていたのか、あるいはヤコブ自身の上を昇り降りしていたのか、という解釈です。この点が取り上げられるのは、ヨハネによる福音書1章51節で、イエスがナタナエルに対し、「人の子[イエス]の上を、神の天使たちが昇り降りするのを見るだろう」と語ったからです。

「on it」を支持する理由:この比喩は理にかなっています。梯子(または階段)が存在し、夢の中のヤコブが、多くの天使たちがそれぞれの務めをこなしているのを見ているからです。比喩的に言えば、イエスは神の祝福が地上に降りてくるための梯子であり、私たちが天国へと導かれるための梯子でもあります。

「彼の上」という解釈に反対する点として、天使たちははしごにたどり着くためにヤコブを踏みつけているのでしょうか? 天使たちは天国へ行くためにヤコブを踏み台にしているのでしょうか? それでは、はしごや階段は何のためにあるのでしょうか? イエスはヤコブの子孫ですが、しばしば人々を騙したヤコブよりも、イエスの方がはしごに似ていると言えます。


Q:創世記29章15~25節において、ラバンはヤコブを欺き、嘘をついたにもかかわらず、なぜ聖書の中で彼を称賛すべきなのでしょうか?

A: 誰がラバンを称賛すべきだと言ったのでしょうか?称賛すべきではありません。この質問は、聖書が神の民についてのみを、周囲の文脈を無視して語ることができると前提しており、彼らが関わらざるを得なかった他の人々については言及できないかのように思わせます。もちろん、聖書は善人だけでなく悪人についても語っています。さらに、聖書は、善人であっても常に善人であったわけではないことを私たちに示しています。

ここで、ある例えが参考になるかもしれません。「アメリカの英雄を称賛することはできない。例えば、エイブラハム・リンカーンを射殺したジョン・ウィルクス・ブースを見てごらんなさい」と言う人もいるでしょう。確かに、ジョン・ウィルクス・ブースがアメリカの歴史において重要な役割を果たしたことは聖書から読み取れますが、彼はアメリカの英雄ではありませんでした。

ラバンもイスラエルの歴史において一定の役割を果たしましたが、彼もまた英雄ではありませんでした。ブースを例に挙げるのは少し馬鹿げているように思えるかもしれません。というのも、誰もブースを英雄として尊敬していないからです。しかし、聖書の中で私たちが尊敬すべき人々を批判するためにラバンの話を持ち出すこと(実際に無神論者がそうしたように)も、やはり場違いに思えます。


Q:創世記29章21~30節において、ラケルはいつヤコブに嫁がされたのでしょうか?

A:ヤコブは7年間働き、レアを妻として迎え、1週間待った後、さらに7年間働くという約束と引き換えに、その時点でラケルが与えられました。


Q:創世記29章28節において、レビ記18章18節では「二人の姉妹が生きている間は、姉妹同士で結婚してはならない」と禁じられているにもかかわらず、なぜヤコブは二人の姉妹と結婚したのでしょうか?

A:レビ記18章18節はモーセの律法の一部ですが、この律法が与えられたのは、ヤコブが妻たちと結婚してから400年以上も後のことでした。確かに、ヤコブが聞いたこともなく、神もまだ命じていなかった律法に従うよう、彼に要求することはできませんでした。


Q:創世記29章31節において、なぜ神は、単にラケルを不妊にするのではなく、ヤコブにレアも愛するようにと告げなかったのでしょうか?

A: 時には、人は苦い経験を通してしか教訓を学べないことがあります。私たちもそれと同じではないでしょうか?


Q:創世記30章14~15節で、マンドレイクを使うというのは、迷信のように聞こえませんか?

A: 民間療法の多くは効果がありません。その後、ラケルが長い間子を授からなかったことは、マンドレイクが神がラケルの胎を開かれたこととは何の関係もなかったことをはっきりと示しています。この箇所は、信者であっても過ちを犯し、愚かな治療法に希望を託してしまうことがあることを示しています。


Q:創世記30章27節において、ラバンはどのようにして占いを用いてヤコブのことを知り得たのでしょうか。

A: ここでラバンが真実を語っていたと仮定すれば、占いで正しい答えが得られることもあるでしょう。しかし、たとえ占いが真実と誤りが混ざったものではなく、すべて真実を告げるものであったとしても、信者はラバンの例に従うべきではありません。なぜなら、神は申命記18章10節、14節で、占いを用いてはならないと命じられているからです。ちなみに、創世記31章1-2節、9節では、ラバンの占いは彼が望んだ結果をもたらしませんでした。


Q:創世記30章37~43節で、ヤコブが羊や山羊に「斑点」をつけるように「仕向けた」という記述は、迷信のように聞こえませんか?

A: そこには迷信の兆候は一切なく、単に動物の遺伝学に関する誤った考えがあるだけです。神はこれを顧みることなくヤコブを祝福されました。ヤコブ自身も創世記31章7~13節でそのことを知っていました。


Q:創世記31章23節および37章25節において、民数記26章29節にはマナセがギレアデの祖父であると記されていますが、ギレアデという名称は時代錯誤ではないでしょうか?

A: 全くそうではありません。まず、この回答とは関係のない点を述べ、その後で回答を述べます。

回答とは関係のない点:ギレアデという名前は、当時、比較的よく見られた名前でした。ギレアデはマナセの子孫であっただけでなく(民数記26章29-30節およびヨシュア記17章1節)、別のギレアデはエフタの父であり(士師記11章1節)、さらに別のギレアデはガド族の出身でした(歴代誌上5章14節)。

答えは、「ギレアデ」という言葉が、その文書が書かれた時代を示しているということです。ヤコブやヨセフがその地域をギレアデとは呼ばなかったでしょうが、創世記がヤコブやヨセフの時代に書かれたと主張する人は誰もいません。むしろ、創世記はモーセの時代に書かれたのです。ヨルダン川東岸の2つ半の部族は、モーセが亡くなる前にすでに自分たちの土地を受け取る予定でした。

時代錯誤とは、ある時期に書かれたと主張する文書が、それより後の時代にしか使われない言葉や用語を用いている場合を指します。執筆当時の言葉を用いて、それ以前の時代を記述することは、時代錯誤には当たりません。 例えば、20世紀の人が「ギレアデ地方はヨルダンという国にあった」と言ったとしても、それは時代錯誤ではありません。ヤコブ、ヨセフ、モーセは現代のヨルダンという国を知りませんでしたが、そもそも、彼らがそれを知っていたと主張する人は誰もいません。


Q:創世記31章32節、34節において、聖書は(いわゆる)ラケルが父親から偶像を盗んだことをどうして容認しているのでしょうか?

A: 聖書はラケルの窃盗を是認しているわけではありません。家神は宗教的な意味合いを持っていただけでなく、ヌジの町で発見されたモーセの時代に書かれた粘土板によると、それらを所有することは相続権を意味していたのです。

『聖書の難解な言葉』(p.130-131)にはヌジの粘土板の本文が掲載されていますが、そこでは、ラケルがこれらの偶像に対して抱いていた宗教的な愛着も関係していた可能性があると指摘されています。

レイチェルの意地悪な態度に共感する人もいるかもしれませんが、聖書はこれを容認しているわけではなく、単に記録しているに過ぎません。創世記35章17~19節によると、レイチェルは神像を持ち去ってからわずか数年後に難産で亡くなりました。ですから、それらの家神は彼女にとって決して良い結果をもたらさなかったことは確かです。聖書は完璧なスーパーヒーローたちについて書かれた本ではなく、私たちと同じように多くの欠点を持っていた、ごく現実的な人々について書かれた本なのです。


Q:創世記31章47節についてですが、創世記は比較的早い時期に書かれたとされています。それなのに、なぜこの節には2つのアラム語の単語が含まれているのでしょうか?

A: これは、早い時期からアラム語がヘブライ語と並存していたことを示しています。覚えておいてください、アラム人はラバンが住んでいたシリアに住んでいました。ヤコブの妻たちもそこ出身でした。あるいは、これらは初期のヘブライ語でも一般的に使われていた言葉である可能性もあります。


Q:創世記32章1-2節および33章において、神はどのようにして私たちを争いに備えさせてくださるのでしょうか?

A: 重要なのは、争いに対する力だけでなく、忍耐力でもあります。私たちは少なくとも三つの方法で強められることができます。

1) 何に目を向けるべきか、目の前にある目標、そして前進し続ける力を与えてくれる愛について、改めて思い起こす必要があります。

2) 神は、私たちに新しい霊的賜物を与えたり、すでに持っている霊的賜物を深めたりすることで、私たちを強めてくださいます。新しいスキルを学んだり、新たに発見した能力を磨いたりする必要があるかもしれません。

3) しかし、逆説的なことに、創世記32章では、神はヤコブを弱められました。股関節を脱臼させることで、ヤコブがエサウに肉体的に抵抗する可能性はさらに低くなりました。神は、私たちが神に仕える上で、必要のない、重荷となっている余計なものを手放せるよう助けてくださる必要があります。時には、何かがそれ自体悪いものではなくても、神の代わりにそれに過度に頼ってしまう場合、神は私たちがそれなしに神に仕えることを望まれるかもしれません。


Q:創世記32章1~6節において、ヤコブがエサウに使者を送った二つの目的は何だったと思いますか?

A: 神がヤコブに天使の使者をお遣わしになったように、おそらくヤコブはそこからヒントを得て、エサウに使者を送ることを思いついたのでしょう。ヤコブとエサウが最後に会ってから20年が経っていました。ヤコブはどのような迎えを受けることになるのでしょうか。一方でヤコブはそのことを知るのを恐れていましたが、他方で、この問題から逃げ出して、ラバンのもとで永遠に過ごすようなことはしたくないと分かっていたのです。 なお、ヤコブはエサウに対して「あなたの兄弟」とは呼ばず、「あなたのしもべ」と呼んでいる点にご注目ください。


Q:創世記32章6~7節において、エサウが400人の兵を率いてヤコブと会うことを決めた理由は、どのようなものが考えられるでしょうか。

A: まず第一に、なぜエサウは400人の兵を率いていたのでしょうか。エサウはおそらくかなりの富を蓄えていたため、その地に暮らしていたホリ人々と戦うために、その軍勢が必要だったのかもしれません。

この時、エサウは以前誓った通り、ヤコブを殺すためにやって来たのかもしれません。あるいは、エサウは自分がどうするかまだ決めていなかったものの、あらゆる選択肢を残しておくために十分な数の戦士を連れてきたのかもしれません。いずれにせよ、エサウは自分が主導権を握っていることを明確に示したかったのです。もし彼がヤコブを脅かすつもりだったのなら、その目的は達成されました。ヤコブは恐怖のあまり身が固まってしまったのです。


Q:創世記32章6~7節で、ヤコブの妻たちはカナンやヤコブに対して、どのような第一印象を持ったと思いますか?

A: ヤコブがラバンとのトラブルからかろうじて逃れたことを思い出してください。ラバンが最初にレアをヤコブに嫁がせたことを考えると、ラケルとラバンの関係がどれほど親密で信頼し合っていたのか、疑問に思うかもしれません。ですから、ラケルにとっては、ラバンと距離を置けたことに安堵したのかもしれません。その土地は以前と似ていましたが、ヤコブがうまくやっていかなければならないカナン人の要塞化された町が数多くあった点が異なっていました。


Q:創世記32章7~23節において、ヤコブが同時に試みた3つの戦略は何だったでしょうか。

A: まず、ヤコブはエサウに多額の贈り物を贈って、道を開こうとしました。次に、ヤコブは家族をいくつかのグループに分けました。もし一つのグループが襲われて殺されても、他のグループは散らばって逃げられるかもしれないと考えたのです。 最後に、ヤコブは最後尾を行くことに決めました。この時、ヤコブは本当に絶望的な気持ちにあり、自分一人きりだと感じていました。しかし、『信者のための聖書注解』(p.68)にあるように、「人間的な安全策によって、私たちはしばしば、力強い祈りの生活から自分自身を守ってしまいます。なぜ私たちは、自分自身にこのような過ちを犯すのでしょうか?」


Q:創世記32章22~32節において、ヤコブはここでイスラエルと改名されたのでしょうか、それとも創世記35章9~10節で改名されたのでしょうか?(あるリベラル派のキリスト教徒が、創世記は複数の著者によって書かれたという証拠としてこの点を挙げていました。)

A: 創世記32章22節から32節は極めて詳細に記述されており、ヤコブが神と格闘し、神によって「イスラエル」と改名される様子が語られています。創世記35章はヤコブの一生の要約であり、35章9節から10節の2節において、ヤコブが改名されたことが言及されています。これは、創世記32章の物語がいつ起こったのかを位置づけるためのものです。 確かに、この2節は重複していますが、これは物語の展開に役立つものであり、うっかり同じ内容を二度書き込んだわけではありません。今日、人々が文章を書く際、本文で述べたことを結論で繰り返すことはよくありますが、だからといって、その文章の異なる部分が複数の著者によって書かれたということにはなりません。


Q:創世記32章27~28節において、なぜヤコブはイスラエルと改名されたのでしょうか?

A: 聖書には明記されていませんが、二つの可能性があり、その両方が真実であるかもしれません。

改名という行為は、神が彼らの人生全体、さらには名前までも支配しておられること、そして神のおかげで彼らが別の人物となり、異なる運命を歩むようになったことを示していました。おそらく、私たちが天国にたどり着いた時には、アブラム、シモン、タルソスのサウロ――いや、むしろアブラハム、ペテロ、パウロに、このことについて直接尋ねることができるでしょう。

当時、名前には大きな意味がありました。「イスラエル」とは、どうやら「神は忍耐される」あるいは「彼は神と共に忍耐する」という意味であり、「あなたは神と格闘した」という言葉と関連しているようです。


Q:創世記32章24節、27節で、ヤコブはある人物と格闘しましたが、その人物は天使、あるいは神であることが判明しました。では、神は天使なのでしょうか、それとも人間なのでしょうか?

A: 神は燃える荊の茂みとしてさえ現れることができますが、だからといって神が植物になるわけではありません。神は至る所に存在しつつも、御自身の望まれるものとして、特定の場所に現れることもできるのです。

アレクサンドリアのクレメンス(西暦193-217/220年)は、次のように考えていました。「また、彼[イエス]がご自身として語られるとき、ご自身が『導き手』であることを告白されます。『わたしは、あなたをエジプトの地から導き出した、あなたの神、主である』…… そして、主はヤコブの導き手として、最も明白に現れます。それゆえ、主は彼にこう言われます。『見よ、わたしはあなたと共にいる。あなたが歩むすべての道において、あなたを守り、この地へ連れ戻そう。わたしがあなたに告げたことを成し遂げるまで、あなたを見捨てはしない。』 また、ヤコブは彼と格闘したと伝えられています。「そして、ヤコブは一人残され、ある人(導き主)が朝まで彼と格闘しました。」この人は、悪に立ち向かうアスリートであるヤコブを導き、連れ戻し、格闘し、そして油を注いだ方でした。」『導き主』第1巻第7章223ページ


Q:創世記32章24節から32節において、ヤコブは文字通りの天使と格闘していたのでしょうか、それとも単に何らかの問題と格闘していたのでしょうか?

A: これが実在する天使ではなかったと、聖書に付け加えることができるような示唆は、どこにもありません。

1. 聖書を文字通りに受け止めることこそが、聖書を解釈する上で唯一誠実な方法です

2. 聖書を文字通りに受け止めることは、硬直的で具体的な文字通りの解釈を強いることではありません

3. 聖書を文字通りに受け止めるということは、その書物が書かれた通りの形で解釈することを意味します。

ユダヤ人のヨセフスやフィロは、ヤコブの格闘を夢として解釈しましたが、夢によって股関節が永久に脱臼したままになることはありません。


Q:創世記32章24~30節において、あるイスラム教徒が指摘したように、キリスト教の「アッラー(神)」は、ヤコブと一晩中格闘しなければならないほど弱い存在なのでしょうか?

A: まず第一に、格闘したのは神ご自身ではなく、神の天使(ヤコブはそれを「人」と呼びました)でした。ヤコブは神と顔を合わせて会ったと言いましたが、実際には天使を通してのみ神と出会ったのです。とはいえ、神はこの天使を遣わされましたが、その天使にはヤコブを打ちのめす力がありました。

もし父親が、意志の強い2歳の子供と格闘し、時にはその子供に勝たせてあげたとしても、だからといってその父親が弱いということにはなりません。同様に、神の意図は、ヤコブの頑固さと対峙することであり、ヤコブとその粘り強さを打ち砕くことではありませんでした。神はヤコブを殺そうとしたのではなく、ヤコブに自分が何者であるかを理解させたかったのです。

もし、あなたの体が今と全く同じで、ただ1,000倍も強くなっていたとしたら、どれほど素晴らしいことか想像してみてください。 スポーツで抜群の才能を発揮し、壁を突き破り、とてつもなく速く走れるでしょう。しかし、花を摘もうとするたびに花を押しつぶし、小さな子供の手を握るたびにその手を折ってしまい、配偶者を抱きしめるたびに彼女は病院行きになってしまうでしょう。結局のところ、単に筋肉が1,000倍強くなるだけでは、それほど良いことではないのかもしれません。

神は全能ですが、神には優しさと繊細さもあります。 神は私たちよりも無限に力強いですが、ご自身の力に対する制御力は、私たちが自分の力に対して持つものよりもはるかに優れています。ゼファニヤ書3章17節には、全能者がいかに優しくおられるかという例が記されています。「あなたの神、主はあなたのただ中にいます。主は救う力をお持ちです。主は喜びをもってあなたを喜ばれ、愛をもってあなたを静め、歌をもってあなたを喜ばれます。」

列王記上19章11~13節で、神はエリヤに、主の臨在を体験することになると告げられました。それは、その後起こった激しい風や地震、あるいは火の中ではなく、静かで小さな声の中にありました。

つまり、要約すると、クリスチャンが礼拝するのは、全能者であることに変わりはないものの、同時に優しい神なのです。


Q:創世記32章30節において、出エジプト記33章20節には「神の御顔を見て生き残る者はいない」とありますが、人は神の御顔を見ることができるのでしょうか?

A: ヤコブが見たのは天使の姿でした。彼は最初、それが人間だと思い込みましたが、決して神の栄光を直視したわけではありません。


Q:創世記32章26節において、ヤコブはなぜそれほどまでに神の祝福を受けることに執着していたと思いますか?

A: ヤコブは、さらなる富や安全、あるいはエサウが自分に好意を持ってくれることを求めることもできたでしょう。しかし、ヤコブはそれらのことを直接には求めませんでした。ただ、神に自分を祝福してくださるよう願ったのです。ヤコブは、神がエサウとの遭遇を回避させてくれることを期待していたのではなく、エサウと生きたまま対面し、その試練を乗り越えられるよう、神に祝福していただきたいと願っていたのです。


Q:創世記33章および36章7節において、エサウとヤコブが別れたのは、持ち物があまりにも多かったからでしょうか、それともヤコブがエサウを恐れていたからでしょうか?

A: 両方です。


Q:創世記33章18~19節およびヨシュア記24章32節において、ヤコブがシェケムの土地を購入したのでしょうか、それとも使徒行伝7章15~16節や創世記23章16~20節にあるように、アブラハムが購入したのでしょうか?

A: 創世記23章16~20節では、アブラハムがヘブロン近郊のマムレにある土地をサラのために購入しましたが、それは同じ場所ではありません。シェケムで購入された土地については、3つの答えが考えられます。

ヤコブとアブラハムが購入した:ヨシュア記24章32節と創世記33章18-19節の両方において、アブラハムの孫であるヤコブがシェケム近郊の土地を購入した人物であると記されています。アブラハムが、イサクに遺した金を使って土地の購入に立ち会ったかどうかに関わらず、アブラハムの氏族がその土地を購入したと言えるでしょう。 今日でも、10代の若者が父親の同意を得て、父親の名義で車を購入することは可能です。

ステパノは誤解していた可能性があります。ヤコブは息子たちが埋葬された土地を購入しましたが、ヤコブ自身はマムレでアブラハムと共に埋葬されたため、ステパノは誤ってこれら二つの別々の出来事を混同してしまったのかもしれません。たとえステパノが誤解していたとしても、聖書は依然として誤りのないものです。聖書は、間違いも含めて、ステパノの発言を単に、誤りのない形で記録しているに過ぎません。

再埋葬:彼らがその地に恒久的に定住すると、アブラハム、サラ、イサク、リベカを、全員が一緒に眠れるように再埋葬することを決めました。


Q:創世記33章18~19節において、シェケムの町について他にどのようなことが分かりますか?

A:アブラハムの時代には、その町は廃墟となっていましたが、町の場所は知られていました。アブラハムは町そのものを購入したのではなく、シェケム近郊の土地を購入したのです。

シェケムは、要塞化が可能な丘の上にあり、優れた泉があったため、常に再建が繰り返されていました。シェケムは紀元前1900年頃に再建されましたが、ファラオ・セヌセルト3世(紀元前1880年頃~1840年頃)によって占領されました。 シェケムは紀元前1750年頃に再び破壊されました。再建されましたが、紀元前1550年頃、エジプト人によって再び破壊されました。その後、アマルナ文書(紀元前1400~1370年)の時代に再建され、同文書では、この地が「ハビル」の侵略者たちと同盟を結んでいたラバユ王の中心地として言及されています。 その後、再建されましたが、紀元前723年にアラム人、イスラエルのメナヘム王、そしてアッシリア人によって破壊されました。


Q:創世記34章13~17節において、神は(伝えられるところによれば)ディナについて欺瞞的な返答をしたヤコブの息子たちを、どうして容認されたのでしょうか?

A: 神はそれを容認されたわけではなく、シェケムの住民たちを殺害したヤコブの二人の息子は、その行為のために呪われました。


Q:創世記34章25~30節において、シメオンとレビの二人だけで、どうして都市全体を滅ぼすことができたのでしょうか?

A: 彼らは襲撃を指揮しましたが、その指揮下には他の使用人や雇われた兵士、あるいは親族たちがいました。


Q:創世記35章1~5節において、ここでの出来事の順序はどのようなものでしたか?

A: 順序は以下の通りです。

1. ヤコブは、遊牧民の集団の中に異国の偶像が混在することを、どうやら大目に見ていたようです。

2. 神はヤコブに、ベテルに住み、神のために祭壇を築くよう命じられました。

3. ヤコブは、神に祭壇を築くのであれば、自分たちの間に偶像があってはならないと正しく見抜きました。

4. 彼らが主に対して完全に献身した以上、周囲の民を恐れる必要はなくなりました。


Q:創世記35章21節において、ヤコブの息子たちは全員ミグダル・エベルで生まれたのでしょうか、それとも創世記の他の箇所にあるように、それ以前に生まれたのでしょうか?(あるリベラル派のキリスト教徒が、これを矛盾として指摘しました。)

A: 創世記35章21~26節には、ヤコブの息子たちが全員ミグダル・エベルで生まれたとは書かれていません。特に、創世記35章19~20節によると、二人の息子の母であるラケルは、彼らがそこへ移住する直前に亡くなっていたからです。創世記35章21~26節は、イスラエル(=ヤコブ)がミグダル・エベルの向こう側に天幕を張ったという記述に続いて、単に息子たちの名前を列挙しているに過ぎません。


Q:創世記36章では、なぜエサウの子孫がこれほど詳細に列挙されているのでしょうか?

A: 確かに、これは聖書の中で最も重要な章ではありません。個々の名前自体は重要ではありませんが、ここから6つのことを学ぶことができます。

1. これは、聖書が歴史的な正確性を主張しており、歴史的な細部にも注意を払っていることを示しています。

2. エサウの子孫(エドム人)とイスラエル人は、互いに親しい関係にありました。『ヨブ記』において、エリファズはテマン人であり、創世記36章11節、15節、42節および歴代誌上1章45節に記されているテマンの子孫でした。その後、エレミヤ書49章7節、20節では、テマンがエドムの同義語として詩的に用いられています。

3. この二つの関連する民族は、別々の存在ではありましたが、少なくとも当時は互いに非常に友好的な関係にありました。その後、アモス書1章9~11節では、エドム人が破った「兄弟の契約」について言及されています。これは正式な契約ではなく、創世記33章4~16節の時代から続く非公式な関係でした。

4. エドム人は基本的に、創世記36章20~29節に記されているように、すでにその地に居住していたホリ人と融合しました。この融合は、おそらくシェケム人がイスラエル人に提案したものと同様のものだったと考えられます。数世紀後、実際にミタンニ、あるいはフルリ人とも呼ばれる、二つの民族が融合した強力な中東の国家が存在しました。この連合において支配的なグループはフルリ人であり、彼らはどうやらインド出身であったようです。

5. カナンの地がイスラエル人に与えられた際、エドム人はエドムとセイル山を所有していました。神は、申命記2章5節において、セイル山をエサウの子孫に与えられたと述べられています。

6. エサウの子孫の数に加え、ホリ人との同化、そして早期からの統治の開始といったことから、エドム民族は急速に勢力を拡大しており、将来的に強力なライバルとなる可能性があったことが示されていました。

以下に、エドムとイスラエルの間の戦いを挙げます。

サムエル記上 14:47 彼らはサウル王の時代に戦いました

列王記上 11:14-22 ハダド率いるエドム人は、ソロモンの時代に戦いました

歴代誌第二 20:1-23 エドム人は同盟を結び、ヨシャファトの時代に戦いました

列王記下 8:21 ヨラムの時代にエドム人が戦いました

歴代誌第二 28:17 アハズ王の時代に、エドム人が戦いました

詩篇 137:7;哀歌 4:21-22;オバデヤ書 10-14 エドム人は、ユダに対してバビロニア人を支援しました。

マラキ書 1:2-5 紀元前433年頃、捕囚からの帰還後も、エドム人は依然として敵でした。

エゼキエル書25:12-17によると、エルサレムの陥落後、エドム人は逃亡するユダヤ人を殺害し、略奪するために交差点で待ち伏せていました。


Q:創世記36章2節において、ジベオンはヒビ人の町だったのでしょうか、それとも創世記36章20節にあるようにホリ人の町だったのでしょうか?

A: 2つの可能性があります:

誤記:多くの学者は、ヘブライ語でヒビ人は h[i]wwt、ホリ人は h[o]rrt と発音されるため、これはマソラ本文における誤記であると推測しています。セプトゥアギンタ訳では、創世記34章2節およびヨシュア記9章7節に「ホリ人」と記されています。

一つの集団、あるいは二つの集団が融合した結果としての二つの名称:ホリ人(フルリ人)も、フルリ人の個人名から明らかなように、ヒビ人が住んでいたパレスチナの地域に定住していました。紀元前14世紀のエルサレムの王子でさえ、アブディ・ヘパというフルリ系の名前を持っていました。


Q:創世記36章31節にある「イスラエル人に王が治めるようになる以前」という表現は、その記述がサウル王の時代、あるいはそれ以降に書かれたことを示しているのでしょうか?

A: いいえ。モーセは、イスラエルに王が立つことを知っていた(申命記17:14-15)だけでなく、創世記49:10にあるヤコブの預言により、ヤコブの時代までさかのぼるすべてのイスラエル人は、イスラエルにユダ族出身の王が現れることを知っていたはずです。


Q:創世記37章1~11節において、ヨセフが家族との関係を悪化させるきっかけとなったのは何でしょうか。ヨセフはそれを自覚していたと思いますか。

A: 5つの要因がありました。

1. 創世記37章2節で、兄弟たちを密告したこと

2. 創世記37章3節にある、ヤコブが他の兄弟たちよりもヨセフを愛していたこと。

3. 創世記37章3~4節にある、ヤコブがヨセフには装飾の施された上着を与えたが、他の兄弟たちには与えなかったこと。

4. 創世記37章5~8節で、ヨセフが夢を見たこと自体ではなく、穀物の束に関する夢を兄弟たちに話したこと。

5. 創世記37章9~11節で、ヨセフが兄弟たちや父に、太陽と月、そして11の星が自分にひれ伏すという別の夢を語ったこと。

17歳の少年ヨセフは、自分の言葉が他の人々にどう受け取られるかについて、まったく気づいていないようでした。はるかに年上のヤコブもまた、兄弟間の嫉妬を煽っているかもしれないことについて、どうやら考えたことがなかったようです。ヤコブなら、そのことについて何か知っているはずだと、人は思うでしょう。どうやら、ヤコブは「お気に入りを作る」という「悪い教訓」は学んだものの、「お気に入りを作ることは悪い結果を招く」という「良い教訓」は学んでいなかったようです。


Q:創世記37章1~11節において、ヨセフの兄弟たちは、実際にはなぜ彼を憎んだのでしょうか?

A:ヨセフの兄弟たちは、おそらく彼の夢は彼自身の思い込みに過ぎないと考えていたのでしょう。父親がヨセフ(そして母親のラケル)をより愛していたため、ヨセフが傲慢で自己中心的だと感じるのは容易なことでしょう。


Q:創世記37章1~11節において、今日の人々はどのような行動をとることで、他者との関係を悪化させているのでしょうか?

A:高慢、嫉妬、あるいは悪意から、他人を支配しようとしたり、自慢したり、中傷したり、噂話をしたりすることがあります。共感の欠如から、他人の気持ちに無神経になることもあります。不安から、陰で他人を裏切ることもあります。時には意図的にそうした行動をとることもあれば、自分がそのようなことをしていることに自覚がない場合もあります。私たちには、生まれつき自己中心的な心があるのです。

隣人を自分自身のように愛し、その愛を継続していくためには、イエス様が必要です。


Q:創世記37章3節、23節、32節に登場する「色とりどりの上着」について、聖書以外の証拠はありますか?

A: はい、ありますが、それはヨセフの実際のローブではありません。考古学者たちは、クヌムホテプという名のエジプトの貴族の墓の壁面に、色とりどりのローブをまとった「アジア人」が描かれているのを発見しました。写真や詳細については、『ファラオと王たち:聖書への探求』p.332,360をご参照ください。


Q:創世記37章17節について、人を井戸に投げ込んで「消え去らせる」という行為に関する、聖書以外の証拠はありますか?

A: はい。『考古学は旧約聖書を証明できるか?』p.29によると、ドタン(シェケムの北13マイル)で、数体の骸骨が入った貯水池が発見されたとあります。ちなみに、ヨセフの兄弟たちはドタンの近くにおりました。


Q:創世記37章17節についてですが、もしヨセフの兄弟たちに、なぜ彼を殺そうとしたのかと尋ねたとしたら、彼らは何と言うでしょうか?

A: ヨセフが彼らをトラブルに巻き込んだからです(ヤコブはヨセフを遣わして、兄弟たちのことを告げ口させたのです)。ヨセフはヤコブに兄弟たちについて悪い(ラア)報告をしたため、兄弟たちはヤコブに、悪い(ラア)獣がヨセフを食べてしまったと報告するつもりだったのです。

彼らはヨセフを「夢見がちな者」と呼びました。

自分たちの利益を優先したため、また、父がヨセフをより愛していることへの嫉妬からです。もしその夢が神からのものだったとしたら(結局そうであることが証明されましたが)、神でさえもヨセフをより好んでいたことになります。

シェケムは、ヤコブがいたヘブロンの北約50マイルの場所にありました。ドタンはそこからさらに北へ約13マイルの場所でした。ですから、彼らはおそらくヤコブからあまりにも遠く離れていたため、何が起きたかをヤコブに伝える者などいなかったでしょう。

皮肉なことに、ヤコブは若い頃、衣服を使って自分の父イサクを欺き、エサウになりすましたことがありました。ところが今、その衣服が、彼自身の息子たちによって、彼を欺くために使われることになったのです。


Q:創世記37章17節において、ヨセフの兄弟たちは彼を殺すつもりだったのでしょうか、それとも創世記37章28~29節にあるように、ミディアン人の商人たちにヨセフを売ることに決めたのでしょうか?

A: どちらも正しいと言えます。なぜなら、人は計画を変えることがあるからです。当初、彼らはヨセフを殺すつもりでしたが、ルベンは彼を救い出そうと考えていました。しかし、ミディアン人の商人を見たとき、彼らはヨセフを通じて金を得られると考え、計画を変えたのです。当然のことながら、ヨセフにはこの件について恨みを抱く「権利」があると思われるかもしれません。しかし、ヨセフは神に従い、困難な状況も彼を恨み深くさせることはなく、むしろ彼をより良い人間へと成長させたのです。


Q:創世記37章25節に登場する商人たちは、イシュマエル人だったのでしょうか、それとも創世記37章28節にあるようにミディアン人だったのでしょうか?

A: 遠くからでは、兄弟たちはどの民族が近づいてきているのか、あるいは両方が混ざっているのか見分けることができませんでした。しかし、兄弟たちにとってはそれは問題ではありませんでした。彼らはただ金を得たかったのです。「イシュマエル人」という語も「ミディアン人」という語も、写本時の誤記である可能性があります。あるいは、兄弟たちは彼らがイシュマエル人だと思っていたものの、実際にはミディアン人だったのかもしれません。


Q:創世記37章28節にある20シェケルという銀の額は、ヨセフのような奴隷の適正な価格だったのでしょうか?

A: はい。『古代オリエントと旧約聖書入門』(K.A.キッチン著、52~53ページ)によると、これは紀元前1800年頃の適正な価格です。数世紀前には10~15シェケル、モーセの時代には30シェケルであり、その後さらに高くなりました。 ホセア書3章2節では、奴隷の価値は約30シェケルとされています。奴隷の価格の推移を示すグラフについては、『Biblical Archaeology Review』第21巻第2号、53ページをご参照ください。


Q:創世記37章28節において、なぜ神はヨセフのために状況を楽にしてくださらなかったのでしょうか?

A: 神は、ヨセフの状況をはるかに楽にすることもできたはずです。神はヨセフにあの夢を与えないこともできたし、ヨセフに兄弟たちを救わせ、そうして兄弟たちがヨセフに感謝するようにすることもできたのです。神は、大飢饉が起きた際にヨセフを用いて家族を救われましたが、飢饉から彼らを救うために、神は他の方法をとられた可能性もあったのです。

神様がご自身の御心を成し遂げるために、なぜそのような手段を選ばれたのか、私たちにはわかりません。しかし、ヨセフを慰めることが神様の第一の目的ではなかったことはわかります。神様は、ヨセフがこの世で過ごした時間を利用して、ヨセフと彼の兄弟たちの人生において、あることを成し遂げられたのです。


Q:創世記38章1~21節にある、ユダとタマルのこの物語は、なぜ聖書に記されているのでしょうか?

A: 1(それほど悪くない)から10(最悪)までの尺度で、性的不品行を10とすると、ある女性が一生をかけて頼りにしていた約束を、意図的に決して守ろうとしない行為を、あなたは何と呼びますか?――それは間違いなく1以上です。この出来事から、少なくとも三つのことを学ぶことができます。

1. ユダや他の族長たちが他の人々よりも義にかなっていたと誤解しないよう、この物語や他の記述は、彼らが特に義にかなっていたわけではないという現実を私たちに思い起こさせてくれます。

2. 聖書は、当時の人々がどのように生きていたかについて、率直かつ正確な記述を与えてくれます。聖書は彼らの歴史を、決して美化したりごまかしたりはしません。私たちは、彼らが正しく行ったことだけでなく、間違ったことからも学ぶことができます。

3. これは、今日でも存在しながらもあまり語られることのない罪の一種、すなわち「責任を回避すること」を示しています。オナンがそのために殺されたことから、これは神の目には非常に重大な罪とみなされています。ユダもまた、嫁に対して責任ある行動をとらず、自らの約束を破りました。ユダは、息子の命を案じ、神の善さを信頼していなかったため、タマルに息子を嫁がせようとしませんでした。 明らかに、ユダはオナンが責任を果たすことを拒んだことで死に値するとは考えていませんでした。


Q:創世記38章29~30節において、「ゼラ(Zerah/Zarah)」と「ペレツ(Perez/Pharez)」にはどのような意味があるのでしょうか?

A: まずその意味について、次に二つの解釈について説明します。ストロング辞典、聖書辞典、および注解書はすべて、ペレツ/ファレツが「突破」または「裂け目」を意味することに一致しています。彼は子宮を破り、あるいは開いたのです。しかし、ゼラ/ザラについては、若干の見解の相違があります。

「緋色(スカーレット)」:手に結ばれた緋色の糸に由来して、ゼラは「緋色」を意味する可能性があります。また、一部の学者によれば、「輝き」や「赤さ」を意味する可能性もあります。

「立ち上がる」:他の学者によれば、ゼラはヘブライ語の「ゼラ(Zerah)」に由来し、「立ち上がる」という意味だそうです。

この見解の相違の理由は、『ストロングの網羅的コンコーダンス』(単語2226)に見出すことができます。そこには、2225番の「zerach, zeh’-rakh(2224番に由来する)」と同じであり、「光の昇り:-昇る」と記載されています。2224番には、「zarach, zaw-rakh’;原義は 語根;本来の意味は「放射する(あるいは光線を放つ)」、すなわち(太陽が)昇ること;特に(ハンセン病の症状として)現れること:-立ち上がる、(上へ)昇る、昇り次第。」したがって、「ゼラ」という言葉は日の出に由来しており、実際の日の出を指す場合もあれば、夜明けの緋色の赤さを指す場合もあります。

マタイによる福音書1章3節にあるメシアの系図では、ペレツとゼラの両者の誕生について簡潔に言及されています。 イエス様は、初臨の際、ルカによる福音書12章51節で、ご自身が分裂をもたらすと述べられました。また、パウロはテサロニケの信徒への手紙第二2章8節で、キリストの再臨の輝きについて語っています。したがって、この双子は、キリストの二つの来臨の順序に従って現れたことになります。しかし一方で、ヨハネによる福音書1章5節および9節には、イエス様がすべての人に光を与えるまことの光であり、この世に来られたと記されています。

ヨシュア記7章で処刑されたアカンは、ゼラの末裔でした。ですから、特別な、あるいは敬虔な家系に属しているからといって、必ずしもその人が義人であるとか、裁きを免れることができるとは限りません。「神には孫はいない」と言われています。つまり、あなたは神の子であるか、そうでないかのどちらかです。しかし、自分自身の信仰ではなく、親の信仰だけを理由に、神との関係を主張することはできません。


Q:創世記39章7~10節において、十戒はまだ記されていなかったのですから、ヨセフが主人の妻と寝たことが、なぜ間違っていたのでしょうか?

A: ヨセフは、そのような行為が主人の信頼を完全に裏切ることになることを知るために、十戒を必要としませんでした。また、ヨセフは、それが神に対する罪になるとも述べています。

中には、法律の条文のみに従って行動する人々もいます。しかし、ヨセフはそのような行動をとったわけではなく、クリスチャンもそうあるべきではありません。「これでバレずに済むか」とか、「これに対して絶対的な白黒はっきりした禁止事項はあるか」と問うのではなく、むしろ「何が神を喜ばせるか」と問うべきなのです。

ヨセフはこれで二度も上着を失ってしまいました!しかし、かつて誰かが言ったように、「上着を失ってでも品格を保つ方が、品格を失って上着を保つよりもまし」なのです。

法律の文字通りに従うだけの考え方を示す、興味深いアラブの物語があります。ある男が邪悪な精霊と契約を交わしました。二人は契約書に署名し、精霊側の約束は、男が想像しうる最も美しい女性を妻として与えることと、男に危害を加えないことでした。 精霊は姿を消し、その後、美しい女性が現れて、彼の妻になりたいと申し出ました。男には知らされていませんでしたが、その女性は変装した精霊そのものでした。ある夜、「女性」は男に契約書を見せてほしいと頼みました。男が契約書を手に取ると、精霊はろうそくの蝋を「男に危害を加えない」という文中の「加えない」という単語の上に垂らし、男を殺してしまいました。

興味深いことに、ある人々にとっては、ほんの少しのろうそくの蝋だけで、二人が交わした約束を無効にする正当な理由として十分だったのです。今日でも、それよりもはるかに薄っぺらな理由で契約を破ることを、妥当で正しいことだと考える人々がいます。神を真に信じる者としては、約束の文言を忠実に守るだけでなく、その真意も守り、薄っぺらな理由を不誠実な行為の言い訳にさせてはなりません。


Q:創世記39章7節から20節に、このような話に似たものは他にありますか?

A: これと非常に近いものはありませんが、わずかに類似点のある架空の物語が一つあります。夫が不在の間に妻が不貞を働くという発想は、ヨセフの物語に限ったことではありません。この出来事から約600年後、紀元前13世紀に、「二人の兄弟の物語」と呼ばれるエジプトの物語があり、そこにはいくつかの類似点が見られます。 夫が不在の間、妻は夫の兄弟を誘惑しようとしましたが、彼はその誘いを拒みました。夫が戻ると、妻は夫の兄弟に対して虚偽の告発を行いました。やがて真実が明らかになり、最終的に妻は処刑されました。


Q:創世記40章15節において、ヨセフはどのようにしてヘブライ人の地から連れ去られたのでしょうか。

A: 一方で、ヨセフはイスラエルのヘブライ人にとって約束の地であり、将来所有することになる土地からやって来ていました。他方で、私たちは「ヘブライ人」を「イスラエル人」と同義語として考えがちですが、当時はそうではありませんでした。 「ヘブライ人」、すなわち「アピル」という言葉は、遊牧民を意味することもあり、アブラムもヘブライ人と呼ばれていました。したがって、ヨセフという呼称は、彼がアブラハムの子孫であり、アブラハムの新しい土地に住んでいたことを意味していたか、あるいは遊牧民の土地の出身であることを意味していたか、あるいはその両方を意味していた可能性があります。


Q:創世記40章20~22節、マタイによる福音書14章6節、マルコによる福音書6章21節において、聖書に(伝えられるところによれば)記載されている誕生日は、ファラオがパン職人を処刑した時と、ヘロデが洗礼者ヨハネを処刑した時だけであることから、誕生日を祝うことは悪いことなのでしょうか?

A: いいえ。エホバの証人たちは、沈黙の論法を用いて誕生日の祝いを禁じようとします。ファラオもヘロデも、誕生日以外の日にも人々を殺した残酷で独断的な支配者でしたが、誰かの誕生という特別な日を祝うことが許されるのには、さらに説得力のある二つの理由があります。

ヨブは敬虔な人であり、彼の息子たちは「交代でそれぞれの家で宴会を開いていました」(ヨブ記1:4)。ヘブライ語の原文では、各人が「自分の日」にそうしたと文字通り記されており、この表現は誕生日を意味します。これは、ヨブが「自分の日」(ヘブライ語)を呪ったことからも明らかです。BSB訳では、ヨブ記3:1-3において、これを「彼の誕生の日」と訳しています。

また、天使ガブリエルは、洗礼者ヨハネの誕生を多くの人が喜ぶと告げました(ルカ1:14)。そして、ルカ2:13-14で天使たちがイエスの誕生を祝うことができたのであれば、私たちもイエスの誕生を祝うことは問題ありません。


Q:創世記40章23節において、酒飲み係はなぜヨセフのことをそれほど簡単に忘れてしまったのでしょうか?

A:当時、酒飲み係は夢の意味を心配していました。しかし、地位を取り戻した後、彼は、自分を元の地位に戻してくれたのはヨセフではないこと、そしてヨセフは今、自分に何の利益ももたらしていないことを理屈で理解し、自分に利益をもたらしてくれるものや人物に目を向けるようになりました。彼は、ヨセフへの感謝の気持ちも、ヨセフを覚えておき、ファラオにそのことを伝えるという約束も、すっかり忘れてしまったのです。 ヨセフは、兄弟たちやポティファルの妻、そして酒務官によって、虐待され、中傷され、忘れ去られてしまいました。しかし、神は酒務官の忘却にもかかわらず、なおも御業を成し遂げることができました。ただ、それには丸二年を要したのです。『福音派聖書注解』(p.33)によると、ヨセフの長男が「マナセ」と名付けられたことは興味深いことです。この名前は「忘れる」という意味を持つとされています。 ヨセフの兄弟たちの嫉妬、ポティファルの妻による中傷、そして酒務官の忘れっぽさは、この章の核心となる聖句、すなわち「このことは神によって定められた」と記されている創世記41章32節に比べれば、取るに足らないものでした。


Q:創世記41章18節で、なぜ川に牛がいるのですか?

A: たいていの場所では、牛が川の中に留まることはありません。しかし、エジプトでは、暑さをしのぎ、ハエから身を守るために、牛が川にいることがよくあります。しかし、これを知るためには、著者はエジプトに住んでいたに違いありません。


Q:創世記41章32節において、なぜファラオはエジプト人ではない者を第二の指導者に任命したのでしょうか。

A: 王が時折奇妙なことをすることもありますが、この場合は非常に理にかなっていました。もしヨセフが反乱を起こそうとしても、エジプト人は彼に従わないでしょう。メリ・ラ、ベン・マト・アナといったカナン人や、アメンホテプ3世のセム系副官ヤンハムなどが、エジプト宮廷で高い地位に就いていたことが記録されています。(アメンホテプ3世は、イスラエル人がエジプトを去った後にファラオとなりました。) はるか後世、トルコのオスマン帝国では、権力を握ろうとする非イスラム教徒を民衆が決して支持しないことを承知の上で、宮廷の高位にアルメニア人を登用することがよくありました。


Q:創世記41章45節にあるヨセフのエジプト名「ザフェナト・パネア」は、称号だったのでしょうか、それともエジプト名だったのでしょうか?

A: おそらく「命と呼ばれる者」といった意味だったと思われます。 エジプト人にこのような称号があったという証拠はないため、おそらく名前だったのでしょう。ファラオは、多くの高官たちに対して、ヨセフがよりエジプト人らしく見えるようにしたかったのでしょう。とはいえ、ヨセフが本来の名前を捨てたという意味ではありません。これは、中国から西洋へ来た人々がしばしば西洋風の名前を名乗るのと同じようなもので、西洋から中国へ行く人々も、しばしば中国風の名前を名乗るのです。


Q:創世記41章45節にある、ヨセフのエジプト名「ザフェナト・パネア」について、聖書以外の証拠はありますか?

A: はい。学者たちは、ヨセフの時代前後の数世紀にわたるエジプトの宰相たちの名前を一切把握していませんが、考古学者たちはある関連性を見出しています。

ザフェナト:創世記41章45節にあるヨセフのエジプト名は、おそらく「t」と「p」が入れ替わった形で現代に伝わったものと思われます。「ザト・エン・アプ」は「呼ばれる者」を意味し、これは一般的な表現でした。パピルス・ブルックリン35.1446には、アジア系の人々にエジプト名が与えられた多くの例が示されています。これらの名前の多くは、最初の部分に「呼ばれる者」という意味が含まれています。

パネア:「パ」または「ペ」は、エジプト語の「イピ」または「イプ」を表していると考えられます。「アネア」は、エジプト語の「アンク」(「生命」を意味する)や「アンクフ」(「生きている」を意味する)に類似しています。『ファラオと王たち:聖書を探求する』(p.350)では、イピアンクやその派生形はヨセフの時代には一般的でしたが、それ以前や以後にはあまり一般的ではなかったと結論づけています。


Q:創世記41章45節において、イサクが妻を得た経緯やヤコブが妻を得た経緯を振り返ると、ヨセフが妻を得た経緯にはどのような違いがあるのでしょうか。ヨセフはそれをどのように乗り越えたのでしょうか。

A: ファラオは信仰者ではありませんでしたし、ヨセフの妻もおそらく、少なくとも当初は信仰者ではなかったでしょう。信仰を持つ人々がヨセフの妻選びに配慮した様子は見られませんが、それでもヨセフはうまくやっていきました。神がアダムに土地の支配権と妻を与えられたように、ファラオもヨセフに土地の支配権と妻を与えたのです。

ちなみに、ポティファルとポティフェラは、おそらく同一人物ではありません。エジプトには「ポティファルの石碑」と呼ばれる記念碑があり、そこには「アンク・ホルの息子、プティファル」と記されています。これはおそらく、これら二人のいずれでもないでしょう。むしろ、ポティファルというのは一般的な名前だったのです。


Q:創世記41章53~57節において、ヨセフはどのようにしてキリストの型となったのでしょうか?

A: ヨセフは、神の民すべてに糧を供給できるよう、自ら苦難に耐えました。ヨセフが奴隷として売られた時から、第二の地位に就くまでの期間は、およそ13年でした。その間、ヨセフは、自分の状況が改善されるという外的な兆候が全くないにもかかわらず、忍耐強くあり続けなければなりませんでした。神が私たちに対してどれほど忍耐強くあられるか、考えてみてください!


Q:創世記41章57節において、ヨセフに起こったことは、最終的にヨセフにとって有益だったのでしょうか?

A: この場合、飢饉が起きた時にヨセフがカナンにいなかったという点で、間接的には彼にとって益となりました。しかし、主たる目的はヨセフのためではありませんでした。何しろ、ヨセフはヤコブがそうしたように、シリアにこっそりと入り、そこで一人で暮らすこともできたのですから。いいえ、主たる益は、彼の一族である70人の人々に向けられたものでした。神がヨセフにこの試練をもたらされたのは、主にヨセフ自身の益のためではなく、彼の家族のためだったのです。

一方で、ヨセフは別の意味で大きな恩恵を受けました。もしヨセフがカナンやシリアにとどまり、生涯何もしなかったと想像してみてください。彼は依然として高潔な人柄を保っていたかもしれませんが、彼を形作ったこれらの経験がなければ、たとえその過程が時に苦痛を伴うものであったとしても、聖書において信仰の偉大な英雄とは見なされなかったでしょう。


Q:創世記41章57節で、飢饉が全世界で深刻だったとありますが、なぜ世界中のあらゆる場所で飢饉が起きたわけではないのでしょうか?

A:この表現は、飢饉がエジプト以外にも深刻であったことを表しています。


Q:創世記42章3~4節において、家族は「偏愛」について何を学びましたか?

A: ヤコブの場合、どうやら何も学んでいなかったようです。彼は、ベニヤミンを他の兄弟たちと一緒にこの旅に送り出さなかったのは、ベニヤミンを他の兄弟たちよりも愛しているように見えたからです。ヤコブの心の中では、亡き妻ラケル、行方不明(と思われていた)息子ヨセフ、そしてベニヤミンが結びついており、彼はその最後の一人を失いたくなかったのです。どうやら、他の兄弟たちは、いなくとも構わない存在と見なされていたようです。これは、親としてひどい態度でした。

しかし、兄弟たちはヨセフを送り出し、長年にわたりそのことを父に隠し通してきたことを、ずっと心苦しく感じていました。しかしそれ以来、ヤコブが彼らに対して不公平であり、その状況が変わる見込みもなかったため、彼らはその事実を受け入れて生きていくことを学んだのです。


Q:創世記42章7節で、なぜエジプトの役人たちは穀物を売っていたのでしょうか?

A: ヨセフの指導の下、エジプトは深刻な飢饉に備えて食糧を蓄えていました。エジプト政府が必要以上に農民から徴収していたか、あるいは一部のエジプト人が利益を得るために民の穀物を売りさばいていたため、必要な量を下回っていたのでしょう。この出来事から数千年後、食糧を生産した農民が餓死する一方で、大きな利益を得るために食糧が輸出されることは、あまりにもありふれた出来事となっていました。


Q:創世記42章8節で、なぜヨセフの兄弟たちは彼を認識できなかったのでしょうか?

A: これが奇跡的あるいは超自然的な出来事であったことを示すものは何もありません。彼らが最後に目にしたのは、無力で怯えた、ひげを生やした17歳の少年でしたが、今目の前にいるのは、裕福で権力のある30歳の男性であり、エジプトの慣習に従っていれば、ひげを生やしていないはずの人物です。たとえ人々が似ていることに気づいても、状況から見て同一人物である可能性が考えにくい場合、それは別人だと早合点してしまうことがよくあります。


Q:創世記42章6~20節において、ヨセフはなぜ疎遠になっていた兄弟たちをこのように扱ったのでしょうか?

A: 聖書はこの戦略を是認も批判もしていませんが、ヨセフにとっては賢明な判断でした。ヨセフは、兄弟たちが自分の母のもう一人の息子に対してどのような態度をとっているのか、また、長年の間に何を学んだのかを知りたかったのです。彼らに心を開く前に、彼らの心の中がどうなっているのかを見極めたかったのです。

今日、同じ状況に置かれる人はおそらくいないでしょうが、誰かを信頼して打ち明ける前に、その人の心の内をある程度知ろうとするという一般的な原則は、今もなお有効です。別の文脈ではありますが、イエス様はマタイによる福音書7章6節で、「真珠を豚の前に投げてはならない」とおっしゃいました。


Q:創世記42章21~23節において、なぜ彼らはここでそれほど強い罪悪感を抱いたのでしょうか。

A: これは兄弟たちだけが知る大きな秘密でした。(彼らは、ヨセフが目の前にいて、ヘブライ語を理解していることを知りませんでした。)身近な人に対して行ったことについて、その人に打ち明けることのできない秘密が、過去の中でずっと心に重くのしかかっている状況を想像してみてください。その罪のせいで、兄弟たちが長年にわたりどれほど辛い思いをしてきたか、考えてみてください。

ルベンは、創世記37章21~22節の時点で、ヨセフを救い出すという案を思いついていました。創世記37章29節では、ルベンはヨセフを売ることに同意しませんでしたが、ヨセフの外套を取り、それを血に浸すことには黙認しました。ここでルベンは、他の兄弟たちと同様に罪悪感に苛まれていましたが、同時に「言った通りだ」という態度で、兄弟たちを責める気持ちも抱いていました。


Q:創世記42章25~28節で、シメオンを牢屋に残さなければならないという衝撃を受けた後、袋の中に銀貨が戻っているのを見たとき、彼らはどのような気持ちだったと思いますか?

A: 創世記42章28節bで「彼らの心は沈んだ」と記されていますが、おそらくその表現では感情が十分に表現されていないでしょう。彼らはシメオンのことを気の毒に思い、父のことも心配し、年老いた父にこのことを伝えることを恐れていました。ヤコブは後に、もしベニヤミンまでもが失われてしまったら、「あなたがたは、私の白髪を悲しみとともにシェオルへと下らせることになるだろう」と語りました(創世記42章38節b)。

ルベンの計画は、ベニヤミンと銀だけを持って一人でエジプトに戻り、シメオンを連れ戻そうというものでした。しかし、ヤコブはシメオンを連れ戻すことよりも、ベニヤミンを愛しておりました。


Q:創世記42章37節で、ルーベンはなぜ「もし私が彼をあなたのもとへ連れ戻せなかったら、私の二人の息子を殺しても構いません」と言ったのでしょうか?

A: ヤコブには、孫たちを一人たりとも死なせたいなどという考えは微塵もありませんでした。ルベンは、ヤコブを説得するために、効果をねらってそう言ったのです。しかし、ルベンがヤコブにこのような取引を持ちかけるというのは、少々奇妙な関係と言えます。ヤコブはヨセフの真実を知らなかったとはいえ、ヤコブと息子たちの間にはあまり信頼関係がなかったようです。残念ながら、それは今日のいくつかの家族にも当てはまることかもしれません。


Q:創世記43章から44章にかけて、兄弟たちは試練にさらされていました。なぜ彼らは試されたのでしょうか?

A: この状況をヨセフの視点から見てみましょう。長い年月が経ったある日、ヨセフの兄弟たちが彼の宮廷に現れ、助けを求めてきました。この時点で、ヨセフは彼らや彼らの性格について、一体何を知っていたのでしょうか? ヨセフが当時知っていたのは、彼らこそが、本来なら愛に満ちているはずの兄弟であり、かつて自分を殺す方法を話し合い、その後奴隷として売り飛ばした者たちだということだけでした。 ああ、それと、彼らは人をうまく縛る方法も知っていました。復讐の念がヨセフの頭をよぎったかどうかはわかりませんが、他の人なら、それはごく自然なことだったかもしれません。ヨセフはどうすべきだったのでしょうか?

ヨセフは、兄弟たちを欺くことに何の喜びも感じていませんでした。しかし、ヨセフには重大な決断を下さなければなりませんでした。もし兄弟たちが、彼を奴隷として売った当時から変わっていなかったのなら、彼らを救い出す理由など見当たらないと考えたのです。

『バイブル・ナレッジ・コメンタリー:旧約聖書』93~94ページには、次のように記されています。「ヨセフは、これまでの二度の訪問で巧みに緊張感を醸成することに見事に成功していましたが、ここで決定的な一手を出しました。彼は、兄弟たちに自らの悪を自覚させるために、ベニヤミンに対する彼らの思いやりを試したのです。もし彼らがこの試練に失敗し、ラケルの次男であるベニヤミンに思いやりを示さなかったならば、約束の成就には関与できないことになるでしょう。 もし他の者たちが不適格であると証明されたならば、神は一からやり直し、ヨセフを大いなる国民とすることができたでしょう(出エジプト記32:10参照)。」


Q:創世記44章において、私たちはいつ他人を試すべきでしょうか?通常、どのように他人を試すべきでしょうか?

A: 皆さんは普段、兄弟姉妹をこのように試していますか?――そうではないことを願います。敬虔な人々がヨセフほど厳しく他人を試すことは見られませんが、指導者としての資質を確かめるために、人々に質問をし、試す必要があります。人は試されている時に学ぶことができますが、それが主眼ではありません。重要なのは、その人に何かを任せるに値するか、あるいは健全な教理を教えるに値するかどうかを見極めることです。

テモテへの手紙第一 3章10節には、「さらに、彼らはまず試されなければなりません。そして、非難の余地がないことが確認されたなら、執事として仕えさせなさい」とあります。また、黙示録 2章2節では、エフェソの教会を称賛し、「あなたがたは、偽って使徒であると称する者たちを試し、偽り者であることを暴きました」と記されています。 ローマ人への手紙16章10節では、アペレスが試され、認められました。しかし、その試練を与えたのはおそらく神ご自身であったでしょう。

一方、もしある人が試練に合格しているならば、さらなる試練という口実でその人を陥れようとするのは間違っています。マルコによる福音書8章11節やルカによる福音書11章16節で、しるしを求めてイエスを試そうとしたパリサイ人たちは間違っていました。

彼らはマタイによる福音書16章1節や22章35節で、質問を用いてイエスを試みました。

ナオミはルツ記1章11~15節で、ルツとオルパを試しました。彼女たちがナオミを好きだというだけの理由で、一度も見たことのないイスラエルという地へ行くことに何の意味もありませんでした。もし彼女たちが同じ神を信仰していなかったのであれば、そのままその場に留まるべきでした。

サムエル記上13章7節b~14節では、サウル王が試みられましたが、サムエルがたまたま数時間遅れたのか、それとも意図的に数時間遅れるようにしたのかは定かではありません。

かつてソビエト連邦の時代、礼拝が始まろうとしていた地下教会に、銃を持った私服の兵士たちが乱入したという話を一度読んだことがあります。彼らは誰がクリスチャンなのかを尋ね、クリスチャンでない人は全員出ていくように言いました。その後、彼らは銃を下ろし、自分たちも礼拝に参加しました。彼らは、礼拝からスパイをすべて排除したかったのです。


Q:創世記44章2~13節において、ベニヤミンの袋に入っていた銀の杯は、ラケルが父の神像を盗んだ話とどのように似ているでしょうか?

A: 兄弟たちは、ラケルが父ラバンの偶像を盗んだという話を知っていたのかもしれません。ラバンとヤコブは、これらの偶像を所持している者が見つかった場合は、その者を殺すことに合意していました。当時、彼らはラケルがそれらを盗んだことを知りませんでした。もしラバンとヤコブがその罰について合意していたのなら、エジプトの高官は、(明らかに)自分に身近で、金銭的価値の高いものを盗んだことに対して、どのような罰を下したでしょうか。


Q:創世記44章5節において、敬虔な人であるヨセフが、どうして占いに用いたと主張できたのでしょうか?

A: ヨセフがその杯を実際に使ったとは書かれておらず、ただ兄弟たちに、その杯を占いに使ったと語ったとだけ記されています。創世記44章15節によると、ヨセフはその杯についてあまり気にしていなかったようです。 私たちは占いをしてはなりません(申命記18:10)、また、悪の疑いさえも避けるべきです(コリントの信徒への手紙二8:21;テサロニケの信徒への手紙一5:22)。ヨセフでさえ、完璧な人間ではなかったのです。

『福音派聖書注解』(p.34)によると、エジプトでは水占い(水占術)が一般的だったとのことです。彼らは水滴を観察して予言を行っていたようです。


Q:創世記45章3節において、ヨセフの兄弟たちが言葉を失った4つの理由は何でしょうか。

A:兄弟たちは、1)ヨセフに会ったことだけでなく、ヨセフの立場にも衝撃を受け、言葉を失っていました。2)正体が露見したために言葉を失い、3)これから自分たちに何が起こるのかと考え、言葉を失っていました。4)彼らはかつて、「あなたは私たちを支配するつもりなのか」(創世記37:8)と言っていました。しかし今や、ヨセフはエジプト全土を治めていました(創世記45:8)。


Q:創世記45章5節、8節、および50章19~20節において、ヨセフは誰が自分をエジプトに送ったと言いましたか?その理由は何ですか?

A:誰かが殺人を企てた結果、その人にとって良い結果になったという話を、これまで何度耳にされたことがありますか? 兄弟たちにとっては、結果として良いこととなりました。

ヨセフは、それが兄弟たちではなく、神によるものだと明確に述べました。ヨセフは、自分の困難や苦難が神から来たものであると悟り、そのことを神に賛美しました。なぜなら、今、そして今になって初めて、ヨセフはその結果を見ることができたからです。


Q:創世記45章6節と47章28節において、イスラエル人はヨセフがまだ生きている間に奴隷となりましたか?

A: はい。 創世記37章2節、41章1節、41章29-39節、45章6節、47章28節を見ると、イスラエル人はヨセフの110年の生涯のうち71年間、エジプトに滞在していました。したがって、ヘブライ人はヨセフがまだ生きている間に奴隷となりました。なぜなら、彼らはエジプトで400年間奴隷として過ごし、エジプトでの滞在期間は合計430年だったからです。


Q:創世記45章8節、50章19節において、神は敬虔な人々を奴隷にされるのでしょうか? 神はヨセフを、あるいはヨセフの兄弟たちを奴隷にされたのでしょうか?

A: これは、「共起(コンカレンス)」と呼ばれる神学的概念の一例です。 神は、彼らがその状況に置かれた場合、自由意志で自発的に行うと決めた悪行をあらかじめ知っておられただけでなく、彼らがその状況に置かれ、心の意図を実行できるようにされました。さらに、神は彼らの悪を計画し、それを用いて善をもたらされました。ローマ人への手紙8章28節にあるように、「…神は、御自分を愛する者たちのために、すべてのことを共に働かせて益としてくださる…」とあります。「すべての事」には、悪事さえも含まれます。


Q:創世記45章25~28節において、ヤコブがヨセフが生きているという話を聞いて驚いた理由は、どのようなものが二つありますか?

A: 第一に、彼はヨセフが死んだと確信していたからです。何しろ、血まみれの色とりどりの上着を目撃していたのですから。第二に、10人の息子たちが20年以上にわたり、彼を欺くために共謀していたことを知ったとき、今であれ後であれ、彼は驚きを隠せなかったでしょう。


Q:創世記46章3~4節において、神はヤコブ個人に語っておられるのでしょうか、それとも彼の子孫に語っておられるのでしょうか。

A: 両方です。神は、ヤコブに「あなた」が偉大な国民とされる、と告げられる際、この二つを結びつけておられます。ヤコブは確かにエジプトで亡くなりましたが、その遺体は埋葬のためにパレスチナへ持ち帰られました。これは、430年後に「あなたたち」(複数形)がエジプトから出て行くというしるしでした。


Q:創世記46章1~6節において、この衝撃的な知らせに対してヤコブはどのような反応を示しましたか?

A: まず、彼は息子たちの言う通りにエジプトへ下ることに同意しました。カナンで飢饉が起きていたため、他に選択肢がないと判断したのかもしれません。しかし、ヤコブは出発する前に、創世記46章1節にあるように、かつて祭壇を築き、神に犠牲を捧げたベエル・シェバへと向かいました。ベエル・シェバはエジプトとほぼ同じ方向にあったため、祭壇へ立ち寄ることで、出発がわずかに遅れただけだった可能性があります。 その後、その夜、神はヤコブに幻を示し、エジプトへ下ることを恐れるなとお告げになりました(創世記46章3節)。これは、神がイサクにエジプトへ下るなと命じられた創世記26章2節とは対照的です。その後、ヤコブとその一族は急いでエジプトへ向かいました。その後、ヤコブはファラオの前に進み出て、ファラオを祝福しました(創世記47章7節、10節)。

興味深いことに、創世記46章4節には、ヤコブが再び連れ出されると書かれています。もちろん、ヤコブはエジプトで亡くなりましたが、彼の子孫も遺体もエジプトから連れ出されました。しかし、神はヤコブが死ぬことについて言及しておられました。なぜなら、創世記46章4節で、ヨセフがヤコブの目に手を置いて、最後にその目を閉じるよう命じられたからです。


Q:創世記46章4節で、神はヤコブをエジプトから連れ出すと約束されていたのに、なぜヤコブはエジプトで亡くなったのでしょうか?

A: 当時の人々は、自分自身だけでなく、子孫についても考えていました。ヤコブの子孫たちはエジプトから連れ出されました。さらに、創世記50章13~14節にあるように、ヤコブの遺体もエジプトから運び出されました。


Q:創世記46章8~27節には、12部族、13部族、それとも14部族が記されていますか?

A: イスラエルの息子たちは12人でした(10人+レビ+ヨセフ)。

戦闘部隊および領地を持つ部族は12ありました(10部族+ヨセフの二人の息子マナセとエフライム。ただし、レビは含まれません)。


Q:創世記46章8~27節において、ヤコブがイスラエルの地で授かった11人の息子たちについて、彼らの妻は誰だったのか知りたいのですが。『聖書・出エジプト記』では、ヤコブを含めて70人がエジプトへ行ったことが確認されています。その一覧を教えていただけますか?

A: 実は、「出エジプト」とは別の出来事、すなわち彼らがエジプトから出た時のことを指します。しかし、ご質問にお答えすると、ヤコブの11人の息子は以下の通りです:
ルベン、シメオン、レビ、ユダ、イッサカル、ゼブルン、ガド、アシェル、ベニヤミン、ダン、そしてナフタリです。もちろん、ヨセフもヤコブの息子でしたが、ヨセフはイスラエルの地ではなく、エジプトに住んでいました。

エジプトへ行ったヤコブの子孫は、創世記46章8節から27節に列挙されていますが、ヤコブと血縁関係のない人々は記載されていません。当時、エジプトへ旅立ったヤコブの息子たちおよび男子の子孫は、64名でした。ヤコブの娘ディナと、アシェルの娘セラも同行しました。 さらに、ヨセフ、その二人の息子エフライムとマナセ、そしてヤコブの計4人を加えると、記載されている人数は70人となります。もちろん、妻たちやその他の者たちも同行していたはずですが、聖書には「70人以上は行かなかった」とは書かれておらず、ヤコブ自身を含めたヤコブの子孫70人が行ったとだけ記されています。


Q:創世記46章33節についてですが、羊飼いがエジプト人にとって忌み嫌われる存在であったという、聖書以外の証拠はありますか?

A: 直接的な証拠はありませんが、いくつかの情報があります。

1. 異民族のヒクソスがエジプトを支配していた頃、後のエジプト人は、この軽蔑された異民族の支配者たちを「羊飼いの王たち」と呼んでいました。

2. ヨセフの時代、考古学者によると、ナイル川デルタ地域にはアジア系の人々が大勢住んでいたとのことです。羊の骨格遺骸を分析した結果、この頃、アジア系の入植者たちが初めて長毛種の羊をエジプトのナイル川デルタ地域に持ち込んだことが明らかになりました。


Q:創世記47章11節において、ラメセスという都市がまだ建設されていなかったにもかかわらず、どうしてヤコブの家族はラメセスの地域に住むことができたのでしょうか?

A: 彼らは、後にヘブライ人の奴隷たちがラメセスという都市を建設することになるナイル川デルタ地方に定住しました。ヤコブがそこに定住した当時はその名で知られていませんでしたが、モーセが『創世記』を記した頃には、ラメセスという都市はすでに建設されていました。


Q:創世記47章20~21節において、ヨセフがエジプトの人々をファラオの奴隷としたことを、どうして神は認められたのでしょうか。

A: 神はそのことについて言及されませんでしたが、創世記47章23~26節において、この20%の所得税を認められました。


Q:創世記47章31節において、ヤコブはベッドの頭元で礼拝したのでしょうか、それともヘブライ人への手紙11章21節にあるように、杖に寄りかかって礼拝したのでしょうか?

A: ベッドに横たわりながら杖に寄りかかって体を起こし、話すことは可能ですが、もっと単純な説明があります。ヘブライ語では「ベッド」と「杖」の子音が同じであり、旧約聖書はもともと子音のみで書かれていました。 マソラ本文では、これを「ベッド」とするために母音が付け加えられましたが、セプトゥアギンタ訳では「杖」と訳されています。ギリシャ語のヘブライ人への手紙11章21節には「杖」とあります。


Q:創世記48章5節において、ヤコブがマナセとエフライムは自分に属すると述べたことには、どのような意味があったのでしょうか?

A: どうやら、将来行われる土地の分配において、マナセとエフライムはヤコブの直系の子たちと同じカテゴリーに扱われることになっていたようです。そのため、ヨセフの子孫は土地を1つではなく、2つの分与を受けました。多くの場合、長子は2倍の分与を受けました。ヨセフは時系列的には長子ではありませんでしたが、長子の権利を与えられていたのです。


Q:創世記49章と申命記33章にあるこれらの預言は、どのように成就したのでしょうか?

A: 各息子について、預言の要約が示され、その後にその成就が記されています。一般的に、創世記49章には多くの預言が記されていますが、申命記にはモーセの祈りの中に、未来に関するわずかな示唆があるのみです。

ルベンは、生物学的には長子でしたが、もはや傑出することはありませんでした。ルベンはヨルダン川の東側に定住し、決して大きな部族にはなりませんでした。 『聖書の難問事典』(Encyclopedia of Bible Difficulties)103ページによると、モアブ石碑(紀元前850年)の碑文によれば、モアブは紀元前9世紀(紀元前900~800年)にルベン族を征服しました。これはソロモンの時代の後、ユダ王国のアサ王とヨアシュ王の治世の間の出来事でした。

シメオン族はイスラエル国内に散らされることとなりました。シメオン族はユダの中央部に定住しましたが(士師記1:3)、ユダ国内に散らされるにつれて、部族としてのアイデンティティの多くを失っていきました。

レビ族もまた、イスラエル国内に散らされることとなりました。レビ人たちは土地を与えられず、イスラエル全土に点在する町々に住むことしか許されませんでした。彼らはイスラエルの教師となるべき存在でした。王国が分裂していた時代、彼らの多くは南のユダへと移り住みました。

ユダは兄弟たちから称賛され、その手は敵の首に置かれ、他の息子たちは彼にひれ伏すでしょう。ユダは獅子のような存在となるでしょう。シロが来るまで、その統治の権威は決して失われることはありません。ダビデおよびその後の南王国の統治者たちは、皆ユダ族の出身でした。 イエス様は、マリアを通じた血縁上だけでなく、養父であるヨセフによる「法的な」意味でも、ダビデの子孫でした。創世記49章10~12節は、タルグム・ヨナタン、偽タルグム・ヨナタン、タルグム・オンケロス、およびバビロニア・タルムードによれば、メシアに関する預言とされています。

ゼブルンは海辺に住み、その境界はフェニキアのシドンへと広がりました。彼らの居住地に関するこの預言は成就しました。

イッサカルは、良き安らぎの地に住むことになり、強制労働を課されることになります。イッサカルは、紀元前732年にアッシリアの支配下にあった他の北部の部族たちと共に、異邦人の支配下に置かれました。

ダンは、凶暴な蛇のように正義を執行するでしょう。子ライオンのように、彼はバシャンから飛び出すでしょう。ダンは中央部(バシャンから遠く離れた場所)を相続しましたが、『士師記』第18章でライシュを激しく攻撃した際、バシャンの近くである北へと移動しました。

ガドは攻撃を受けるでしょうが、その攻撃に反撃を加えるでしょう。ガドの領土を広げる者は祝福されます。これは、アンモン人を打ち破ったガド族のイフタを予言的に指しているのかもしれません。

アシェルは豊かで上質な食物に恵まれるでしょう。アシェルは生涯を通じて力強いでしょう。アシェルは戦争において大きな困難に直面することはほとんどありませんでしたが、フェニキア文化への同化が多少見られました。

ナフタリは、美しい子鹿を産む雌鹿のようになります。ナフタリは南方の湖までその領地を受け継ぎます。ナフタリは多くの戦争において主要な役割を果たすことはなく、ガリラヤ湖のほとりに定住しました。

ヨセフは実り豊かなぶどうの木となり、その枝は塀を越えて伸びるでしょう。弓兵たちは彼を狙って矢を放つでしょうが、彼の弓は揺るぎません。兄弟たちの間の王子のように、ヨセフには豊かさがあります。ヨセフの二つの半部族、エフライムとマナセは、ユダに次いで最も人口の多い部族でした。実際、エフライムは後に北王国の代名詞となり、ユダが南王国の代名詞となったのと同じでした。

ベニヤミンは貪欲な狼となるでしょう。ベニヤミン族のエフドは、モアブのエグロンを殺した士師でした。ベニヤミンは小さな部族でしたが、『士師記』第20章では他の部族に対して激しく戦いました。


Q:創世記49章3節と申命記21章17節において、「人の力の始まり」とはどのような意味でしょうか。一部の翻訳では、これは人の生殖能力や男らしさの始まりを指していると示唆しています。詩篇127篇では、人の若き日の子供たちを「力強い戦士の矢筒にある矢」に例えており、この用語に関して別の意味を示唆している可能性があります。

A: 男性は生殖能力があっても子供がいない場合がありますが、子供がいないからといって、その男性に生殖能力がないとは限りません。しかし、厳密に言えば、その正確な意味については4つの可能性があります。

a) 赤ん坊。これは、その後にさらに子供をもうけることができることを示しています。

b) 男子。この子は、その男性が年老いた際に家族を支え、国のために戦うことができます。
c) これは、長子の権利に関する表現です。
d) 「子孫」を指し、その男性が永続的な家系を築けることを意味します。

ここではおそらくd)が念頭に置かれていると考えられます。なぜなら、その文化において、家系を継ぐ子孫を持つことは非常に重要だったからです。実際、既婚の男性が子孫を残さずに亡くなった場合、その兄弟が妻と結婚し、最初の息子が亡くなった兄弟の名前を継ぐことになっていました。

c) も、申命記 21:16-17 では間違いなく念頭に置かれています。
しかし、詩篇127篇4-5節が述べているように、ここにはb)も念頭に置かれていると考えます。

とはいえ、「始まり……」というのは、複数の子供たちが持つものでもなければ、子供たちが総じて「始まり」であったわけでもありません。これは、子供が生まれた時点で、その子がその男の力の「始まり」であったことを示唆しており、それならばa)が念頭に置かれていることになります。ルベンは長子の権利を失いましたが、創世記49章3節では、彼は依然として生物学的には長子であり、「私の力の始まり」と記されています。

したがって、私の見解は上記のすべてです。


Q:創世記49章3~4節において、名誉と権力において傑出していたルベンが、もはや傑出してはならないとされたのは、なぜ適切だったのでしょうか。それは教会の他の部分でも起こったことでしょうか。

A: これは実は「excel(卓越する)」という言葉をかけた駄洒落です。これは、創世記35章22節および歴代誌上5章1~2節に記されているルベンの行いに由来しています。


Q:創世記49章5~7節で、ヤコブはなぜレビを呪ったのでしょうか。後にモーセは申命記33章8~11節でレビを祝福しているのに。

A: この残酷な行為のため、レビの子孫はイスラエル全土に散らされました。しかし、レビの子孫は、イスラエルを教える特権を与えられたことで祝福されました。ここには学ぶべき教訓があります。呪いも、それを耐え忍び、神に従うならば、祝福へと変わるのです。


Q:創世記49章7節において、民や国家はどのような時に激怒や残酷な怒りを抱くべきなのでしょうか?

A:創世記49章6節では、彼らは怒りのあまり、雄牛さえも不具にしてしまいました。彼らは正義の執行者ではなく、制御不能な怒りの実行者だったのです。

この質問に対する答えは、「決して」です。私たちは愛に満ちた者でなければなりません。第一ヨハネの手紙4章8節、20節によれば、憎しみを抱くことは、救われていないことのしるしです。また、ヤコブの手紙1章20節には、「人の怒りは、神が望まれる義をもたらさない」とあります。

シメオンとレビは、ルベンに次ぐ年長の息子たちでした。彼らが不適格とされたのは、もっぱらその激しい怒りのためでした。同様に、今日でも、有能で経験豊富、知性のある人々が、その気性のせいで役職に就く機会を逃したり、解雇されたりすることがあります。怒りのせいで、私たちは多くの良いことや、良い人間関係を逃してしまう可能性があります。


Q:創世記49章9節において、創世記38章のタマルの件で、なぜユダは失格とされなかったのでしょうか。

A: ユダは、ルベン、シメオン、レビに次ぐ長男です。この4人は皆、レアの子供たちでした。ユダはタマルを殺そうとしましたが、自身の罪が露見した後、最終的には事態を正しました。少なくとも、彼にできる限り正しい形に収めたのです。


Q:創世記49章9~11節では、具体的にどのような預言がなされているのでしょうか。

A: シロとは、単に「それ(権威)に属する者」という意味です。ユダヤ人自身も、創世記49章10節をメシアに関する預言として理解していました。バビロニア・タルムードの『サンヘドリン』第4章37節の後のページ(表側)において、ラビ・ラフマンは次のように述べています。 「サンヘドリンのメンバーたちが、生殺与奪の権限を奪われたことに気づくと、彼らを大いなる動揺が襲いました。彼らは頭に灰をまき、体に荒布をまとって、『ああ、我らよ、災いなり。ユダから王笏が去り、メシアはまだ来られていないのだ!』と叫びました。」

『創世記』に関する死海文書注解(4Q252 [=4QpGena ])の断片2では、創世記49章10節について論じながら、次のように述べています。「イスラエルが統治する限り、ダビデの子孫が王座に就くことは決して途絶えることはありません。 なぜなら、統治者の杖は王権の契約であり、イスラエルの[部族]は軍団であるからです。義のメシア、すなわちダビデの若枝が現れるまでは。」『The Dead Sea Scrolls in English』第4版、300~302ページを参照してください。同書では、この注解書が、ユダ族出身ではなかったユダヤ人のハスモン朝王たちを、正統な統治者ではないと見なしていることも指摘されています。

『バビロニア・タルムード』、サンヘドリン98bにおいて、ラビ・ヨハナンは次のように記しています。「世界はメシアのために創造されました。このメシアの名は何でしょうか。ラビ・シラの学派は、『その名はシロです。なぜなら、「シロが来るまで」と書かれているからです』と述べました。」

『エルサレム・タルムード』、サンヘドリン24葉。「神殿が破壊される40年余り前、ユダヤ人から死刑を宣告する権限が剥奪されました。」

タルグム・オンケロスは次のように述べています。「ユダ家からの支配の継承は絶えることなく、その子孫からの書記の職も、メシアが来るまで永遠に続くでしょう。」

『創世記』49:11aに関する『偽ヨナタン・タルグム』には、「ユダの家から王や支配者が絶えることはない……メシア王が来られるまで」とあります。

ユダヤ人がこれをメシア的預言であると理解していたことを示すもう一つのユダヤ教の資料として、創世記49章10節、11a節に関するタルグム・ヨナタンが挙げられます。

このメシア的預言に言及した初期のキリスト教徒としては、リヨンのイレネウス(紀元160年頃~202年)、ポルトゥスのヒッポリュトス(紀元222年~235/236年)、オリゲネス(紀元225年~253/254年)が挙げられます。 異端者の中では、エビオニ派の『クレメンティヌスの説教集』(紀元前188年頃~日付不詳)がこのことを言及しています。


Q:創世記49:10には、「シロ」が来るまで笏は離れないとあります。それでは、どうしてこれがメシアになり得るのでしょうか?

A: ギリシャ語およびラテン語の翻訳には、「それが属する者」とあります。これは、アラム語のタルグムがこれを「メシア」と訳していることから、歴史上のユダヤ人の解釈者たちによってメシア的な意味を持つものと理解されていました。また、タルグム・ヨナタンおよび偽ヨナタン・タルグム(=タルグム・イェルシャリミI、=タルグム・エゼズ)によっても、これはメシア的な意味を持つとされています。 ユダヤ人は紀元6年頃に死刑を執行する権利を失いました。バビロニア・タルムードの『サンヘドリン』第4章51bの次、第4章37の次、表側にこのことが記されています。エゼキエル書21章27節は、創世記49章10節と並行する構文を持っています。

また、これをパレスチナの公式な統治者と見なす人々もいます。ローマ支配下において、ユダヤ人の王アルケラオスは王位を追われ、ローマの総督コポニウスが後任となりました。

余談ですが、『エクスポジターズ・バイブル・コメンタリー』第1巻224ページによると、バビロニア・タルムードには、タルグム・ヨナタンが紀元前1世紀に生きたヨナタン・ビン・ウジエルによって書かれたと記されており、彼はヒレルの最も傑出した弟子であったとされています。

『創世記』に関する死海文書注解(4Q252 [=4QpGen(a)])の断片2では、創世記49:10について論じながら、次のように述べています。「イスラエルが統治する限り、ダビデの子孫が王座に就くことは決して途絶えることはありません。 なぜなら、統治者の杖は王権の契約であり、イスラエルの部族は軍団であるからです。義のメシア、すなわちダビデの若枝が現れるまでは。」『Dead Sea Scrolls in English』第4版、300~302ページでも、この注解書が、ユダ族出身ではなかったユダヤのハスモン朝王たちを、正統な統治者ではないと見なしていることが指摘されています。

ヨセフスは著書『ユダヤ戦争』(西暦93-94年)第2巻第8章において、次のように述べています。「こうして、アルケラオスが支配していたユダヤの一部は属州へと改編され、ローマの騎士階級の一人であるコポニウスが総督として派遣され、カエサルによって生殺与奪の権限が彼に委ねられました。」 また、ヨセフスは『ユダヤ古代史』20.9(西暦93~94年頃に執筆)において、サンヘドリンが死刑事件に対する権限を失ったことにも言及しています。

ユダヤ人自身は、これをメシアの預言として理解していました。『バビロニア・タルムード』の『サンヘドリン』第4章(37章の続き、表側)において、ラビ・ラフマンは次のように述べています。 「サンヘドリンのメンバーたちが、生殺与奪の権限を奪われたことに気づくと、彼らを大いなる動揺が襲いました。彼らは頭に灰をまき、体に荒布をまとって、『ああ、我らよ、災いなり。ユダから王権が去り、メシアはまだ来られていないのだ!』と叫びました。」 これは紀元6年頃のことでした。(ジョシュ・マクダウェル著『Verdictを要求する証拠』第1巻169ページ、およびアウグスティン・レマン著『サンヘドリンの前のイエス』(1886年、ユリウス・マガート訳、NL#0239683、米国議会図書館番号 15-24973)より引用。) また、マルティーニ、レイムンドゥス著『Pugio Fidei』(1651年、デ・ヴォシン刊、148ページ)もご参照ください。

バビロニア・タルムード、『サンヘドリン』98bにおいて、ラビ・ヨハナンは次のように記しています。「世界はメシアのために創造されました。このメシアの名は何でしょうか。ラビ・シラの学派は、『その名はシロです。なぜなら、「シロが来るまで」と書かれているからです』と述べました。」p.147

タルムード「[西暦30年] 神殿が破壊される40年余り前、ユダヤ人から死刑を宣告する権限が剥奪されました。」『エルサレム・タルムード』、サンヘドリン、24葉。p.147

タルグム・オンケロスは次のように述べています。「ユダ家からの支配の継承は絶えることなく、また、その子孫からの書記の職も、メシアが来るまで永遠に続くでしょう。」(『メシア:アラム語による解釈;タルグムのメシア的解釈』、サムソン・H・レヴィ著(シンシナティ:ヘブライ・ユニオン・カレッジ・ユダヤ宗教研究所、1974年)p.2)p.146

『創世記』49:11aに関する『タルグム・プセウド・ヨナタン』の解説:「ユダの家からは、王や支配者が絶えることはない……メシア王が現れるまで」同書 p.7

ユダヤ人がこれをメシア的預言であると理解していたことを示すもう一つのユダヤ教の資料として、創世記49:10、11aに関するタルグム・ヨナタンが挙げられます。ユスティヌス・マルティル(紀元138年頃~165年頃)は、その『第一弁明』第32章において、これをキリストを指すものとして言及しています。


Q:創世記49章10節において、ヘブライ語の「シロ(Shiloh)」という言葉は、ここでは具体的にどのような意味を持つのでしょうか?

A: オリジナルのヘブライ語本文には母音が記されていなかったため、その意味については若干の不確実性があります。

a) 人物を指す名前である可能性があります:「シロ(Shiloh)」

b) 「それの所有者」または「彼に属する」という意味の「siloh」/「selloh」である可能性があります。この解釈は、セプトゥアギンタやシリア語ペシッタによってある程度裏付けられています。エゼキエル書21章26~27節もこれに関連しています。

c) 「彼への貢ぎ物」という意味である可能性があります(say loh)。これは、この後の節と並行する意味となります。

d) 地名「シロ」を指している可能性があります。

e) 最後に、聖書には多くの言葉遊びが見られるため、これらの解釈のうち複数に当てはまる可能性もあります。


Q:創世記49章10節には、王の笏について「シロが来るまで」とあります。この戦いを予言する言葉が、どうしてイエス様を指すのでしょうか?

A: イエスは、初臨においてサタンを打ち負かすという点で、霊的な意味で「戦いの神」でした。さらに、黙示録19章11節から16節にあるように、イエスは再臨の際にも「戦いの神」として現れ、多くの人々を滅ぼすことになります。


Q:創世記49章10節では、メシアが来るまでユダから王権が離れることはないはずですが、なぜバビロン捕囚の後、マカバイ家を除いてユダから王は現れなかったのでしょうか?

A:創世記49章10節は、独立した王が存在することを保証したものではありません。そこには単に「支配者」がいると記されているだけであり、ゲダリアや他の多くの人々は、バビロンやペルシャ、その他の政権の下で総督としてその役割を果たしました。これとは異なるが補足的な回答については、『1001 Bible Questions Answered』p.28をご参照ください。


Q:創世記49章10節では、メシアが現れるまでユダが統治することになっていたのに、なぜサウルはベニヤミン族出身だったのでしょうか?

A: この預言が与えられた当時、王は存在しませんでした。サウルは王として拒絶されましたが、ダビデ(ユダ族出身)が王になると、メシアが来るまでユダ族が王家の系譜であることが認められました。イエスは、「法的には」ヨセフが法的な父であったため、また「生物学的には」マリアもユダ族出身であったため、ユダ族に属していました。


Q:創世記49章14~15節で、ヤコブはイッサカル族の奴隷化を預言していますが、申命記33章18~19節では祝福が預言されています。これはなぜでしょうか?

A: どちらの預言も成就しました。イッサカル族は、肥沃な土地という大きな祝福に恵まれていました。しかし、アッシリアの時代になると、彼らは奴隷となり、その部族はその後もその状態が続きました。神の祝福を当然のこととして受け止めてしまうと、私たちは怠惰になり、罪に屈しやすくなってしまう傾向があります。ギデオンに関するもう一つの悲しい例については、士師記8章27節、33節をご覧ください。


Q:創世記49章16~17節で、これは何を指しているのでしょうか?

A: サムソンはダンの出身でした。ダンは『士師記』18章の時代以来、最も北に位置する部族です。ダンは正義をもたらすべきでしたが、その代わりに『士師記』18章30節にあるように、偶像崇拝をもたらしてしまいました。エレミヤ書4章15-16節および8章16節には、災いがダンからやってくると記されています。

士師記5章17節では、ギレアデ、ダン、アシェルの各部族がデボラとバラクを支援しませんでした。

『ヨハネの黙示録』7章5~8節では、14万4千人のうち、ダンの部族出身者は一人もいません。反キリストは、ダンの部族出身のユダヤ人であるかもしれないと考える人もいます。


Q:創世記50章3節において、なぜヤコブの遺体の防腐処理に40日間を要したのでしょうか。それより長くも短くもなかったのはなぜですか?

A: 聖書がその理由を明記している以上、ここに寓意的な意味を読み取ろうとする必要はありません。 創世記50章3節には、40日間が防腐処理に必要な期間であったと記されています。雑誌『KMT:古代エジプトの現代ジャーナル』第3巻第3号(1993年秋号)7ページによると、ネズミを用いたミイラ化の実験から、ナトロン塩を用いて遺体の乾燥を完了させるには40日間が必要であることが示されています。また、現代のエジプトにおいても、40日間は依然として喪の期間であると述べられています。


Q:創世記50章13節において、ヤコブはアブラハムがマムレの近くで購入した洞窟に埋葬されたのでしょうか、それとも使徒行伝7章15~16節が示唆するように、先祖たちの一部はシェケムの近くに埋葬されたのでしょうか?

A: まず、答えに関連する3つの点を挙げ、その後、考えられる2つの答えを提示します。

第一に、マムレとシェケムの間の距離は約45マイル(72キロメートル)であったことから、この二か所は別々の場所でした。

出エジプト以前、創世記50章13節によれば、ヤコブはマムレの近くに埋葬されました。創世記50章24~26節には、ヨセフの遺体は防腐処理され、棺に納められてエジプトに安置され、後に約束の地に埋葬されることが予定されていたと記されています。

出エジプト後、477年以上が経過した頃、使徒行伝7章15~16節にあるように、ヤコブの息子たちはシェケムの近くに埋葬されました。また、ヨシュア記24章32節には、ヨセフの遺骨がシェケム近くの土地に埋葬されたと付け加えられています。

ここでは、2つの異なる回答をご紹介します。

「彼ら」について:使徒行伝7章15節には、「ヤコブはエジプトに下り、そこで息を引き取りました[すなわち、亡くなりました]。彼と私たちの先祖たちも同様です。」(グリーン直訳)とあります。使徒行伝7章16節の「彼ら」とは、出エジプト後に埋葬されたヤコブの12人の息子たち(私たちの先祖たち)を指しており、477年以上前に埋葬されたヤコブ自身を指すものではありません。

ステパノの誤り:もしステパノが語った際に、これら二つの出来事を誤って「一つに混同」していたとしても、使徒行伝7章15~16節は依然として誤りがないものです。使徒行伝7章15~16節は、ステパノが犯した些細な過ちを、誤りなく記録しています。ステパノが語ったことすべてにおいて誤りがない必要があったことを示すものは何もありません。しかし、使徒行伝7章における他の事柄に関するステパノの実績を考慮すると、最初の回答を支持する人もいるかもしれません。

とはいえ、たとえ二番目の答えが正しいとしても、そこには私たちへの教訓があります。今日の信者たちが神の御心の中心にあり、神が望まれる通りに他者に語りかけるとき、神は私たちの言葉や教義のすべてが誤りがないと約束されているわけではありません。しかし、それで構いません。神は、私たちの過ちにもかかわらず、そして私たちの過ちを通してさえも、御自身の真理を明らかにするために、私たちの中で働いてくださるのです。

ステパノが代名詞の使用において現代的な正確さを欠いていたか、あるいは歴史上の些細な点で誤っていたかどうかにかかわらず、神のメッセージは、ヤコブがシェケムに葬られた「彼ら」に含まれていたかどうかということではありません。神のメッセージとは、神がイスラエルの民を御自身との契約関係の中で導かれたこと、そして神が数千年にわたりイスラエルの民を用いて、史上最大の出来事である、神の御子イエス・キリストの到来に向けた背景を整えられたということです。


Q:創世記50章16節で、ヨセフの兄弟たちは、「ヤコブがヨセフに、自分たちに害を与えないよう命じた」と言ったとき、嘘をついていたのでしょうか?

A: 聖書には、ヤコブがこれを明確に命じたかどうかについては記されていませんので、兄弟たちは嘘をついていた可能性もあります。一方で、ヤコブがヨセフに兄弟たちへの復讐をしないことを暗に望んでいたことは確かです。今日、私たちは、相手が完全に真実を語っているかどうかを確実に知る由もなく、人々から多くのことを耳にします。たとえその言葉の真偽を証明したり反証したりできない場合でも、私たちは賢明に、そして神が望まれるような方法で応答する必要があります。


Q:創世記50章19~20節において、神が私たちが下す選択を「意図」しておられるのであれば、どうして私たち自身が選択を下すことができるのでしょうか?

A: この同時性を説明する3つの簡単なポイントがあります。

神は決して、人々に罪を犯すよう強要したり、悪を選ぶように仕向けたりはされません。ヤコブの手紙1章13節によると、神は誰をも誘惑されることはありません。

神は彼らの選択をあらかじめ知っておられ、彼らがその選択をすることを許されました。チャールズ・ホッジは、この概念を「許容的定めの原則」と呼んでいます。

神は、人々の邪悪な選択を、ご自身の計画の一部として用いられました。実際、エペソ人への手紙1章11節や箴言16章4節によると、すべてのことは神の計画に含まれています。ルイス・バークホフは、この概念を表すために「共起(concurrence)」という用語を考案しました。


Q:『創世記』において、なぜ最初の34節で「エロヒム」という言葉が33回、続いて45節で「ヤハウェ・エロヒム」が20回、さらに25節で「ヤハウェ」が10回と、このような順序で登場しているのでしょうか(『Evidence That Demands a Verdict』第2巻、121ページ)。これは、複数の著者がいたことを示唆しているのでしょうか?

A: これは偶然ではなく、まず神の普遍的かつ超越的な性質を表現し、続いて神のより個人的な側面を意図的に表現するためでした。コーランにも非常によく似た状況が見られます。後のメディナ期のスーラでは「アッラー」という言葉が主流であるのに対し、初期のメッカ期のスーラでは「アッラー」ではなく「主」という表現が主に用いられています。 以下は、私が数えたメディナのスーラにおける「主」の出現回数です。4(約211回)、9(約152回)、24(75回)、33、48、49、57(33回)、58(37回)、59(29回)、60~66。 以下は、メッカ期のスーラにおける「主(Lord)」という語の出現回数と、それに続く「アッラー(Allah)」という語のおおよその出現回数です。15(3回)、32(1回)、50~53、54~55(0回)、56(2回)、 67(4回)、68(0回)、75(0回)、78(0回)、85-96(9回)、100-109(1回)、110-112(6回)、113-114(0回)。

同様に、新約聖書の『ヘブライ人への手紙』においても、第1章では「キリスト」や「イエス」という言葉は一度も使われておらず、ただ「御子」としてのみ言及されています。しかし、『ヘブライ人への手紙』の残りの部分では、「イエス」や「キリスト」が頻繁に使われています。

これは、コーランに複数の著者がいたことを示すものでもなければ、ヘブライ人への手紙に複数の著者がいたことを示すものでもありません。それは、創世記に複数の著者がいたことを示す証拠があるのと同じくらい、根拠のない主張です。むしろ、これは中東の文学において、名称の非対称的な使用が珍しいことではなかったことを示しているのです。


Q:『創世記』は、いつ書かれたのでしょうか?

A: 初期のユダヤ教およびキリスト教の文献は、一様にモーセがこれを著したと述べています。実際にモーセ自身が筆を執ったのか、あるいは彼の指示の下で書記が執筆したのかはともかく、いずれにせよモーセの時代に書かれたものです。

自由主義者のユリウス・ヴェルハウゼンは1885年、それらがバビロン捕囚(紀元前598年~539年)の期間中またはその後に作成されたと述べました。しかし、今日では、自由主義者でさえも、そのような説を信じる人は誰もいません。

今日の自由主義者たちは、モーセの時代から数世紀も経ってから書かれたものだと考えています。


Q:創世記についてですが、私たちが持っているものが、もともと書かれたものそのものであると、どうして分かるのでしょうか?

A: クリスチャンとして、私たちは、キリストが正当性を認めた旧約聖書こそが、私たちが持っている旧約聖書であると信頼しています。ちなみに、イスラム教徒にとっては、コーランの第5章46節に、イエスにトーラーが授けられたと記されています。私たちには、キリストの時代からの初期写本が残っており、これについては次の質問で取り上げます。しかし、他にも証拠があります。 アレクサンドリアのフィロは、紀元前15/20年から紀元50年にかけて生きたユダヤ人の学者でした。彼は『創世記』の注釈を執筆し、旧約聖書に関する疑問に答えました。彼はギリシャ語で執筆しましたが、興味深いことに、彼がギリシャ語で引用した旧約聖書の箇所は、ギリシャ語の『セプトゥアギンタ』ではなく、ヘブライ語のマソラ本文とより密接に一致しています。彼は、個々の聖句が何を意味するのかについて、非常に詳細に論じています。 『創世記』の全1,533節のうち、フィロは410節の全部または一部に言及しています。以下に、彼が『創世記』の中で言及した節を挙げます。

1:1-2,4,26,27,31;2:1-10,13-25;3:1-24;4:1-12,14,25-26; 5:1、3、23-24、29、32;6:1-12、14-17;7:1-2、4-5、10-11、16-17、19、21-24;8:1-18、20-22; 9:1、3-8、10-11、13、18、20-28;10:1、6、8;11:1-2、4、6-8、10、29;12:1-4、6-7;13:1、9;14:1、3、7、17、18、20-24; 15:1-3,5,20;16:1-9,11-16;17:1,6,8,10-22,24,26,27,32;18:1,3,6,7,9-11,15-17,22,23,27,32,33; 19:4、11、20、20、32、33、35; 20:7、12; 21:1-2、5-7、11-12、14、19-20、33; 22:1-2、4、6、7、9、16、22、62-63、67; 25:5、8、11、17、21、23-25、27、29、33; 26:2、3、5、9、12、32-33; 27:1、20、28、30、33、36、40-43、45; 28:1-2、7、11-17、21-22;29:4、13、26、31、35;30:1、2、13、16、18、24、30、36、37、42;

31:3-5、10-14、20、27-28、33、35、43; 32:10、25、28-29、31; 33:5、11; 34:1、3; 35:2、4、16、18、25; 36:12;37:2-3、7-9、12-13、15、33、36;38:7、9、11、20、25; 39:1、3、7、21;40:8-10、15-17、20;41:17、28、45、49;42:1、11、16、18、36;43:9;45:5、11、16、18、22、26、28; 46:1、4、27、33-34;47:3、9、24;48:1、5、13、15-16、22;49:2、15-18、22、33;50:7-8、19、24

しかし、彼の引用箇所には4つの相違点があり、そのすべてが『創世記』にあります。

節

マソラ本文のヘブライ語

フィロのギリシャ語

創世記 4:13

私の罪は、私が耐えうる以上のものです。

私の罪は、赦されるにはあまりにも大きすぎます。(3回)

創世記 5:22

エノクはメトシェラより前に65年生き、300年間神と共に歩みました

エノクは悔い改めるまで165年生き、その後200年を生きました。

創世記 6:6

神は、地上に人を造られたことを悔やまれました。

神は、地上に人を造られたことを深く憂い、その心の中でこの件を決意されました。

創世記 10:9

彼は主の御前で、力強い狩人でした。

地上で巨人となり始めました

前述のリストからもお分かりのように、彼は『創世記』の初期の章については詳しく論じていますが、後半の章についてはあまり触れていません。この文章をお読みのイスラム教徒の皆様へ申し上げますが、フィロは『創世記』22章において、犠牲に捧げられたのはイシュマエルではなくイサクであったと述べており、これは今日私たちが持っている旧約聖書の中の『創世記』の写本と同様です。


Q:創世記において、今日まで現存している最も古い写本にはどのようなものがありますか?

A: 死海文書:(キリスト以前)20点の写本または断片があり、15点または18点の独立した写本と推定されています。これらの写本は次のように呼ばれています:

1Q1 - 創世記の断片

2Q1 『創世記』

4Q1 『創世記』+『出エジプト記』

4Q2 『創世記』、マソラ本文と同一

4Q3 『創世記』40-41章

4Q4 創世記 1章

4Q5 創世記、マソラ本文およびサマリア本文に類似しています

4Q6 - 創世記48章の一部

4Q7 創世記1章および2章の断片

4Q8a 創世記 2:17-18

4Q8b 創世記12:4-5の意訳

4Q8c 『創世記』写本の題名

(4Q8a、b、cは、それぞれ異なる3つの写本に由来します)

4Q9 創世記、サマリア本文に類似したもの

4Q10 創世記 1-3章

4Q11 創世記50章26節から出エジプト記36章まで

4Q12 旧ヘブライ文字で書かれた創世記26章

6Q1 『創世記』5章の断片

8Q1 『創世記』17:12-19および18:20-25の断片2点。

全体として、死海文書には、創世記の1,533節のうち、以下の265節(17.3%)が保存されています。

創世記 1:1-28;2:1-3、6-7、14-19;3:1-2、11-14;4:2-11;5:13-14;6:13-21;8:21;10:6;12:4-5; 17:12-19;18:20-25;19:27-28;22:13-15;23:17-19;24:22-24;26:21-28;27:38-39,42-43;32:4-5,30,33; 33:1、18-20;34:1-3、5-10、17-21、30-31;35:1、4-10、25-29;36:1-17、19-27、35-37、43;37:1-2、5-6、22-30; 39:11-23;40:1、12-13、18-23;41:1-11、15-18、23-27、29-44; 42:15-22,38;43:1-2,5-14;45:14-22,26-28;46:7-11?;47:13-14;48:1-11,15-17,18-22;49:1-8;50:3,26?

第4洞窟で見つかった『創世記』に関する死海文書注解

セプトゥアギンタは、旧約聖書と外典のギリシャ語訳です。Rahlfs 814 創世記 14:12-15 の断片は、およそ西暦2世紀後半(西暦150~200年)のものです。

inv. 319と呼ばれる『創世記』のギリシャ語写本は、西暦100年より古いものです。

p7.2には、セプトゥアギンタの『創世記』1:1-5がp12(パピルス・アムハースト3b)に記されていたことが記載されています。これは西暦264~282年のものとされています。

ウィーン写本は西暦5世紀または6世紀に書かれたもので、創世記の24ページが保存されています。

その他のギリシャ語写本には、次のようなものがあります。

パピルス・オキシリンコス656は、西暦2世紀の写本で、ギリシャ語の『創世記』が含まれています。

オキシリンコス・パピルス1007は、西暦3世紀の断片です。この写本では、テトラグラマトン(神の名)の頭文字である「ヨッド」が、異例にも2つ並んで記されています。

チェスター・ビーティ・パピルス5には、創世記42:7-19が含まれています。その年代は西暦350年から400年と推定されています。

『ヴァチカン写本』(西暦325~350年)には、創世記46章29節から50章26節が収録されています。この『ヴァチカン写本』には、旧約聖書の残りの部分がすべて収録されています。

アレクサンドリヌス写本(西暦450年頃)には、創世記14章14節~17節、15章1節~5節、16節~19節、16章6節~9節(これらは欠損しています)を除く、創世記の全編が収録されています。

シナイ写本(西暦340~350年):創世記21章26節~22章17節、22章21節~23章16節、23章19節~24章20節、24章23節~24章46節。

サマリア人は紀元前2世紀に独自のトーラーの写本を作成しましたが、現存する最古のサマリア写本は中世のものです。

初期キリスト教写本:チェスター・ビーティ・パピルス(西暦2~4世紀)には、創世記が含まれています。

『創世記』のシリア語ペシッタ訳は、西暦5世紀のものです。

セプトゥアギンタのシリア語訳は、テラのパウロ司教(西暦616~617年)によって作成され、その写本は現在も残っています。


Q:どの初期の著者が『創世記』に言及しましたか?

A:ユダヤ人のフィロ(紀元前15/20年~紀元50年)は、『創世記』の410節のすべて、あるいはその一部に言及しています。彼の著作のうち、『創世記』から広範囲に引用しているものの一つが、『寓意的解釈』第1巻です。

ニカイア公会議以前の教会著述家29名が、創世記に言及しています。

『第一クレメント書』(西暦96~98年)は、創世記の25節の内容を引用または言及しています。創世記1:26-28、2:23、4:3-8(セプトゥアギンタ訳)、5:24、9:6、12:1-3、 13:14-16;15:5,6;18:27;19:24;21:22;22:17;27:41;37:6。

ユスティノス・マルティル(著述時期:西暦138年頃~165年頃)は、創世記1章26節、28節;2章3節;3章15節、22節; 6章16節;8章10、12節;9章24~27節;11章5、6節;15章6節;18章1、2、10、13、14、16、17、20~23、33節;19章1、10、16~25、27、28節; 21:9-12;26:4;28:10-19;31:10-13;32:22-30;35:6-10;49:5,8-12,18。

サルディスのメレト/メリト(西暦170-177/180年)は、『過越祭について』(On Pascha)p.72にあるオネシモへの手紙の中で、創世記を旧約聖書の書物の一つとして挙げています。これはエウセビオスの『教会史』第4巻第26章に記録されています。

アンティオキアのテオフィロス(西暦168-182/8年)は、『テオフィロスからオートリコスへの書簡』第2巻第21章p.102-103において、創世記2:8-3:19を37節にわたる一連の箇所として逐語的に引用しています。また、同書の第19章p.102では、創世記2:4-5,7も引用しています。

リヨンのイレネウス(西暦182-188年)は、「さらに、私たちは聖書そのものから学んでいます」と述べ、その直後に『創世記』17章9-11節を引用しています。『異端反駁』第4巻第26.1章、480ページ。彼は『創世記』の非常に多くの箇所を引用しています。

おそらくモンタヌス派であったテオドトス(紀元240年頃)は、『テオドトスの抜粋』第1章43ページにおいて、創世記1章1節を「創世記」からの引用として挙げています。 また、第7章44ページでは創世記1章2節を、第38章48ページでは創世記1章3節を、第56章50ページでは創世記1章18節の一部を引用しています。

カルタゴのキプリアヌス(西暦246年頃~258年頃)。彼は『創世記』から引用しており、『論集』第12巻第3書20章32節をはじめとする箇所で、それを『創世記』からの引用として言及しています。

その他、ニカイア公会議以前の教会著述家の中で『創世記』を引用した人物には、『バルナバの手紙』、サルディスのメレト/メリト、アテナゴラス、アレクサンドリアのクレメンス、テルトゥリアヌス、ヒッポリュトス、オリゲネス、ノヴァティアヌス、アルケラオス、アレクサンドリアのアレクサンドロス、メトディウスなどが挙げられます。

ニカイア公会議以降

ヒエロニムス(西暦373-420年)は、旧約聖書の諸書について論じています。彼は特に、創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記、トーラー、ヨブ記、ナヴェの子イエス[ヨシュア]、士師記、ルツ記、サムエル記・列王記(各2巻)、十二預言書、ホセア書、ヨエル書、アモス書、オバデヤ書、ヨナ書、 ミカ書、ナホム書、ハバクク書、ゼファニヤ書、ハガイ書、ゼカリヤ書、マラキ書、イザヤ書、エレミヤ書、エゼキエル書、ダニエル書、エステル記、エズラ記、ネヘミヤ記について論じています(『手紙』第53巻第7~8章、99~101ページ)。


Q:『創世記』において、フィロの引用はどの程度正確だったのでしょうか?

A: 以下は、フィロが『創造論』の中で順次引用している箇所です:

「初めに、神は天と地を創造されました」……「闇が深淵の面を覆っていました」……「『日』と名付けられました」。 …「われわれの像に、われわれに似せて、人を造ろう」。…「彼らは男と女として造られた」。…「これは、天と地の創造の書である。それが起こった時、すなわち、神が天と地を造られた日、また、地の上に現れる前のあらゆる緑の草、そして生え出る前の野のすべての草について記されたものである」。 …「そして、泉が地から湧き出て、地の全面を潤しました。」…「神は地から土を取って人を造り、その顔に命の息を吹き込まれました。」…「神は、人がそれぞれにどのような名前をつけるかを見ようとして、すべての動物を人のもとに連れて来られました。」…
以下は、彼が『寓意的解釈』第1巻および第2巻の一部において、時系列順ではない形で引用している箇所です。

「こうして、天と地、およびそのすべての世界が完成しました。」……「そして第六の日、神はご自身のなさった御業を終わらせられました。」……「神は第六の日に御業を完成させられました。」……「神は、始められたすべてのものを休ませられました。」……「それゆえ、第七の日、神はご自身のなさったすべての御業から休まれました。」 …「そして、神は第七の日を祝福し、それを聖別されました。」…「これは、天と地が創造された時の、その系譜の書です。」…「その日、神は天と地、そして野のあらゆる緑の草――それが地上に現れる前に――、また野のあらゆる草――それが生え出る前に――を創造されました。なぜなら、神は地上に雨を降らせず、また、地を耕す人間も存在しなかったからです。」 …「しかし、地から泉が湧き出て、地の全面を潤しました。」…「そして神は、地から土の塊を取って人を造り、その顔に命の息を吹き込まれました。こうして、人は生ける魂となりました。」…「神は東のエデンに楽園を植え、そこに御自身が造られた人を置かれました。」…「そして、御自身が造られたその人は、」… 「神は楽園に置かれました。」…「そして神は、目にも美しく、食べるのに良いあらゆる木を地から生えさせ、楽園の中央には命の木を、また善悪の知識の木も生えさせられました。」…「そして、エデンの地から川が流れ出て、楽園を潤しています。そこから川は四つの支流に分かれています。その一つはペイソンと呼ばれています。 それはエヴィラトの全土を取り囲む川です。そこには金のある国があり、その地の金は良質です。また、カーバンクルやサファイアの石もあります。第二の川の名前はギホンです。これはエチオピアの全土を取り囲む川です。第三の川はチグリス川です。これはアッシリア人の前を流れる川です。 そして、四番目の川はユーフラテス川です。」……「主なる神は、ご自身が造られた人を取って、エデンの園に置き、それを耕し、守るようになさりました。」……「主なる神はアダムに命じて、こう言われました。『エデンの園にあるあらゆる木の実を、自由に食べてよい。しかし、善悪の知識の木の実だけは食べてはならない。それを食べたその日、あなたは必ず死ぬ。』」 (II) 「主なる神は言われました。『人が独りでいるのは良くない。彼にふさわしい助け手を造ろう。』……『神は言われました。「地は、その種類に従って、生き物を生み出せ。四つ足の動物、這うもの、野の獣を。」』(彼は、アブラハムに至るまで話を続けます)。

この二つの箇所を比較すると、フィロが同じ箇所を引用する際に、必ずしもまったく同じ言葉を用いたわけではないことがわかります。


Q:創世記において、ヘブライ語とギリシャ語のセプトゥアギンタの間には、どのような翻訳上の違いがありますか?

A:主に第1章に焦点を当てて、創世記の1,533節における翻訳上の相違点をいくつか挙げてみます。 『アンカー・バイブル・ディクショナリー』第5巻934ページによると、サマリア五書は、1,900箇所の読みにおいて、マソラ本文とは異なり、セプトゥアギンタと一致しています。特に注記がない限り、最初の文はマソラ本文(MT)から、2番目の文はセプトゥアギンタ(LXX)からの引用です。

創世記 1:1 「天々」(MT)対「天」(セプトゥアギンタ)

創世記 1:2 「形がなく、空虚であった」対「見苦しい、何もない」(セプトゥアギンタ訳)対「空虚で、何もない」(アクイラ訳)対「休耕地で、輪郭が定まらない」(シマクス訳)対「人間も獣もおらず、植物や樹木の栽培も一切行われていない荒涼とした場所」 (ネオフィティ1世のタルグム[意訳])対「空虚で何もない」(ウルガタ)

創世記 1:2 「深淵の面」 対 「深淵」

創世記 1:2 「水の面」 対 「水」

創世記 1:5 「日」(マソラ本文、セプトゥアギンタ) 対 「昼間」(死海文書 4QGen(g))

創世記 1:6 「水」 対 「水」(3回)

創世記 1:7 「そして、そのようになった」 対 (記載なし)(ヘブライ語2語、ギリシャ語3語)

創世記 1:8 「天々」 対 「天」

創世記 1:9 「そのようになった。」 対 「そのようになった。そして、天の下にあった水はその場所に集められ、乾いた地が現れた。」(ギリシャ語17語)

創世記 1:11-12 「若芽」対「草」(2回)

創世記 1:14 「天、分けるため」 対 「天、地上に光を放ち、分けるため」

創世記 1:16 「支配する」 対 「整える」(2回)

創世記 1:16 「夜を治める星」 対 「夜を秩序づける、星もまた」

創世記 1:20 「這うもの」対「爬虫類」(ギリシャ語では「レプティリア」)

(創世記1:20、21において、グリーンの直訳版は誤って「鳥」と訳していますが、レビ記11:19-22および申命記14:18-20では、同じヘブライ語の単語がコウモリや有翅昆虫を指しているため、正しくは「飛ぶ生き物」であるべきです。)

創世記 1:21 「這うものすべて」対「あらゆる生き物である爬虫類」

創世記 1:21-25 「それ」対「それら」(何度も)(これは些細な文法上の問題です)

創世記 1:22 「増えよ」対「増えよ」

創世記 1:24 「家畜と這うもの」対「四足動物と爬虫類」

創世記 1:26 「わたしたちの像に、わたしたちの似姿に従って」対「わたしたちの像と似姿に従って」

創世記 1:26 「野の獣、そして全地の上」(マソラ本文、セプトゥアギンタ)対「地の野の獣」(シリア語訳)

創世記 1:26 「這うもの」対「這う爬虫類」

創世記 1:27 「御自身の像として、神の像として」 対 「神の像に従って」

創世記 1:28 「神は彼らを祝福し、神は彼らに言われた」 対 「神は彼らを祝福して、こう言われた」

創世記 1:30 「すべての生き物」 対 「すべての野獣」

創世記 2:1 「彼らのすべての軍勢」 対 「彼らの全世界」

創世記 4:8 「アベル」 対 「アベルよ、野へ出かけよう」(サマリア五書、セプトゥアギンタ、ネオフィティ第一タルグム、シリア語訳、ウルガタ訳と比較)

創世記 4:15 「それゆえ」(マソラ本文、タルグム) 対 「そうではない。それゆえ」(セプトゥアギンタ、シリア語訳、ウルガタ)(意味に変化はありません)

創世記5章および11:10-26の系図は、サマリア五書において若干異なります(『アンカー聖書辞典』第5巻)

創世記 5:24 「神と共に歩んだ」(MT)対「神に喜ばれた」(LXX、ヘブライ人への手紙 11:5b)

創世記6:4「神の子ら」(マソラ本文、一部のセプトゥアギンタ)対「神の天使たち」(一部のセプトゥアギンタ)対「神々の子ら」(ユダヤ人アクイラの翻訳)。ヒッポのアウグスティヌスの『神の国』(西暦413-426年)第15巻第23章p.304を参照

創世記 6:5 「主」(MT、タルグム)対「主なる神」(セプトゥアギンタ)対「神」(ウルガタ)

創世記 7:22 「いのちの霊の息」 対 「いのちの息」(セプトゥアギンタ、ウルガタ)

創世記9章25節:一部のセプトゥアギンタおよびアラビア語旧約聖書の写本では、この呪いは「カナン」ではなく、「カナンの父ハム」に下されたと記されています。

創世記 10:4 「ドダニム」(マソラ本文の写本のほとんど) 対 「ロダニム」(一部のマソラ本文の写本、サマリア五書、セプトゥアギンタ)

創世記 10:23 「マシュ」(マソラ本文)対「メシェク」(セプトゥアギンタおよび歴代誌上 1:17のマソラ本文)

創世記11章12節では、セプトゥアギンタおよびルカによる福音書3章36節において、アルパクシャドとシェラの間に「カイナン」が挿入されています。

創世記 11:32 テラは「205歳」(マソラ本文)で亡くなりましたが、「145歳」(セプトゥアギンタ、サマリア五書)となっています。

創世記14章1節、9節には、「エラサルのアリオク」(ヘブライ語写本)と、「アリオク王、エラサル王」という言い換え(『テオフィロスからオートリコスへの書』第2巻第31章p.107)があります。シュメールの考古学調査により、「ラルサのアリオク王」が発見されています。

創世記 14:23 「ひも/サンダル」(MT) 対 サマリア五書における未知の語(1文字の違い、おそらくは誤記)

創世記 18:22 「その人たちは主の御前に立ち続けた」対「主はアブラハムの御前に立ち続けられた」(古代ヘブライ語の筆写伝統)

創世記 19:17 「彼は言った」 対 「彼らは言った」(セプトゥアギンタ、シリア語訳、ウルガタ)

創世記 20:13、31:53、35:7 「エロヒム」 対 「エル」(サマリア五書)。出エジプト記 22:8 にも同様の例があります。

創世記 21:9 「イサクと共に」対「彼女の息子イサクと共に」(セプトゥアギンタ、ウルガタ)

創世記 22:2 「あなたの息子、イサク、あなたのただ一人、あなたが愛している者」 対 「あなたの息子、あなたが愛してきた、愛すべき者、イサクを連れて行きなさい」

創世記 22:13 「[彼の]後ろにいた雄羊」(ほとんどのマソラ本文) 対 「雄羊」(一部のマソラ本文、サマリア五書、セプトゥアギンタ、シリア語訳)

創世記 23:1 「年、すなわちサラの生涯の年」対「年」(セプトゥアギンタ、ウルガタ)

創世記 24:62 「~に来る前から」対「~から」(シリア語タルグム)

創世記 30:36 記載なし 対 「天使が夢の中でヤコブに現れ、ラバンの家畜群における彼の分け前を明らかにした」 (サマリア五書)

創世記 30:11 「幸運とともに/幸運の中で」(マソラ本文、ケティブ、セプトゥアギンタ、ウルガタ) 対 「一団」(ケレ、シリア語、タルグム)(ケレとは、マソラ本文の書き言葉とは異なる、特定のアラム語の単語を声に出して読む読み方です。ケティブ(アラム語で書かれたもの)は、ヘブライ語旧約聖書の書き言葉です)

創世記 31:40 「灼熱の暑さ」(MT、セプトゥアギンタ)対「収穫の時期」(サマリア五書、明らかに誤り)

創世記 31:49 「ミツパ」 対 「証人の柱」(セプトゥアギンタ) 対 「ミツパの柱」(サマリア五書)

創世記 33:4 「そして[彼は]彼に口づけした」(マソラ本文では現在形ですが、点記が付けられています)対 欠落(セプトゥアギンタ)

創世記 36:2,14 「~の娘」対「~の息子」[ジベオン/セベゴン](五書、シリア語訳)

創世記 36:3 「バセマト」(マソラ本文、セプトゥアギンタ) 対 「マハラト」(サマリア五書)

創世記 36:16 「コラ/コア」(マソラ本文およびセプトゥアギンタ) 対 (記載なし)(サマリア五書、歴代誌上 1:36)

創世記 36:24 「水」(マソラ本文、ウルガタ) 対 「温泉」(セプトゥアギンタ)

創世記 36:39 「ハダル」(ほとんどのマソラ本文) 対 「バラド」(セプトゥアギンタ) 対 「ハダド」(一部のマソラ本文、サマリア五書、シリア語訳)

創世記 37:36 「メダン人」 対 「ミディアン人」(セプトゥアギンタ、サマリア五書、ウルガタ、シリア語訳)

創世記 41:22 「そして私は見た」 対 「私は二度目に眠りにつき、そして見た」(セプトゥアギンタ、シリア語訳、ウルガタ)

創世記 41:48 「その地にあった七年間の食糧」対「七年間の食糧、すなわちその地に豊作があった期間の」(セプトゥアギンタ、サマリア五書)

創世記 41:56 「彼らのうちにあるすべてのものを開いた」 対 「すべての倉」(セプトゥアギンタ、ウルガタ、シリア語訳)

創世記 44:4 「よろしいですか?」 対 「よろしいですか? なぜ私の銀の杯を盗んだのですか?」(セプトゥアギンタ、ウルガタ)

創世記 46:13 「プア」 対 「フア」(セプトゥアギンタ) 対 「プヴァ」(サマリア五書、シリア語訳、歴代誌上 7:1)

創世記 46:13 「イオブ」 対 「ヤシュブ」(一部のセプトゥアギンタ、サマリア五書)

創世記 46:16 「ジフィオン」対「ゼフォン」(セプトゥアギンタ、サマリア五書、民数記 26:15)

創世記 46:20 「彼」 対 「彼、すなわちマナセとエフライム。マナセには、シリア人の側室が産んだ息子たちがおり、その名はマキルでした。マキルはガリラヤをもうけました。また、マナセの兄弟であるエフライムの子らは、スータラムとタアムでした。スータラムの子はエドムでした。」 (セプトゥアギンタ、死海文書 4QExod(a) と比較してください)

創世記 46:23 「フシム」 対 「ハシュム」

創世記 46:27 「エジプトには、二人がいました。エジプトに入ったヤコブの家の者たちは、すべて七十人でした。」(マソラ本文) 対 「エジプトの地には、九人がいました。ヨセフと共にエジプトに入ったヤコブの家の者たちは、すべて七十五人でした。」(セプトゥアギンタ)

創世記 47:21 「彼は彼らを町々に移した」 対 「彼は彼らを奴隷にした」(セプトゥアギンタ、サマリア五書)

創世記 49:4 「それを汚したのは――彼」 対 「それを汚したのは――あなた」(セプトゥアギンタ、シリア語訳、タルグム)

創世記 49:5 「ヨセフ」 対 「彼ら」

創世記 49:7 「彼らの怒りは呪われている」 対 「彼らの怒りは美しい」(サマリア五書)

創世記 49:20 「アシェルから」 対 「アシェル」(セプトゥアギンタ、ウルガタ、シリア語訳)

創世記 50:16 「彼らはヨセフに命じた」対「彼らはヨセフに近づいた」(セプトゥアギンタ、シリア語訳)

創世記 50:23 「ヨセフの膝の上で」対「ヨセフの時代に」(サマリア五書)

「エロヒム」と「エホバ」の使用状況は、セプトゥアギンタとマソラ本文で異なっています。ユリウス・ヴェルハウゼンは、これらを自身の文書仮説における最も弱い点であると見なしていました。

本問に関する参考文献:ヘブライ語訳はジェイ・P・グリーンの『Literal Translation』より、セプトゥアギンタの訳文はランスロット・C・L・ブレントン卿の翻訳『The Septuagint : Greek and English』より引用しています。また、『The Expositor’s Bible Commentary』、『The Anchor Bible Dictionary』第5巻、ならびにNASB、NIV、NKJV、NRSV各聖書の脚注も参照しました。


スティーブン・M・モリソン博士著。